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試行錯誤
切りの良いタイミングで仕事を終えたのは、18時30分だった。
仕事に集中できていたわけではないが、一度やった作業を繰り返し行っているので、内容は完璧だ。
「お疲れ様でーす」
真っ先に帰社したのは相田くんだった。
「相田くん、上がり?
お疲れ様!」
相田くんを見送った岡田さんは、仕事に集中していて、まだ帰宅する様子はない。
「お疲れ様ー!」
でも、相田くんが帰ったおかげで、私も帰りやすくなった。
クライアントとの打ち合わせまでにもう少し手を加える必要があるが、次の作業に取り掛かったら帰宅するタイミングが遅くなってしまう。
せっかく岡田さんと約束できたのだから、早めに帰って準備をしたい。
「いい感じじゃん。
藤村も、切りの良いところで終わりにしたら?」
横の席から私のPCを確認した岡田さんから、ナイスタイミングでOKをもらえた。
「ありがとうございます。
それじゃ、お先に。」
「うん、お疲れ様。
じゃぁ、またあとで連絡するね。」
「はい、待ってます。」
何の障害もなく現実を受け入れられた、岡田さんとのこのやりとりだけで、ここ数年で1番の胸の高鳴りを記録できたのに。
今の私は、ただ、ときめいていてはいけない。
岡田さんが自殺をしないために、彼の心と体を現実につなぎ止めておくために、何かしないと。
今夜が勝負なんだから。
「あ!藤村さんも帰りか〜」
オフィスの入っている入り口を出ると、自転車を引きながら歩いている相田くんとばったり鉢合わせた。
「お疲れ様。
今日は自転車で帰ったら気持ちよさそうだね〜」
「わかる?!
夜風が気持ち良いんだよ〜!」
少しだけ空を見上げ、風を感じながら相田くんはヘルメットを装着した。
「あ、明日も出社だけどさー。
体調悪かったら無理せず、リモートで参加しても良いと思うけど。」
「体調はもう大丈夫だって。」
「でも、今日一日いつもよ様子違ったじゃん。
無理は禁物!体が資本だぞ。」
相田くんにまで違和感を与えていたなんて、私はどれだけ余裕がない状態で1日を過ごしていたのだろう。
まぁ、誰も私が時間を戻っているとは気づかないだろうから、体調が悪いくらいに思っていてもらった方が助かる。
私以外は普通に生活しているのだから、未来から着た、なんて言ったら変人扱い確定だ。
「ありがとう。
無理しないで頑張るね。」
「おう、じゃぁお疲れ様〜!」
電車の窓から見える景色はいつもと全く同じで、全員を憶えていないが、前回の6月11日と同じ顔ぶれが乗車していると思う。
特に、すぐ隣にいる大学生くらいの青年は、イヤホンから爆音で流行りのバンドミュージックが漏れていたので、記憶に残っている。
二駅目に到着し、ドアが開いた瞬間に私はとっさに足元を確認したが、時は既に遅し。
足元を確認しないで乗車してきたサラリーマンに足を踏まれてしまった。
しかも、絶対踏んことに気づいているの、誤ってもくれないのだ。
一度経験したのだから、避ければよかった。
早く思い出して避けていれば、無駄にイライラしなくて済んだはずだ。
見知らぬサラリーマンは、忘れよう。
岡田さんから連絡があったらどうする?
まだ起きてもいない自殺の理由を確認するのはおかしい。
そもそも、私と飲みの約束をするってことは自殺を考えていないのかもしれない。
前回は会社で別れてから、岡田さんが亡くなるまで連絡すらとっていないのだから。
岡田さんの死亡時刻は、午前3時頃と聞いている。
そこまで時間を引き延ばせれば、確実に自殺を止められるのではないだろうか。
午前3時まで話が持つか心配だが、一緒に時間を過ごすのが得策だ。
そう言えば、仕事以外で岡田さんと二人で過ごすのは初めて。
本当なら、ドキドキしながらその瞬間が来るのを待つのが恋する女性の心情だと思う。
岡田さんと過ごせる嬉しさと悲しい未来を食い止める使命、交互に訪れる期待と不安で心がパンクしそうだ。
岡田さんとリモート飲みをするため、近くのスーパーでお酒とおつまみを買って帰宅した。
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