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「翔、眼鏡洗ってやろうか?」
「いや、いいよ」
「そうか」
「うん」
「お父さん、眼鏡洗ってくれるの?」
「ああ、先着十名様」
「やった、洗ってー」
「はいよ」
「はー、ちょっと疲れちゃった」
「そうか。ニートになるか?」
「な、り、ま、せ、ん!」
「別に一年くらいならいいと思うぞ」
「お父さんの一年と私の一年は価値が違うの!」
「なるほど。まあ相談はいつでも乗るから。ほら」
「ありがと。……んー? ちょっと店員さん、ここ曇ってるよ」
「え? ほんとだ、気づかなかった」
「あるよねー、洗った直後はなぜか見えないこと。はいやり直し」
「申し訳ありません」
「あ、眼鏡洗ってくれるの?」
「はい、順番待ちはこちらでーす」
「わーい。よいしょっと」
「お母さん、それ年寄りくさいからやめてよ」
「別にいいでしょ。それより陽葵、視力大丈夫?」
「え、大丈夫だけど」
「ならいいけど。合わなくなったら作りなさいよ、眼鏡なんて安いんだから」
「それってお母さんみたいにフレームにこだわらない人の場合でしょ? 普通のフレームは高いんだから」
「それでも目の治療費よりは安いでしょ。それにお父さんだって安物だし」
「お父さんはこだわりがあるからいいんですー。二十年以上同じシリーズのフレーム使ってるんですー」
「む……。ちょっとあなた、遅くない?」
「あるよねー、単純作業で一度ミスすると次から遅くなること」
「あんた、苦労してそうね」
「わかる? バイトやめちゃおっかな」
「バイトはお金じゃなくて経験のためにやりなさいね」
「はいはい」
「陽葵様、お待たせいたしました」
「ごくろうさま。うん、きれいに見えてる。じゃあ次はお母さんね」
「お願い。陽葵のよりきれいにしてね」
「お任せください」
「あー、ごちそうさま。じゃあ私寝るから」
「眼鏡外して寝なさいよ」
「はーい。お母さんもね」
「私はお父さんが外してくれるからいいの」
「いーわけねーだろ! 自分で! 両手で! 外すの! まったくどいつもこいつも……」
「はい、きれいになったよ」
「ありがと。あー、見違える」
「そろそろ寝ようか」
「そうね。じゃあ翔、あとお願いね」
「うん。おやすみ」
妹と両親が寝室に引っ込み、俺だけが残った。さて、俺も洗うか。キッチンに行き、まずは蛇口の流水量を水がスムーズに流れる最低ラインあたりに調節する。お湯はレンズによくないらしいので、冷水にすることを忘れない。次に食器洗い用洗剤のキャップに残った洗剤を人差し指でなぞる。残っていなかった場合は洗剤のボトルをひっくり返し、ボトルを指で押すことはせず(つくりにもよるが)、可能な限り重力だけを使って洗剤を出しすぎないようにする。洗うのは食器一枚にも到底満たない大きさの眼鏡なのだ。一、二滴で十分足りる。洗剤を指先に付着させたら、眼鏡を外して流水ですすぐ。埃が落ちてレンズ全体がまんべんなく湿ったら、人差し指の腹で円を描くようにレンズを撫でていく。両面を一気に洗う場合は親指で挟むようにしてもよい。このとき、洗剤が足りなくなりがちだから注意が必要だ。指先に引っかかりを感じるようならケチらず追加するべきだ。そうして汚れが取れたら、水流で指先とレンズに残った洗剤を洗い流し、水を止める。最後に、ティッシュペーパーで軽く叩くように水気を取ってフィニッシュだ。ティッシュペーパーはレンズが傷つく危険があるため眼鏡拭き用のマイクロファイバーか何かを使った方が無難だが、俺は清潔さを優先してティッシュペーパーを使う。こうして今日一日で汚れた俺の世界はきれいな姿を取り戻した。また明日も頼むよ、俺の片割れ。ちゅっちゅっ。あっ、しまった。洗い直しだー!
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