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「おい」
やがて彼女が入っていったのは、雑草が生え放題になっている近所の空き地である。場所が悪くて売り手がつかないのか、●●不動産、という看板も錆びて今にも倒れそうになっていた。そんな場所に一体何の用なのだろう、と俺は首を傾げる。
俺達が近づいていくと、スコップで土を掘るような、ざくざくという音が聞こえてきた。草のおかげで遮蔽物には事欠かない。今日は風も強いので、多少物音を立てても風の音に紛れて拾われる心配はないだろう。
そっと近づいていった俺達は、彼女が掘り起こした土の前に座り込んでいるのが見えた。何をしているのだろう、と思った時。夕日にきらり、と何かが反射するのが見えて息を呑むことになる。彼女が右手に持った、工作用のカッターナイフだった。
「指はもう、厳しいかな……」
ぽつり、と鬱々とした声が響いた。マジか、と思いながら見つめている先、彼女が左手の包帯を解く。
後ろからでは、全体像を見ることはできない。それでも分かる。彼女の左手は、人差指を中心に傷だらけになっていたのだ。全て線が引かれたような傷ばかり――切り傷ばかりだった。
そして彼女が意を決したように、カッターを手の甲に当てた時だ。
「夢ちゃん、だめ!」
俺よりも先に、春が飛び出していってしまった。はっとして振り向いた彼女の右手を強引に抑えて、カッターナイフをもぎ取る。
「だめだよ、夢ちゃん。自分で自分を切るとか絶対だめだよ、なんでこんなことするんだよ!」
おいおい、と俺はあっけに取られてしまった。リストカットを行う相手に、その言葉は禁句に近い。駄目だなんてことは本人もわかりきっている。それでもストレスが逃しきれなくて、それでも生きていこうと思って切ってしまう人間は少なくない。――なんせ俺の仲間にかつて、こっそり手首を切っていたやつがいるからよく知っているのだ。そういう奴らは死にたくて切っているのではなく、むしろ生きるために切っているのである。そこで強引に封印でもかけられようものなら、ストレスが発散できなくて欝をこじらせてしまったりするのだ。
それこそ、リストカットを禁止されたせいで結果として自殺してしまうなんてケースもありうる。だからこそ、慎重に事は交渉しなければいけなかったというのに――弟ときたら。
――ん?
しかし、カッターを取り上げられた彼女の反応は、予想外のものだったのだ。真っ青になって、震えている。怒りではなくそれはまるで、恐怖にも近い表情だ。
「な、なんで……いつから、そこに。見てた、の……?」
そのまま、夢は。
「あ、ああああ!あとちょっと、あとちょっとだったのに!なんで、なんでなんでなんでええ!あとちょっとで、帰ってくるはずだったのに、ナナコが!」
頭を抱えて、絶叫した。周囲に誰もいないような空き地とはいえ、俺達は狼狽するしかない。
あまりにも予想とかけ離れた反応だったのだから、当然だ。
「ナナコ……?」
その言葉に声を上げたのは、春の方だった。
「ひょっとして……夢ちゃんが気にしてた、猫ちゃんのこと?」
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