定まらないな気持ち

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定まらないな気持ち

もう少しで会議が始まるから、本当なら資料の見直しをしている時間のはずだ。 プレゼンの最終確認もしないといけない。 でも、どうしても岡田さんの自殺を食い止めたい。 パソコンに向かって仕事をしようと思っても、明日をどう防ぐか考えてしまう。 朱理も相田くんも、篠原さんも、みんな仕事に没頭している。 チーム一丸となって大切に取り組んできたプロジェクトだから当然だ。 横目にうっすらと見える岡田さんも、以前と変わらず仕事に励んでいる。 冷静に見ると、私の頭の中以外は、前と変わらない時間が流れていることに気付く。 それなら、私が前と違う行動をすれば、何か違う風を吹き込めば、岡田さんの気持ちを変えられるかもしれない。 いや、変えて見せる。 そうだ、一人になるから気持ちが落ちてしまうのかもしれない。 どうにかして、岡田さんが一人にならない方法を考えよう。 キュルッと椅子のコマが動く音がし、岡田さんが立ち上がった。 「よしっ、会議室に移動しようか。」 「あっ!そうですよね!」 ヤバイ、あれやこれや悩んでいる間に会議の時間になってしまった。 前回、同じ会議をした時に指摘されたポイントがあったのに、直せていない。 まぁ、前回と同じようにこなせば、とりあえずはこの場をやり過ごせるから良しとしよう。 今は、岡田さんの命が優先だ。 某会社の新規ウェブサイトのコンセプトを提案するプロジェクトで、今回は岡田さんがメインでデザインや構成を考えている。 私は、岡田さんの補佐として、細かいデザインをサポートしている。 朱理はコスト面の説明を担当し、相田くんは過去のデータと比較した資料を提案した。 みんな力を入れていただけあって、会議はスムーズに終了した。 事前に間違いを訂正できたので、相田くんの説明も大成功だ。 ただ、一点違ったのは、岡田さんが私の発表が終わった後、わずかに渋い顔をしていた。 「これで良いと思うぞ。  さっき言った点だけ修正して、来週の本番までに最終調整を頼むね。」 「ありがとうございます!」 岡田さんの反応をよそに、篠原さんからはGOサインが出た。 厳しい篠原さんが笑顔で拍手をしているので、今回のプレゼンの出来は文句がないはずだ。 篠原さんから合格がもらえたので、朱理と相田くんは笑顔で会話しながら、自分たちのオフィスへと戻って行った。 会議室の片付け当番だった私は一人残って、岡田さんだけが途中で戻ってきた。 「お疲れ。」 入り口の扉横の壁にもたれかかり、岡田さんは会議の時と全く同じ寒い顔をこちらに向けている。 「お疲れ様です。  順調に進んでよかったですね〜。」 確実に岡田さんは納得していない。 それがわかっているくせに、あえて順調なんてワードを使って、会話を逸らそうとしてしまった。 しかも、岡田さんの顔を見ないために、机や椅子を整えながら返事をした。 「体調悪いなら、帰ってよかったのに。」 おだやかな雰囲気は崩れていないものの、いつよりトゲのある口調で言いながら、岡田さんも会議室の片付けを始めた。 「え〜、体調ならもう全然大丈夫ですよ!」  ありがとうございます。  片付けなら、一人でできるから大丈夫ですよ〜。  先に戻ってて下さい。」 静かな会議室には、机と椅子を動かす音だけが響いている。 岡田さんは、空気を読むのが得意な人。 私の変化に気付いてしまったのだろうか。 「本当?  でも、プレゼンに集中してなかったよね?」 「してましたよ!  ミスしなかったし、篠原さんの質問にもちゃんと答えましたよ?」 「そういうことじゃなくで。  昨日までの熱量はどこにいったわけ?」 仕事に手を抜かないストイックな人だけど、感情が顔に出ることが少ないので驚いた。 私を真っ直ぐに見て話す岡田さんは、明らかに怒っている。 優しいタレ目がキュッと上がり、口角も下がっている。 そんなこと言われても、私の熱量は岡田さんのことに全部注いでしまっているのだから、どうしようもない。 私自身も、仕事大好き人間だけど、今回ばっかりは優先順位が違う。 なんて返せば正解なのか、なんて言えば納得してもらえるのか考え混んでしまった。 もう、大丈夫です、は通用しない。 体調が悪いと言い訳してしまえば簡単かもしれないが、このまま帰宅させられる可能性が高い。 家にいたって、岡田さんの自殺を食い止める手がかりは、掴めないだろう。 「朝からずっーと何か悩んでるみたいだし、  これでも心配してるんだけど。」 どうにもならない沈黙を破ったのは、岡田さんだった。 今度はさっきとは打って変わり、優しい声と穏やかな岡田さんの顔があった。 岡田さんの優しすぎる表情は、私の心をえぐるのには十分すぎる。 仕事に対する姿勢を指摘されたことも痛い。 でもそれ以上に、せっかく時間を槍戻せているのに何一つ状況を動かせていない自分が情けなく感じた。 もう、何分も私は言葉を発していない。 頭を持ち上げておく力がなく、落とした視線の先には岡田さんの手が見えた。 両手を合わせ、薬指をクルクルと回している。 岡田さんはきっと私のことを見ていて、私の言葉を待ってくれているのだろう。 そして、ため息に程近い息使いで、ふーっ、と鼻から息を吐き出した。 「今日さ、家に帰ってからも仕事する?』 「はい。」 急に角度を変えた質問がきたので、とっさに答えてしまった。 「じゃぁさ、仕事が一段落着いたら、オンライン飲みでもどうですか?」 話の終わりに近くにつれて、だんだん喋り方がゆっくりになっていた。 若干歯切れも悪いし、声も小さくなっているのに、とてつもなく岡田さんが可愛く見えた瞬間だった。 仕事の先輩としてではなく、一人の男の人のとして誘ってくれているのだと、なんとなく、なんとなくだけど伝わってきた。 中性的な雰囲気の岡田さんらしいやんわりした誘い方。 下心がある嫌な感じではなく、まっすぐな気持ちを持っているのがわかる空気感。 「仕事頑張って仕上げるんで。  絶対ですよ?」 「え?うん。  もちろん!」 さっきまでの殺伐としたムードはどこえやら、新春期の中学生のカップル並の甘酸っぱい雰囲気が頬を撫でる。 岡田さんは、既に整頓したデスクや椅子を無駄に揃えている。 私は私で、どうしたら良いかわからず、あるかもわからないデスクのホコリを払っていた。 「片付け終わったよな?」 「あっ、そうですね。」 「じゃぁ、戻って仕事しよう。」 「そうですね!」 自分のデスクに戻ってからも、横に岡田さんがいるだけで体の左側が熱く感じた。 無駄に力が入ってしまい、15時に軽く休憩をする時には、左肩がガチガチだった。
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