第一章

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 吐き気がした。嘔吐きそうな感覚で急に視界が明るくなって、外は相変わらずの雨天だというのにまるで一瞬陽でも射したかのような明るさだった。  飛び出した教室から走り続け、教室棟から体育館まで伸びる渡り廊下でやっと岡崎の足は止まった。一度も休まず、まして急に走り出した所為で呼吸の度に喉が痛んだ。鉄の味までする、口の中が冷たい。  飛び出したのが丁度昼食時で、あの一件から暫くの間昼食の時間も皆教室で過ごすようにと決められた為昼休みにも繋がるこの時間でも人気はない。なにより今は体を動かすよりも憶測合いのほうが忙しい、皆、大体がそうだ。岡崎自身それをわかってここまで来たというわけでも、ないのだが。  自分に溢れた感情の把握と整理が追いつかないでいる。どうして飛び出してしまったのか、そこまで耐えられなかった原因が何であったかも上手く説明が出来ない。ただ、あの場に留まっていられない程の不快感と振り払いたくなるような嫌悪感があったのは間違いなかった。耳を塞いで、目を閉じて、大声で全てをかき消してしまいたくなった。そして瞼を上げたら、今ある全てがまるでなくなり、晴天と青が広がっていたらと、本気で思った。  別段、死んだ二人とそれ程に仲が良かったわけでもないのにも関わらずどうしてだかたまらない。まるで全てを知っていたかのように話す者、ほらやっぱりと見透かしていたとばかりに話す者。その誰もが真実など知りもしないはずで、なのにさも中心にいるかのような言葉も声も不快で不快でたまらなかった。もやもやした嫌な気持ちであるのは理解しているももの、持て余してしまう。これがなにかわからない。それは違うと言えるような立場でもないのも、また嫌になる。  望みとは相反して、空は今日も重い雲で覆われ雨を降らせている。この雨に流されたら、今なら心地よいと感じるのかもしれない。岡崎は窓を一枚開けて、思い切り雨独特の外気を吸い込んだ。  湿気が脳を通過していくようで少なからず冷えていく。纏まらない思考を一旦、平坦に撫でるような。 「怒られない?」  不意の声を受け岡崎の肩が跳ねた。瞬時に声のした方向へと振り向くと既視感のある人物が廊下の突き当たりからこちらに歩んで来ていた。  まさか追って来たとは思えないが何故彼がそこにいるのか、岡崎が駆けて来た方向から現れたのは先程、絡みつく全てを振り切って走っていた時見かけた男子生徒だった。一目で記憶に残る程、白い髪をした。 「昼は皆で食べないといけないんでしょ、今は。ここにいて怒られないの?」  口に出した言葉とは裏腹に、彼は岡崎に歩み寄るのをやめない。自分は関係はないけれど君はどうなのかと委ねているような印象だった。 「見つかれば、怒られるだろうけど」 「そっか、まだ見つかってないしね」  岡崎の横一メートル程で止まり、男子生徒は窓の外を見た。その男子生徒を、岡崎は横目で、控えめに盗み見る。同じ年頃のはずだが、岡崎の祖父母よりもはっきりとした白髪だった。やはり珍しくはある、校則では髪を染めるのは禁止されているはずで、知る限り目立った色の生徒はいなかった。  となれば、彼は地毛なのだろうか。では、どうしてと、どうしようもなく目がいってしまう。  一旦、沈黙が雨音と一体になった。そこまで強くはない雨脚は空間を静めてさえいて、どこか嫌ではない静けさだった。 「君は何年?」  白髪の生徒が問い、岡崎は反射的に目を逸らした。 「一年」 「そう、じゃあ、一緒だ」  言って踵を返すと思いきや、白髪の生徒は岡崎に向き直り笑みを向けた。一瞬奇妙な感覚が過ったのは、こんな状況や場所でと嫌気の延長だったのかもしれない。 「C組の屋良岬、よろしくね」 「……Bの、岡崎啓介(おかざきけいすけ)」  見た目と違えることもない声音も僅かな表情も、静かな雨音と相まる妙な空気感を持つ奴だと岡崎は思った。
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