プロローグ

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プロローグ

プロローグ 極寒の地を覆う雪原は、終末世界を隠すのに適していると彼は思った。  春の訪れを忘れてしまったこの世界は、雪解けを知らない。この地には背の高い建物が多く聳え立っているが、そのどれもが傾き崩れ、降り注ぐ雪を受けとめている。その『遺産』の多さから、此処はかつて大変栄えただろう土地であることが伺える。  人類は、技術特異点(シンギュラリティ)を迎えた数十年後に滅びたと言われている。そして、雪原を歩く彼自身もまた、人類が残した『旧文明の遺産(アンドロイドイド)』である。  彼の黒いコートに黒いマフラーという姿は、白い雪と綺麗にコントラストになっている。背負われた巨大な鎌の先は地面を伝い、雪原に跡を残していた。しかし、彼の特筆すべきところは何といっても『長い耳』であろう。人類と共に滅びてしまったとされる『ウサギ』という動物の耳と同じようなものらしい。漆黒の髪と同じ色のその耳にも、白い粉雪がつく。  ふと上を見上げる。交通整備のために設置されたであろう案内標識には、日本語とアルファベットの羅列が記されている。雪を被ってはいたが、かろうじて何が書いてあったかは読み取ることができた。 『大阪 OSAKA』  既に指定された区域に突入したことを再確認する。地図座標を体内に埋め込められた彼はとうに知っていることではあるが。 「……この先か」  彼の小さな呟きは白い息となって消える。あたりを見渡しても、白い雪と『遺産』のみ。  その瞬間。彼は『恐怖』を感じた。 「……!?」  人工的に作られた体中を恐怖が駆け巡る。人類の多くの個体は、この恐怖によって体が動けなくなることが多いと聞いた。しかし、なんとか彼は体に動力を込める。 『ァァア、アハ、ア、ァァ……』  低い唸り声が複数聞こえた。数は三匹ほどだろうか。その声は、彼の恐怖という感情をより増幅させる。彼にはイメージできる。アイツらが、自分を捉え、玩具のように弄ぶことを。少しずつ身体を壊され、彼の悶え苦しむ声を聞いて喜ぶのだと。彼の脳裏を支配するのは『敗北する自分のイメージ』だった。 そうして、じりじりと遺産(ビル)達の影から出てきたのは奴ら……、侵略者(インベーター)だった。  奴らの筋肉質な体は三メートルと大きい。その濁った灰色の体は目を逸らしたくなるほどに醜い。大きくギョロつかせた目はこちらを見つめ、今にも補食しそうな口からは二十メートルほどの長く赤黒い舌が伸びていた。  奴らは人類を滅ぼした元凶だ。その実態は明らかではないが、宇宙から襲来してきた存在だということ、そして奴らは文明を食らって成長していくことが予測されている。 『アハ、アハハハ、アハハハ』 不快な笑い声が雪原の地に木霊する。侵略者(インベーター)達は興奮し、狂った人間のように笑い出したのだ。髪の毛がない頭を揺らし、こちらに走り寄ってきた。 「……クソッ」  侵略者達に囲まれた彼は舌打ちをする。彼の声も表情も、恐怖している者とは言えないくらいに冷静さを保っているように見える。いや、恐怖を表に出さないように彼が努めているのだ。 『アハハ、タノシイ、タノシイ……!』  人間を喰らって言葉という文明を身につけたのだろう。出来損ないの人語を発する奴らは彼にまっすぐ飛び掛かってくる。彼は巨大な鎌で奴らを薙ぎ払った。 『ウ、ウォォ、イタイ、イタイ、イタイィィ。タスケテ、オカアサン……!』  横にひと振りし、三匹を同時に斬りつけることができた。奴らは、いたぶった人間から覚えただろう言葉を狂ったように繰り返す。だが、奴らは一瞬怯んだのみだった。すぐさま態勢を整え、彼に襲いかかってくる。 『ァァア、ァァアアァァァ!!!』 「五月蝿い」 さらに一振り斬りつける。 彼は奴らの緑色の血を浴びた。その血は粘着力を持つうえに異臭がする。 『ゥゥ、タスケテ、ゴメンナサイ、パパ……』  地に伏せた奴らは、痛みで痙攣しビクビクと蠢いていた。人間の真似事で許しを請う奴らにも恐怖する。それを振り切るかのように、彼は奴らにとどめを刺した。 「……はぁ、はぁ……」  奴らが動かなくなってなお、恐怖に操られた足は震えている。 「落ち着け、……落ち着け」  震えて前に進もうとしない足。今にも抜けそうな腰。感情と強く共鳴した体は上手く動かせなかった。彼は鎌を地につけてようやくバランスを取っている。そうして、やっとのことで立っていられる自らが惨めで情けない。  しかし、その恐怖から解き放つ無垢な声が彼の耳に届いた。 「君が黒兎(ラビット)?」  震える足が止まった。体のバランスを保てる力が戻ったことが分かる。  ゆっくりと声の方向を見る。そこにはブロンドの少女がいた。身体年齢は十四を想定されているだろうか。格好も可憐でエプロンドレスを身に纏い、そこから覗かせる細い足はモノクロのタイツに包まれていた。黒兎は少女に返答した。 「ああ、俺が黒兎だ」 「予定より三分二十四秒ほど遅かったから様子を見に来たよ。……どうやら事態は収束したようだけど」  甘く柔らかな幼い声は実に心地が良い。彼は少女の蒼い瞳を見つめて言葉を返した。 「情けないところを見せた」 「ううん、仕方ないよ。君は『恐怖』を増幅させられた旧型のアンドロイド。怖いというのは当たり前」 「……これでも仕事はこなす」 少女は残骸と化した侵略者(インベーター)達を見回した。頭に飾った青いリボンが揺れる。 「そのようだね」  ふと少女は彼の『耳』に目を奪われた。それを瞬きひとつせず、三,〇三一秒ほど見つめた。 「ふふっ、君はどうやら変わり種みたいだね」 「よく言われる」 「君は……、『不思議の(ワンダーランド)』を知っているかい?」  彼は記憶媒体を巡らせた。アンドロイドの間で囁かれている話だとすぐに思い出す。 「そういえば、耳にしたことがある。夢と希望が詰まった不思議の国……、しかし、それは噂話だろ? この終わった世界のどこにそんな所があると言う?」  彼の問いかけに、少女はくすりと笑う。 「人間の旧文明にこんな話がある。ウサギを追いかけたアリスが『不思議の(ワンダーランド)』に迷い込むという話」 「ウサギ……、アリス……」 黒兎はそっと自らの長い耳に触った。 「さて、ウサギさん」 彼女の名前は事前に聞いていた。ピースが嵌まっていくかのような感覚が黒兎を襲う。 「私を『不思議の(ワンダーランド)』に連れていってくれるかな?」 少女の名前は、アリス。そう聞かされていた。
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