何処かの誰かの幸福論より

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 誰かに暴力を振るわれている、という嫌な可能性もゼロではない。ただその場合、手だけ怪我をしているというのは奇妙だ。しかも、自分の記憶が正しければ夢の利き手は右手であったはずである。裁縫などで怪我をするなら、右手も左手も同じくらい傷をつけそうなものではないか。他に何か頑張っていることがあって怪我をするのだとしても、利き手と逆の手だけ怪我をするというのは正直妙なところである。 「怪我どうしたの、って訊いても全然教えてくれない。大丈夫だよ、転んだだけだからって笑うけど、夢ちゃん全然大丈夫じゃないんだ。すごくやつれたかんじがする。大好きな飼育係の仕事してても、ずっと暗い顔のまんま。思いつめてるみたいなんだよね」 「動物が大好きなんだな、夢ちゃんは。飼育小屋の動物が死んじまったから落ち込んでる可能性は?」 「他の飼育係の子とも友達だけど、そんな話聞かないよ。そもそも、動物が死んで落ち込んでるだけなら、なんで左手にずっと怪我してるの?」 「だよなあ……」  怪我について教えてくれないことからしても、夢が春達相手に何か隠し事をしているのは間違いないらしい。しかも、それはサプライズのような楽しいものではなく、明らかに良くない方向のもので、だ。何か楽しいものを準備していて怪我をしたというのなら、尋ねられて慌てることこそあれ、普段からそんな暗い表情でばかり過ごすなんてことはないだろう。  弟も相当気にしているし、自分も知らない仲ではない。普通に心配だ。このまま放置していてはいけないような気がしている。  とすれば。 「仕方ねぇなあ。古典的なやり方で調べるか」  俺はうーん、とここ最近ろくに勉強目的で使われることもなくなった学習机の前で伸びをした。 「明日の放課後、小学校行くわ。夢ちゃんは委員会だろ。お前正門の前で待ってろよな。帰りに夢ちゃんを尾行だ!」 「おお、名探偵みたいでかっこいい!……けど、兄ちゃんの学校は?」 「不良ナメんなよ、いつも通り“自主休講”だっつーの」  まあ、不良とはいえいつも学校をサボっているわけでもないのだが。明日はタバコ臭くてモラハラ臭い、大嫌いな英語教師の授業がある日である。ぶっちゃけ、テストである程度点さえ取ってればそうそう留年などしないのだ。フけるに限るのである。  ちなみにこのことを弟に話したところ、真顔で“不良だって自分のこと言ってるけど、兄ちゃん煙草吸わないし、学校サボってほどほどの速度でバイクでかっとばしてドライブしてるだけだよね。あんま不良っぽくないよね”と言われてしまった。煩い自分でもちょっと思ってるわ!というのはここだけの話。  学校で一番凶悪だった番長をついぶっ飛ばしてしまって、それ以来わらわらと舎弟モドキがつくようになってしまった俺である。少しくらい不良っぽいことしてないと、カッコがつかないのだ。  ちなみに、バイクの免許はちゃんと持っている、念のため。
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