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ロクに眠れもしなくなってどれだけの日数が経ったのだろう。そろそろ体は疲れ果て、動けば沼の中を進むように怠い割に、やけに軽い。
あの日より以前も状況や、頭を悩ます数々を考えれば似たようなものだったかもしれない。けれど疲れ果てた体が回復することもなく、寝ても覚めても冴えない頭の中は諦めにも切り返しにもどちらかに偏ることもなければ纏まることもない。
永久に蝕まれる自分自身に歯止めをかけてやれるだけのまともな自分も、もう残ってはいない。いっそ追い討ちにとどめでも刺してもらえた方がずっと楽なのに、そこばかりは気を遣われて追い詰めてももらえなかった。
叔父の口から聞かされた十八年前のあの日の真実を知っても尚、叔父は大槻が如月に関わることもこの町に関わることも、なにひとつ制限することもなかった。
叔父自身がそうであったように、全ては各々の正義と思いによって保たれている。その均衡は諸刃であるはずが誰しもが強い情によってきつく結びつけられているようだった。
大槻は先日の如月での騒動の原因となった篠宮良介の自宅に向かっていた。昼過ぎまでは職場で仕事を済ませ、摂りもしない昼食時間を経て、地元へと向かった。片道四十分程、慣れた列車に揺られ、取り付けた約束の時間にだけは、間に合うように。
健康診断で騒動を起こした篠宮良介は、その日以来不登校となってしまったた。発した言葉が言葉だけに、相当のストレスがあってのことなのであろうが反面、本当に彼はなにかを知ってもいるのかもしれない。その二つの意味での、確認だった。
元々この町の出身である上司と自分、その関係性だけではあるものの、だからこそ閉鎖的な田舎町には絶大な信頼があるのもわかる。
町の中からも外からも見て来た大槻にとっては最早、この土地はそうした生き物なのであろうとすらも思う。見知った者同士で固まって生きていたい、〝波風は立たせたくない〟、立つ波も風も、その見知った者同士で、かき消していきながら生きている。
「それでいい」と思える時点、そこには偏った田舎ならではの習慣や考えが根付いてはいる。だが、今大槻を悩ますこの件についてはなにより感情が強く、大きかった。それを法だけで処理するのでは触れなくとも良い傷を負うのも理解は出来た。
本来ならば大槻が向かわずとも正式な人間が行けば良いだけのこと。けれど見知った者で丸く収めたいこの町は、わざわざ町出身の上司に連絡をし、その上司は大槻を向かわせた。
地域密着というものも、使い方がこうでは聞いて呆れた。自分自身もそうした枠組みの中で生きていたのだと気付いてしまったのだから。
やりきれない。任された仕事も、感情も。
篠宮良介の自宅に近づくにつれ、元々、既に気力のない足取りが更に重くなる。出来ればたどり着きたくはない。居留守を使ってくれても、お前達警察の所為だと怒鳴り散らして、帰れと言ってくれても構わない。
大槻には如月のことなどもう、どうにでもなって、勝手にやっていて欲しかった。けれど願うだけで叶うはずもなく、大槻の視界が篠宮の自宅を捉えてしまう。盛大に漏れ出たため息と同時に、肩が異様に重くなるのを感じていた。
ごねる頭と、それでもまだ残ってはいる責任感のやり合いで足を止めたまま立ち尽くしていた大槻の目の前に、唐突に人影が飛び出して来たのは大槻が立ち止まってしまってから数秒のことだった。それは篠宮の自宅から飛び出し、間もなく大槻の目の前に来るまで迫る存在にも気がついていなかったようだった。
危うくぶつかり合う所で一瞬の足踏みをし、慌てて大槻を除けて去る足取りは駆け出すように早まり、背後では遂に走りだした足音が遠のいていった。
まるで嵐に巻かれたようだ。
大槻は、その一連、身動きがとれなかった。飛び出してきた人物が忙しなく動く所為で動けなかったわけではない。
その人物が、今、最も見たくはない存在であった、その為であった。
如月で受けた最初の違和感、その、彼が、たった今、篠宮の自宅から飛び出し、大槻とすれ違って行った。
――違和感、そう、岬と似た造りの、似た空気感を持つ、あの生徒だった。
何故、どうしてこの家に彼がいたのか。何故こんなタイミングで目の前に現れてしまうのか。やっとの思いでここまでたどり着いたというのに、どうしてこんな時に。
こんな小さな町に暮らすのだ、同じ学校であれば友人関係でもおかしくはない。彼と篠宮良介が友人関係であってもなにひとつ、おかしなことはない。けれど、何故、今。
大槻を蝕む黒い靄のような感情が体の隅々まで行きわたる。満たされてしまうその感情は嫌悪感よりも遥かに超えたものであるはずが、頭のどこか、僅かに正常な部分が彼にはなにも関係がないと正しい反応をしてはいる。
けれど、結果である現実を知って、あまりの違いに更に嫌気がさす。いや、わからない。結果はこうであってもそれは見えている部分なだけで、彼にも抱える問題があるのかもしれない。
何度も何度も、黒い靄で満たされていく自分を僅かな正しい自分が叱責する。水掛け論所ではないのだろう、きっとどちらも正しい。感情の部分と、それ以外の部分とで。
だがこの一連、絶対悪は結果ではない、元凶でなければならない。彼すらも結果だったとしたらどうする、ことを起こしたのは、彼ではない。
高速で回り続ける脳内は収まる気配もない。大槻は震える呼吸を飲み込み、篠宮宅のインターホンを鳴らした。
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