またあの笑顔に

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またあの笑顔に

アラームはかけなくても、私の正確な体内時計は午前6時にまぶたをパチっと開かせる。 ベットのすぐ横に置いたサイドテーブルから、携帯を手に取り時間を確認した。 やっぱり、朝が来てしまった。 しょっくを受けているハズなのに、ぐっすり朝まで寝れてしまう自分にため息が出る。 今日は、会社に行かないと決めていた。 手に持っていた携帯の画面をクリックし、会社に休みの連絡を入れることにした。 グループチャットでTOをつけて、上司や同僚、チーム全員に休みを伝えるのがルールだ。 〃おはようございます。 体調が優れないので、本日は休みを下さい。 ご迷惑お掛けして、申し訳ありません。 何か確認事項があれば、ご連絡下さい。〃 優れないのは体調ではない。 まぁ、業務連絡はこんなものだ。 余計な言葉を付け足して、気を使わせてしまったら申し訳ないし。 ブー、ブー。 しばらくは誰とも話したくないと思っていたのに、グループチャットへの着信に、とっさに反応してしまった。 「もしもし、おはよう」 電話の向こうから聞こえる声に、心が震えた。 「もしもーし、藤村?」 夢なのだろうか。 聞こえる音は、岡田先輩の優しい声だ。 「大丈夫か〜?  コンペが近いのに休むなんてらしくないから、よっぽど体調が悪いんだろう。」 これが夢なら、二度と醒めないで。 この心地よい岡田先輩の声を、いつまでも聴いていたい。 言葉を発してしまったら、夢が終わってしまうかもしれないと思うと、先輩の質問に答えられない。 白いカーテンに朝の淡い日差しが混ざり、先輩の優しい声に重なる。 部屋の中は、ぼんやりとした柔らかい光でいっばぱいで、より夢見心地になってしまう。 「一人暮らしなんだから、  本当にしんどい時は言うんだぞ。  コンペの件は、俺がフォローするからしっかり休んで。」 「え?」 「コンペは来週だから、週末に資料まとめれば間に合うだろ。」 おかしい、コンペは今日のはずなのに。 先輩と会話が噛み合っていない。 携帯の表示を確認すると、AM6:10と時刻が記載されていた。 日付は6月11日木曜日、先輩自殺をした前日だ。 夢じゃないはずがない。 時間が戻るなんて、物語の設定に過ぎないはずだ。 呼吸が早なり、自分の心臓の音ではないみたいにドクドクと鼓動が聞こえる。 さっきまでの穏やか状態とは、まさに表裏一体だ。 夢なのか現実なのか、私のいる場所は曖昧だ。 でも、今すぐそばにいるかもしれない先輩と向き合いたいと強く思ってしまった。 「先輩、今日会社にいますか?」 フゥーと大きく深呼吸をして、恐る恐る言葉を伝えてみる。 自分でもわかるくらい声が震えていた。 「もちろん。  今日は、コンペのデザインについて話し合う予定だっただしな。」 「わかりました!  私も行きます!  絶対来て下さいね!」 「え?大丈夫なのか?  無理して出社しなくても大丈夫だぞ?」 私の突拍子のない発言に少し動揺しながらも、優しく問いかけてくれる先輩。 いつもの岡田先輩だ。 私の知っている、優しくして穏やかで、大好きだと思えた先輩だ。 もう二度と会えないはずの先輩が、なぜか生きている。 「いえ、もう大丈夫です!  先輩と話したいことがたくさんあります!」 通話を終了し、勢いよくベッドから飛び出した。 いつもなら全身のコーディネートを気分と照らし合わせながら、しっかり考えてオフィスコーデを完成させるが、今日はそれどころではない。 本当はこのまま会社に直行したいところだけど、さすがにパジャマでスッピンはまずい。 最低限、最低限の身だしなみは社会人として必要だ。 きっと、生きていきたい中で最速の準備タイム。 まだ出社時間には30分早い、でも、体が勝手に動いてしまう。 まっすぐにのびた短い通路を抜け、玄関に揃えていた靴を履いた。 根拠も何もないけど真っ暗だった目の前が明るくなる気がして、ドアノブに手を伸ばした。 扉の外には、今まで見たことのない光が広がっていた。
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