第一章『ロストブルー』

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 ゲームセンターから出た後、二体は任務のために雪道を歩んだ。先ほどよりも、風が緩やかになっていることに気付く。いくらアンドロイドとはいえ、吹雪が激しいと前に進むのは困難だ。天候が穏やかであるほうが、任務遂行のためには都合が良い。 もうすぐ都市部を抜けるといったところで、黒兎の長い耳が不思議な声を感知した。 「……アリス、何か聞こえないか?」 「いや、何も」  黒兎の長い耳は通常のアンドロイドよりも多くの音を拾う。どうやら、スペックが高いアリスに勝る数少ない機能が『聴力』らしい。声は十メートル先のビルから聞こえた。いや、正確にはビルとビルの隙間といったところだろうか。黒兎はゆっくりとそこへ近づく。 「……誰かいるの?」  ノイズ混じりのか細い声がした。女性体の声だろうか。今度は、アリスにも聞こえたようだった。 「かなり負傷しているみたいだね。襲撃の生き残りのようだ」  声は崩壊したビルの間から聞こえた。二体は声に近づく。傾いたビルの隙間は三角形になっていた。恐らく声の主はこの隙間の奥にいるのだろう。黒兎は率先して細い隙間に入っていき、アリスもそれに続いた。  かつては路地裏のようだったそこは、薄暗いが雪風を凌いでくれるようだった。二体のアンドロイドは奥へと進む。奥に進むにつれ、血生臭い臭いがした。アンドロイドの血の臭いだ。路地裏の中央付近まで進むと、一体のアンドロイドが横たわっていた。 「おい、大丈夫か……?」  黒兎は彼女に駆け寄る。そのアンドロイドは、酷い有様だった。 身にまとっていた衣類の殆どは破かれ、裸体を露出させられており、性的暴行の跡が見て取れる。か細い両足は膝下から切断されていて、何本かの千切れたコードが飛び出ている。また、各所の皮膚は捲れ、銀色の機械的な表面が見えている。アンドロイド特有の血が地面に黒い水溜りを形成していた。 「……っ!」  黒兎は込み上げて来る吐き気を感じ、思わず口元を手で抑えた。間近で見た彼女の姿と自分を重ね合わせてしまったのだ。四肢を切断された自分の残骸からは異臭が放たれ、壊れてもな玩具のように奴らに嬲られる自分。助けを求める声はノイズが混じり、その震えた声は誰にも届かない。彼はいつしか自分も彼女のような最期を迎えるかもしれないことに、『恐怖』した。震えて仕方がない体を必死に押さえ込む。  そんな黒兎の様子を見たアリスはそっと彼の前に出て、彼女の容態を確認する。まだ完全に生命活動を停止しているわけではないようだ。しかし、それも時間の問題であろう。 「彼女はもう……」  アリスは首を横に振り呟く。彼女の命がもう長くないことは黒兎も認識できた。今から修復のために残骸を広い集めても無駄であろう。このとき黒兎は自らがアンドロイドであり、計算能力に長けていることを恨んだ。もし、人間であれば、奇跡を信じて彼女を助けるために策を練ったであろう。しかし、多くのシミュレーションを施していても、彼女が助かる確率は零パーセントであった。 「彼女は、マーメイド。何度か拠点地で話したことがあるよ」  マーメイドはかろうじて目は動くのか、二体のアンドロイドを見て呟いた。 「……アリス? ……無事で……、良かった。……他の人は?」 アリスが首を横に振ったのを見ると、彼女は「そう」と声を発した。 「……その人……は?」 「俺は、黒兎(ラビット)だ。T一五〇区域から来た」 黒兎は冷静に振舞うように努め、自ら着込んでいたコートをマーメイドに被せた。黒いインナー姿の黒兎の肉つきのない細身が露になる。肌寒い空気が体を冷やすが、寒いという感情はあっても凍え死ぬことはない身体だ。極寒世界でも体に影響を及ぼさない機械の体はこういう時にとても便利だった。 コートをマーメイドに被せたのは、確かに裸体の彼女を思っての行動でもある。しかし、その無残なままの姿を見ていると、黒兎は恐怖で狂ってしまいそうだった。それを悟られないように感情を殺しているが、幽鬼に睨まれるような感覚が体を支配している。 「……あり、がとう……」 マーメイドはそんな彼の様子に気づくことなくお礼を言う。そして、何もない空中をおぼろげに見つめ、再び口を開く。 「……最期に、海、を見に、行きたいの」 今すぐにでも事切れそうなその声は、最期の願いを紡ぐ。しかし、彼女は持って十分と少しの命だ。ここから海までは距離があり、とても間に合いそうにない。 「アリス、どうにかならないのか?」 珍しく焦ったように問いかける黒兎に驚きつつも、アリスは告げる。 「すぐ近くの廃墟に、残骸が多く残っている。完全な修復は不可能だけど、延命処置は出来ると思うよ」 マーメイドの体は重要部品がいくつも破損しており、アンドロイドが持つ技術だけでは彼女を元に戻すことはできない。しかし、十数分の命をなんとか数時間単位で延命させることは出来そうであった。 「分かった。まずはそちらに向かおう」  大鎌を降ろしマーメイドを背負うと、背中に儚い命の重みを感じた。 **  アリスに案内された廃墟は、とあるショッピングモール跡の電気屋であった。ひび割れたコンクリートで囲まれたそのスペースにはいくつかの家電やゲーム機、パソコンなどの残骸があった。黒兎は、マーメイドを一度降ろして寝かせ、アリスと共に周辺の探索を行った。 「ここは穴場なんだ。他のアンドロイドが立ち寄ることがない」 アリスはそう言って、家電を漁る。旧型のものや破損してしまっているものが多い中で、利用できそうな素材を吟味していく。 「……ん、これなら使えそうか」 アリスが手を伸ばしたのは、隅に立っている旧型のロボットのようであった。手足はあるものの、黒兎やアリスのように人間と近い見た目をしていなかった。黒い無機質な素材に覆われ、かろうじて顔と認識できるパーツが存在していた。これは、商品として売り出されていたものではなく、客引きや接客のために使用されていたもののようだ。旧型であるため、深層心理は搭載されておらず、出来ることもかなり限られているようであった。 「随分、古いものだが……、起動は出来るのか?」 「確か、起動ボタンはここに……、っと」 アリスは、冷気に晒されたロボットのうなじに手を伸ばす。そこには、赤い小さなボタンがあった。それを押すと、ロボットが低く細かな振動音を発して起動した。  ウウィーンと音を立てるそれは、目のパーツを淡く光らせ、ノイズ混じりの音声を流した。 『いらっしゃいませ。日常に欠かせない電化製品から、子どもも楽しめるゲーム機まで取り揃えておりますよ!』  ぎしぎしと音を立てて、ロボットはゆっくりと歩き出す。その歩みは、けっして軽やかなものではなく、初めて立つことが出来た幼児と変わらぬ様子であった。ロボットはすぐ、目の前の棚まで近づいていく。空っぽの棚を手で示し、かつてそこにあったであろう商品の説明を行った。 『お勧めは、この最新型VRシステムを搭載したゲーム機です! 専用のヘルメットを着用し、仮想空間にご案内します。従来の商品と違うのは、何と言っても没中感! 脳に直接、電気信号を与え、五感そのものにアプローチします。……あ、あ、あ……』  そこまで流暢に喋ったかと思うと、ノイズだけを発していく。しかし、それはすぐに治り、再びロボットはつらつらと薀蓄を傾けるかのように音声を流す。ただ、その言葉は非常に支離滅裂なものであった。 「仮想空間、仮想空間とは即ち、物語を刻む最後の通達なのです。存在しない郵便ポストは、現実世界を分担し、仕分けを歌いました。東から西へと慄く獣は、非常に繊細そのものなのです。壊れた人形と共に行くことはとても悪いことではないとはきっと絶対的に思いますが、それは淡々と進められていく作業そのものでしょう。反逆を誓うものに憤怒した感情は、過ちを歩みます。そして、歩んで歩んだ先にパッと光りだす記録はあなたに何も影響を与えないだろうと、主人公は思います。そして、最後に見るのは脳髄一色の世界。そうして、新たなる命が結末なんだと白紙のワードに巻き散らかすのです! ……、ア、……、ザ、ザザザ……」  長い詩のような響きが終わり、ノイズだけを鳴らすロボットにアリスは呆れたようにため息をついた。 「……まぁ、マーメイドの寿命を伸ばすぐらいならコイツでも大丈夫そうだね」 「本当に大丈夫なのか? 壊れているぞ、これ」 「壊れていても大丈夫だよ。スキャンしたところ、使えそうな部品はいくつかある」  アリスはそっと、黒兎の持つ大鎌を指差した。彼女が言わんとすることは察することはできた。 「悪いな」 黒兎は大鎌を振りあげ、ロボットの足の根元を切断する。ノイズが止んだかと思うと、からんと分解され落ちていく部品の音だけ響いた。  アンドロイドというのは便利なもので、ある程度の自己修復プログラムが備わっている。部品さえ確保できれば破損した部分を修復することができるし、自分以外のアンドロイドにも処置することができる。 「……とりあえず、三時間は動くことができるよ。マーメイド、歩けるかい?」  アリスが声をかけると、マーメイドはゆっくりと立ち上がる。黒兎が着せたコートからは、先ほどのロボットと同じ足が見えていた。両足を始めとしたいくつかの部品を接続することが出来たみたいだった。 「ありがと……ございます……、アリス」  先ほどに比べ、声に混じっていたノイズが目立たなくなっていた。 「こんなもんでいいか?」  少しの間、席を外していた黒兎が女物の洋服を持ってきた。アリスに命じられ、ショッピングモール内の服屋を漁っていたのだった。女性用の洋服を見立てるのは気恥ずかしい気持ちもあったが、残念ながらアリスのほうが高性能であるため、マーメイドの修復作業は彼女に任せていたのだった。アリスは黒兎が持ってきた洋服を眺め、口を開いた。 「センスが悪くないみたいで安心したよ。全身黒尽くめの男にレディの洋服を見繕うのは、多少不安ではあったが」 「嫌味を言わないと起動停止するアンドロイドなのか、お前は」 「嫌味ではないよ。ただ、そのセンスはどこで学んだのか気になったんだ」 「学ぶってほどでもない。ただ、脳内で服を着たときのマーメイドの姿をシミュレーションしただけだ」 「……」  何か言いたげなアリスを横目に、黒兎はマーメイドに声をかけた。 「これ、着れそうか?」 黒兎が持ってきたは、オーシャンブルーのワンピースであった。シルクで滑らかな手触りがするそれは、フリルの装飾が施されている。 「すてき、……海の色……」 喜びが伺える彼女の声色に安堵した黒兎をアリスが引っ張った。 「君は馬鹿なのかい? 女性が着替えるんだ。外に出たまえ」  その言葉を聞き、座に堪えなくなった黒兎は無言で電気屋を出た。
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