ターニングポイント

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ターニングポイント

昨日から、ユウキは自分が有名人になるまでのカウントダウンをしている。 たぶん、そう遠からず、学校でも近所でも自分の名前がバズることになるはずだ。家族や親戚からも、たくさんのおめでとうと諸々のお祝いがもらえるに違いない。 昨日の新聞に、投稿した小説が掲載された。 少なくない応募者の中から選ばれた作品が数日間に分けて投稿されるという企画で、昨日がその第一話目の掲載だった。 つまり、第一話目の掲載が、同時に選ばれし人間のお披露目を意味していて、 新聞社に応募してからやきもきした日々を送っていたユウキは、昨日が自分にとってのいわゆるターニングポイントになると確信していた。 有名人になるにあたって、そういうターニングポイントを持っておくことは 今後のネタとして非常に重要であるとユウキは考えていた。 自分の恩師や今の自分の芸の肥やしになった出来事などがエピソードトークとしてかなり有力であることを、TVの画面越しにユウキは実感していた。 最近では有名人の原点を探ることをテーマとした番組まであるくらいだ。 自分にとってのターニングポイントはまさに昨日から始まっている。ユウキはそう確信していたし、むしろこの出来事を最大限利用して自分で自分をターンさせる必要があるとさえ思った。デキる人はセルフプロモーションに長けていると何かの本で読んだことが多少影響している節もあったが、どちらにせよ最大のチャンスであるという認識には変わりなかった。 そこでユウキは、具体的に自分が何をすべきかを考えた。手っ取り早いのは自分の近くにいる人間に対してアプローチすることだと思い、家族に報告することを思いついた。 ただ、自分で新聞を持ち出して家族の前に広げるという行動を想像して、それだとあまりに芸がないとユウキは感じた。かといって、家族一人一人捕まえて「昨日の新聞見た?」なんて聞くのは下品だ。何より、ターニングポイントとして効果を発揮させるということを考えた時に、自分からアピールしてうまくいくようには思えなかった。もっと自然発生的に、周りからじわじわと気づいていくことで威力を発揮するように思えたし、それがユウキの中の理想形ともマッチした。 というわけで、ユウキは誰にも言わないことにした。昨日の新聞に掲載された小説の書き手が自分であることをあえて伏せることが、結果的に今後の自分に良い波をもたらすと結論付けた。どのみち掲載はこの数日間続くので、少なくとも毎日新聞に目を通している父親は今晩にも勘付くだろうという目論見もあった。 作戦を開始した翌日、ユウキはいつも通り学校に行き、いつも通り授業を受け、少しさぼりを入れつつ部活をして帰ってきた。 その間友人との間で交わした会話は他愛のない話ばかりで、もちろん自分から小説の話をするようなヘマをすることは無かった。 それどころか、学校の中で新聞の話題が出たのは社会の授業の時だけで、アメリカ大統領が云々というまるで関係のない話だった。 その日の夜、仕事から帰ってきた父親が面白い話があるぞと言いながらリビングに入ってきた。 父親の夕食を用意していた母親と姉が父親の前置きに興味を示す中、既に夕食を済ませていたユウキはTVをつけてさりげなくリビングに居座った。 普段家で着ているダルダルのシャツ一枚になった父は、冷蔵庫からビールを出しながら母親と姉と、そして恐らく私にも向かって話始めた。 「今日会社でな、部下が俺に話しかけてきたんだ」 「何て?」 母の相槌を聞いて、父が続ける。 「そいつ、普段から新聞を読むやつで、昨日だか一昨日だかの新聞に小説が載ってたらしいんだよ。俺は見落としてたんだけど。」 「へえ、そんなコーナーあったんだ。」 「いや、ほんとにここ2日くらいで始まったらしい。一般の人が応募した作品の中から選出された作品が数日間連載されるらしくて、それが今新聞に載ってるらしいんだけど。」 「けど?」 「その小説が素人の書いたものにしてはすごく面白いので読んでみてください、って言われたってのが一つ。」 「え?一つって、あと何があるの?」 母親はまだ状況が読めていない。そんな母をしり目に、父親はもったいぶるようにビールを飲んで間をつくる。そしてなぜか、少し声を潜めて言った。 「あともう一つ、これが面白くてな。その小説の作者が『佐藤勇気』らしい。」 この言葉の一瞬前にユウキは、TVのボリュームを少し上げておいた。ユウキは最も現場に接近した形で作戦の最初の効果を確認することが出来た。ここまでは考えた通りのシナリオだ。これが後々振り返った時に、自分のターニングポイントとなるに違いない。思わず口角が上がるのを感じて、ユウキはふらっと自分の部屋へ上がった。 翌日、ユウキにとっては思わぬ形で学校の友人に小説の存在を知られることになった。前日の様子から、そもそも新聞自体を読まない友人がほとんどであることに気付いたユウキは、学校で噂が広まる可能性を半ば諦めていたのだ。 しかし、その日の朝放送されたある番組で、小説好きで知られる人気アイドルがユウキの書いた作品を彼女のSNSで絶賛したことを紹介したらしく、それが学校の友人たちの間で広がったことで一気に認知されたようだった。 当然、認知されたと言っても、世間的に分かっていることは作者名と出身都道府県と年齢くらいのもので、TV画面一面にユウキの顔写真が映し出されるようなことは無かったが、その情報の少なさが逆に盛り上がりを過熱させているようだった。 その日は校内で何度か視線を感じる場面があったが、ユウキに直接声を掛けてくる人は現れなかった。ただ、連載があと2日ほどあることを考えると、自分の人生がターンするのも時間の問題であるとユウキは感じた。 その日の夜も、父は小説の話をしていた。部下に勧められるままに読んでみたら思った以上に内容が面白く、読んでいなかった部分まで戻って読むために、会社に溜めてあった数日前の新聞を漁って読んでから帰ってきたらしい。会社の同僚にも勧めてきたという。 「TVでも何回か紹介されてたよね。面白いって。」 母も今日のニュースを見ていたようだ。夕方のニュースでも少し取り上げられていたらしい。 父もやや興奮した様子で、話を続けた。 「俺が言うのもなんだけど、かなりよくできているよ。連載期間が長いわけじゃないけど、その中でしっかり話が展開していて、あと2日で終わるのが惜しいくらいだ。」 「しかもあれだな、うちにとってはユウキと同姓同名だからな。勝手に誇らしい気分だ。」 「TVで言ってたけど、出身県と年齢までユウキと一緒なんでしょ?ビックリしちゃった。」 母親もTVの影響でかなり情報を得ているようだ。晩酌に酔っている父は話題の小説家が息子と同姓同名であることにテンションが上がったのか、ご機嫌でまくしたてる。 「こんなことなら、ユウキにもっと別の名前つければよかったな。苗字が佐藤ってのもあるけど、そこにつける名前も普通過ぎたなあ。」 ユウキは知らんぷりをしてやはりTVを観ていた。一瞬、このタイミングで家族にはばらしてしまおうかとも思ったが、まもなく迎える小説の最終回に向かって世間の盛り上がりが加速すると踏んで、ユウキは静かにリビングを後にした。 もう本当に時間の問題だ。あと少しで全てが新しくなる。 翌日学校に行ったときには、もうかなり小説の話題が共有されていた。ただ、実際に小説を読んだという層と、読んではいないが先日のアイドルを発端とした著名芸能人が発信するレビューを閲覧して盛り上がっている層とで大きく分かれており、関心のベクトルはまちまちであった。 そのような中で、TVに引っ張られるようにして校内共通の合言葉のようにしきりに話題に上がっていたのが、翌日の新聞で掲載される予定である最終回予想であった。ユウキも今朝がた情報番組をちらっとみてから登校したので、その話題で世間が盛り上がっていることは何となく承知していた。 周りの友人は、TVの芸人コメンテーターが口にしていたことをさも自分の見解であるかのように話し、それに対してまた別の友人が、それもどこかの経済アナリストが言っていたであろう内容をわりと真剣な目つきでトレースしていた。 ユウキも、同姓同名として意見を述べるということを何度かさせられた。 クラスのお調子者がそのような発想になることは何となく想像がついたが、それにしてもあまりに何度も同じくだりを求められるので、次第にユウキも返しが上手くなっていった。 ユウキはこの日になって、恐らく最もあの小説について他人と話をした。友人たちが話す最終回予想の内容は実際とはかなり異なっていたが、それは正直どうでもいいことのように思えた。どのみち明日になれば最終回の正解は判明するわけで、重要なのはそこから自分自身の新たな道が開けることであるとユウキは考えていた。 その日の部活帰り、正門で同級生の女子3人組に話しかけられた。 「あ!今話題の小説家じゃん!」 「やめなよ、さんざんみんなにいじられてるんだろうし」 確かにそうだが、別に気にする言葉では無かったのでそのまま通り過ぎた。通り過ぎる時、残る女子その3が後ろで放った言葉をユウキは微かにキャッチしていた。 「同姓同名じゃなくて、同一人物だったりしてー。」 家に帰っても、父と母の会話は学校で友人から聞いたそれとほとんど同じだった。父に至っては、 「間違ってうちにTV取材とか来ちゃったらどうしようか」などと言いだす始末で、でもそんなのTVが本気を出せばすぐに自宅なんてばれるだろうなとユウキは考えていた。実際今日の時点で、最終回の予想と同時に未だベールに包まれたままの作者像をあれやこれやと議論する番組が出始めていた。 予想とは言いつつも、名前と年齢が割れている時点である程度想像の範囲は決まってくる。誰が話しても、基本的には大体同じような偶像が出来上がる。もちろん、TVでワラワラしゃべっているタレントは誰も本人を見たことが無いわけで、そうなると、「実は偽名で正体は女の子なんじゃないか」とか「中学生にこんな文章が書けるとは思えない。ゴーストライターがいるのでは?」みたいなことを言う人も少なからずいた。ただどちらにせよ、小説によって世の中が揺り動かされていることは間違いなかった。間違いなかったし、有名になるという目論見はまさに今の状態―最終回を前にして―をもって達成されたと宣言しても過言では無かった。状況は数日前とは比べ物にならないくらい確実に変化していた。-ユウキはいつの間にか、その変化をただ眺めていた。 その日の夜、就寝のために自分の部屋に上がったユウキは、姉に呼び止められた。 「もう寝るの?いつもより早いね。」 あ、うんと適当に返事をして部屋に入ろうとしたが、姉が廊下でもあれだし部屋で話そうと提案してきたので、ユウキは久しぶりに姉を部屋に入れた。 立ち話をわざわざ回避するとは大層重大な話なのだろうと思ったが、姉がユウキに聞いてくるのは「最近学校ではどう?」とか「勉強難しい?」とかあたり障りのない事柄ばかりで全然盛り上がらない。 「そんなこと聞くために呼び止めたの?」思わず嫌味っぽく言ってしまったユウキに、姉はあっけらかんと返した。 「だって、最近あんた全然話さないから。」 そして、こう続けた。 「あんた最近やたらとつまんなそうな、というか周りに興味ないような顔してるの気付いてる?」 ユウキは驚いた。姉にここまではっきりとものを言われるのも初めてだが、なにより、自分が姉から見てそのように映っていたことが衝撃だった。 「何があったか知らないけどさ、自分の気持ちとか、そういうのあんたはもっと大事にしていいんだよ。」 「言いたいことあるなら言わなきゃわかんないし、どうせっていう態度取ってる人はそれなりの対応しかされないんだよ。」 ここまで一息に言って、まあ、と苦笑いしてこう付け加えた。 「今回の件に関しては、お父さんもお母さんも大概だけどさ。」 ポカンとするユウキに、姉は穏やかな口調で言った。 「ユウキがどこを目指してて何を望んでるのかは知らないし、納得するポイントなんて自分で決めればいいと思うんだ。大事なのはさ、自分が求めてたり納得できる形とちょっと違っちゃった時にどうやって折り合いつけるかってことだと思うよ。あくまで私は、だけど。」 まだユウキには難しいかーと笑いながら、姉は立ち上がった。部屋のドアノブを回して外に出る間際、あ、そういえば、と言って軽く振り返った。 「最終回、楽しみにしてるね。」 翌朝になると、最終回の掲載に伴って作者像の予想が激しさを増していた。SNSでは最終回勝手に作ってみたという企画が発生し、半ば大喜利のようになっているらしい。ユウキが朝食を食べながらつけている番組では、続編期待なんて無責任なことをのたまうコメンテーターまで出始めている。 多分、しばらくはTVもSNSも騒々しいだろう。これから行く学校でも、みんなが飽きるまでは同姓同名キャラをやらされることになるはずだ。 でもユウキは、それならそれで構わないと堂々と思えるようになっていた。自分が思ったより遥か彼方に小説は旅立って、生み出した自分とは切り離されてしまったかもしれないけれど、切り離した人たちは、所詮TVの中の人、会ったこともないSNSユーザーだ。もちろん、小説が自分ごと認知されれば有名人になれたかもしれないけれど、それは今や「たられば」でしか語れないことで、そこが上手くいかなかったときが勝負だよって、昨日お姉ちゃんが言ったことはそういうことなのだろうなとユウキは思った。 いつもより早く家を出ようと思って玄関まで向かうと、ちょうど洗面所で化粧を終えたらしい姉と鉢合わせた。 「あれ、いつもより早くない?」と言われたので、まあね、と返すと、「いってらっしゃい」という言葉を残して姉はリビングに戻っていった。 そういえば最近行ってきますを言ってなかったことを姉の言葉で思い出したので、ユウキも一度靴を脱いでリビングに向かった。 リビングには、父と母と姉がいる。父と母は、新聞にかじりついて顔を上げる気配が無い。 ユウキに気付いた姉と目が合う。 ユウキの口パクの「行ってきます」に、姉も口パクの「いってらっしゃい」で応えてくれた。同時に、姉が手元で小さくピースサインを出しているのをユウキは見逃さなかった。 もう一度靴を履き、外に出る。今日は午後から晴れてくると朝のお天気お姉さんが言っていたのを思い出しながら、明日からも通るであろう通学路をいつも通り歩いていった。
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