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「には、にはは……ふぅ、っく…………にははは……ふう」  腹筋がひくつく。  不規則に息継ぎをしながらボールペンを赤に持ち替える。現状を好転させようと、諸悪の根源に三本の短い斜線を加えた。  頬を染めた真面目な尊顔と目が合う。  私の絵心の才は天邪鬼的にも作用するらしい。  可愛くない! っぷ! これじゃーまるで、ギャグマンガに出てくる大人に成りきれなかった変態オヤジみたいだ。  喉の奥がにはは! と笑いたくてウズウズする。この果てしない笑動は、限界に近づいた尿意を堪えるより難しい。  お願いだから、そんな目で私を見詰めないで……。 「にっはははは!!」 「――今から約百二十年前、近藤 康介(こうすけ)は晩年に光精と親しくなり、それまで謎の多かった光精の生態の一部を解き明かしました。どのようなことを解明したのか、具体的な例を……川澄さん、答えていただけますか?」 「には! ふーぅ。にはは……ぷぅ、…………はい? え、私?」  舌の付け根で出たり入ったりしていた笑いが、嘘のように消え失せ、頭がパチンと切り替わる。  三十名いる室内が静まり返っていた。  密かにふざけ合っていた他生徒たちも、私の二の舞は演じまいとじっとしている。  『真面目に授業を受けない生徒はこうなるぞ』という見せしめにされた。  これが偉人を貶めた罰だとでもいうのか。 「にはー、はっ、は…………は……考えます」  乾いた笑いが勝手に漏れた。  女教諭の色のない笑みに気圧されて、私は教科書に逃げ込んだ。しかし、ここはまるで迷宮だ……。  と、とりあえず、考えるフリだけでもしておこう。
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