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別れ
いつも笑顔で優しい先輩が、突然死んだ。
こんなに悲しみに溢れた葬儀に立ち会うのは初めてだ。
いつも笑顔で優しく見守ってくれる人で、誰がどう見ても好青年だった先輩。
何より納得がいかないのは、自殺だったこと。
亡くなる前日も「お疲れ様」と笑顔で別れたのに、何が先輩の心を襲ったのだろう。
真っ黒な服をまとった人々が続々と集まる会場は、真夏だと言うのに雪が降り頻る12月の寒さに似た静かさだ。
27歳ともなれば何度か死がわかつさよならを経験したことはある。
亡くなった先輩、岡田裕樹さんは、若干30歳だった。
そして、たった3歳しか変わらない先輩の死を受け入れる能力は、今の私にはまだ備わっていない。
「先輩、いつもと全く変わらなかったのにね。」
軽くうなずくことしかできない私。
入社以来仲の良い私たちだけど、会話が盛り上がるわけもなく、2人とも自分の靴の先を見つめたままだ。
同僚の種田珠里も私と同様、先輩の死を受け入れられていないのだと思う。
ファッションの話やドラマの話、恋の話、たわいない女子トークを繰り広げる私たちだけど、先輩の死を知ってからは、業務連絡を交わすのみ。
「おー、お疲れ。」
目の前には、これでもかと言うほど黒い服をピシッと着こなした篠原さんが立っていた。
細身のスーツが長い脚を強調し、さりげないデザインがお洒落な革靴と、イケオジ感が伝わる。
篠原さんは私たちの直属の上司で、亡くなった先輩の上司だ。
篠原さんは私の顔を見て、最上級に気まずい顔をしている。
それもそのはず、私はその理由が痛いくらいわかる。
私だってどんな顔をして、会社の人たちと会えば良いのかわからない。
ふと横を見ると、こちらもまた気まずさを隠しきれない珠里と目があった。
「私、コーヒーもらってきますね。」
なんとも言えない空気に耐えかねた私は、セルフサービスのコーヒーを取りに、ゆっくりと歩き出した。
「なぁ、岡田と藤村って付き合ってたのか?」
篠原さんは精一杯の小声で話してくれていたが、残念ながら私の耳にもその質問は届いていた。
セルフサービスコーナーは近い上に、先輩の死を悲しむ人たちが集まる場内はあまりに静かだ。
「篠原さん、それってセクハラじゃないですか。」
珠里は私に聞こえているかもしれないと悟ったのか、篠原さんの質問を交わそうと鋭い切り返しをしていた。
風通しの良い職場なので、休憩中やお酒の席ではプライベートな話をする関係だ。
もちろん、社内恋愛は禁止ではない。
「いや、わかってるよ、わかってる!
でも、二人の関係知らないと、なんて声かけたら良いかわからないだろ。」
「まぁ、そうですよね。」
「付き合ってはいなかったみたいですよ。
でも、もうちょっとって感じだと思ってました。」
珠里は、一層小声で伝えていた。
「そっか。
俺らなんかより、藤村は複雑な気持ちだな。」
そう言い放つと、やりきれない思いとタバコケースを片手に、篠原さんは喫煙所へと向かった。
私、藤村沙織は、岡田裕樹さんが好きだった。
岡田さんが亡くなった日の1週間後、2人で映画を見に行く約束もしていた。
しかも、先輩から誘われる形でデートの約束をしたのだ。
仕事が佳境を迎える中、忙しない毎日を過ごしていたけど、デートを楽しみに日々をこのしていた。
その日が待ち遠しかった私は、デートに向けて新しいワンピースも買ったし、ヘアスタイルまで考えていたのに。
楽しみにしていたのは私だけだったのか。
それよりも、私は先輩を死から遠ざける存在にならなかった悔しさの方が勝つ。
篠原さんはブラック、珠里はミルクだけ、私はミルクと砂糖。
会社で作り慣れているせいか、心が空虚感に支配されていても、体は勝手に動いてくれる。
「藤村、俺も持つよ。」
そっとコーヒーを2つ持ってくれたのは、相田優だ。
相田は私の2年後輩だけど年齢は同じ、中途採用で実務経験もあるから同期のような付き合いだ。
「ありがとう。
相田も飲む?ブラック。」
「うん、もらおうかな。」
「私、明日会社行けるかな。」
「休んでと良いけど、飯は食べろよ。」
流れに任せて過ごしていたら、気付いたら、家のベットにたどり着いていた。
どうやって葬儀が進んだのかわからない。
最後の先輩の顔も濁って見えなかった。
現実を受け入れられないからか、先輩がいなくなってからずっと足がフワフワしている。
自分の心がどこに向いているのか、どこ向かえば良いのかわからない。
それでも明日はやってくるのだから、とりあえず寝てしまおう。
朝になればきっと何かがかわっている、そんな無鉄砲な思いを抱えて眠りについた。
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