3人が本棚に入れています
本棚に追加
鈴木梨子は秘匿している
「ごちそうさまでした」
ナプキンで口元を丁寧に拭い、カトラリーをテーブルに置く。すると洗練された所作のウェイターが、音も立てずに皿とカトラリーを下げていった。私はデザートを待つ間暇を潰すために、スマホを見ている素振り……をする。そしてメモ帳アプリに、文字を素早く打ち込みはじめた。
吉祥寺駅、徒歩十五分。レストラン『パヴァーヌ』。
平均予算は一人七千円前後。
本日は七千円のコースと、ワイン一杯を注文。
以下、コースの感想と採点。
『前菜、フォアグラのパテ』。味は文句なしに美味しい。ただ、盛り付けの優美さに欠ける。七十点。
『本日のスープ』。かぼちゃの冷製スープ。可もなく不可もなし。五十点。
『メイン料理、牛肉のオレンジソースがけ』。ソースの甘さが少ししつこい。肉の質自体は良く、提供部位も希少なもの。七十点。
今食べたコースの『評価』を、ものの数分で打ち込む。ウェイターがデザートを持ってくるのが見えたので、私はスマホをテーブルに伏せた。
私、鈴木梨子は……グルメ系webメディアの運営をしている。
私が書いた記事の閲覧数は、多い時には数十万PV。
実際に食し『平均八十点』以上を取った店しか紹介していない、そんな記事の信頼性が評判だ。
まずは『平素の状況での味』をたしかめるために客という立場で来店し、合格ラインであれば、改めて取材を申し込む。それが私のスタイルだ。
「お待たせしました」
テーブルの上には、見るからに繊細なデザートが用意される。
敷き詰められたクランベリーのアイスの上に乗った、濃厚そうなチョコレートケーキ。その上には愛らしい飴細工。なかなか凝ったデザートだ。
愛らしいスプーンで一口掬って口に運ぶ。
うん、クランベリーのアイスとチョコレートケーキのバランスが絶妙。
デザートは、文句なしの百点だ。
……だけど、平均八十点には届かなかったな。
「チェックを」
手を挙げてウェイターにそう告げ、私は次の候補の店に思いを馳せた。
☆
「……ダメだったか」
料理長とウェイターは今店を出た美女の背中を、肩を落としながら眺めた。
「鈴木梨子のお眼鏡には、適わなかったか」
「まぁ、仕方ないね。次にまた来るのを祈って頑張ろう」
二人は高校の同級生で、気安い仲だ。ウェイターがぽんと料理長の肩を叩くと、料理長は「うるせぇ」とウェイターに悪態をついた。
「鈴木梨子だって気づいて『ふだんよりも手間をかけて作ったんだがなぁ』」
そう言って、料理長は再び大きく肩を落とした。
大手グルメ系webメディア運営の鈴木梨子。
彼女は取材の公平性を期すために、まずは自分の正体を隠し、客として来店する。
――しかしその美しさは業界ではすっかり噂になっており、彼女の『隠しごと』は無意味となることが多い。
「本当に、綺麗な人だったなぁ」
ウェイターがぼんやりと夢見心地でつぶやく。
正体が秘匿されていると思っているのは――鈴木梨子、本人ばかりだ。
最初のコメントを投稿しよう!