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階段の踏み板は古い木造だった。元は赤く塗られていたのだろうが、すっかり色が落ち、茶色く白んでいる。擦り切れ黒ずんた手すりは石。踏み台だけ後に直したのだろう。
上りきった二階には「飯屋・赤瑪瑙」の看板が掲げられていた。大きな観音開きの扉は閉じられている。中庭を囲むL字のテラスの一角に、更に上へと続く螺旋階段があった。
微かに茶の香りが漂う。どうやらカフェは三階になるみたいだ。
行ける所まで行ってみよう。そう思い、手すりに並んだ植木鉢を横に、細い螺旋階段へ足をかけた。
上りきった先には古い木の扉があった。長方形と丸を組み合わせただけのシンプルなステンドグラス風の飾り窓がついていて、カウンターキッチンと並んだ椅子が見える。
クローズの文字は見当たらない。
軽く手でノブを押すと、「カラン」と乾いた音が響いた。
そこは小さなテーブルの並ぶ、テラスのある店だった。
春の風が吹き抜ける。
壁があるのはコの字状の手前側。奥の仕切り窓の向こうは、庇を伸ばしたテラスになっている。二人掛け程度の小さなテーブルが奥側と手前側の壁に三卓ずつ。テラスに三卓、合わせて九卓で小さな空間は埋め尽くされていた。
手すりの向こう側は通りと古ぼけたビルと、更に向う、陽光にきらめく海が見渡せる。お客さんの姿は無い。
「いらっしゃい」
カウンターキッチンの奥、食品庫にでもなっているのだろう辺りから年配の女性が姿を現し、ゆったりとした声をかけてきた。
この店の主人だろう。色が抜けたような枯茶色の髪をまとめ上げ、てろんとした生地の細かい柄がプリントされたシャツをラフに着ている。タイトな膝丈のスカートにサロンエプロン姿で、他に人の気配はない。
「好きな席にお座りな」
「あぁ……はい」
言われてテラスから遠い、カウンターに一番近い奥の壁側についた。
黒茶のテーブルは昔好きだった古い机と手触りが似ている。多くの人を迎えてきたのだろう、使い込まれて程よくペンキやニスが薄くなっていた。
メニューは女主人が持って来た、両手の平ほどのボードがひとつだけ。
「旅行者かい?」
常連ばかりが来る店なのだろうか。
そう思いつつ、見覚えのある文字の茉莉花を選んだ。
「……みたい、なものです」
「ということは旅行者ではなく、放浪者かね」
カウンターに戻る女主人を目で追う。
放浪者――何故そう思ったのだろう。僕の荷物を見てのことだろうか。不思議に思う気持ちが顔に出たのか、女主人は口元を笑みにして返した。
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