第二章

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 兄の信一よりもずっと色素の薄い弟は、見ようによっては殆ど白髪のようなもので幼い頃からこうした言われをされていた。  彼自身はその言葉になんの感情も動かされていないような、本来持つ感情すらも薄い印象だった所為で他人が思う程自身の髪の色に重要性や興味を置いてもいなかったのかもしれない。  よく似た容姿を持つ兄弟だが、確実に似ていないのはその感情の起伏の部分だろう。信一は性格の穏やかさから怒りの感情は低いものの、その他は強い。喜ぶ時も哀しむ時も、楽しむ時もはっきりした性格だが、弟は違う。いつもどれもが平坦で、滲みだすような僅かな感情も乏しかった。  こと、幼い頃の彼は一層感情が乏しく、笑顔になるのも家族に向けてのみだった。つまりそれは信一とその父にのみで、早くに亡くなった母親に対してはそうであったのかどうか、母親が亡くなってからその存在を知った大槻の記憶にも勿論残ってはいなかった。  屋良家の母親は同い年の大槻と信一が十二歳の時に亡くなった。物心もついて、はっきりとした自我すらもうあったあの頃に信一の環境が激変してしまった。  元々、屋良家の母親は体が弱かった。信一が何歳の時だったかあまりに体調が芳しくなく、その上更に屋良医院はまだ開業して間もない。住人に心を開いてももらえていない頃の屋良医院はこと忙しく、住人の輪にも勿論入り切れてもいなかった所為もあるだろう。恐らくそのストレスも祟った。遂に母親だけが違う家に住むようになったのだ。  今の知識や見てきたもので考えるとあれは単なる別居だったのかもしれない。忙しいだけの夫、田舎の人間の特異な関係性、あの当時では近隣へ出るにも時間がかかった。まして信一も小さく、好きに出かけることも適わなかっただろう。聞くにずっと都会で生きてきた人ならば、嫌にもなる。  体調も、本当に良さそうには思えなかった。  幼い大槻の目で見ていても線が細く、美人薄命という言葉がよく似合った人だったと思う。記憶に残る屋良家の母親は小柄で身体も細い。笑うと垂れる眉が特徴的で、その笑顔は綺麗に信一に遺伝している。弟の笑顔はさほど記憶になく、判断は出来ないが。  あの頃は本当に色んなことが起こった。常に忙しそうな印象しかない院長は更に忙しそうだった。子育ても加わったのだから仕方がない。屋良家の母親が亡くなった時、信一は十二歳だったが弟はまだ二歳だったはずだ。  大槻がその弟の岬を初めて見たのは、彼が十歳になった時だったのだが。 「……」  随分と古い記憶が廻っていた。  如月の一件以来、思いのほか忙しくしている。転落の瞬間を見てしまった生徒もいた為、その殆どが如月の生徒への配慮のような役目だった。怖いと精神を崩してしまった生徒も何人かいて、大槻の部署は元々の職務上も関係して彼らの心を守る動きをしていた。  事件から数日間は町をパトロールがてら生徒の様子を見守り、時には話も聞き、そこに混じって住民の話も聞いた。しかし地元というのも関係して見知った老人の話は長く、また同級生やその親もいる。ここ最近の大槻にとっては最早仕事というよりもただの帰省に近いものがあった。  数日間、自宅のある隣の市と町を行き来した。その疲れがどっと出ている。疲労を背負ったまま、今しがた大槻が到着したのは病死した川村司の葬儀会場だった。  町で行う葬儀は決まって会館で行う。故人の自宅や葬儀会社の関係でもなく、町の持ち物であるさほど大きくもない会館は町内会や祭り、商工会や役場、様々な団体が催しや忘年会、新年会でも使用する建物で行うのだ。  そこに葬儀会社の介入はない。そもそもこの町に葬儀会社自体がなく、大昔から町の葬儀を取り仕切るのは町の有志が主体でその形は委員会のようなもので営利的なものでもなかった。勿論葬儀ごとに給与が支払われているわけでもない。昔ながらの手伝いなのだ、町が村であった頃のまま、全く変化のない部分である。  会館の周辺には所狭しと車両が駐車され、近隣の店や民家の脇にも停められているがそれも勿論咎められることはない。誰もが知った顔であり悪意のある行為でもない。これが昔ながら続くこの町の習慣なのだ。  それを見越して大槻は自車では来ずに電車で訪れ、そこからはタクシーで乗り継いだ。幾ら地元とはいえ実家の家族に頼るわけにもいかない。それ以前に、気分ではない。単に、家族に顔を合わせ会話する気力さえがないというところだった。  大槻はあれから、川村司の死について信一と連絡を取った。信一は川村司の死自体は知っていた。というのも、川村司は幼い頃から重い不整脈を患っていたのだそうだ。  通院や検査、様々な環境から中学までは町の学校ではなく隣の市の学校に通っていたが、屋良医院にも通っていた。そうして先日、あの大槻と飲んだあの日、屋良医院に一報が入っていたのだという。信一は外に出ていた為、父親の屋良院長が一報を受けていて信一がその知らせを受けたのは大槻と飲んだ後、帰宅後だったのだと言う。  通院の状況やらも聞いたには聞いたのだが、そこからは大槻ではなく同僚が行った。先入観のないよう、そこは配慮された。  そして今日、この葬儀を終えた後はこのまま屋良家に宿泊する。休暇でもあるのがもともとだが、直接信一から話を聞きたかった。  疲労が眠気を寄せるのか、それとも単に葬儀独特の空気感でか、大槻の瞼は今にも落ちてしまいそうだが会館の喪服の中に灰色の詰襟が三分の一は埋め尽くしていて僅かでも気を抜くわけにはいかなかった。あれだけの事件でこんな場所ではわからないが、それでも警察である自分の顔を覚えている生徒もいないとは言えない。あの日のように身を律し、背筋を伸ばして焼香を終えた。  短い廊下を抜け、灰色の詰襟達の目の前を過ぎる時、大槻はあの日感じた違和感をまたも、感じた。しかしあの日と同じようにその違和感を確認しようと振り返っても焼香を終えた人々の歩に流されて、この日も違和感の原因を確かめることは出来なかった。  出棺までを見送るには関係性が薄すぎる。大槻は自ら遠い場所に身を置いてそれ以前にこれ程参列者が多すぎては入り切りもしない。会館の外、敷地内ではあるが霊柩車に乗る棺までは見えない距離で手持無沙汰に佇んだ。  地元だけあって顔見知りは山ほどいるにはいるのだが、家族に会う気力さえない状況で更に気を遣わねばならない相手となると今は遠慮したい。極力目を合わさぬよう俯き、それでも声をかけられた時も仕事中だとそつなくこなしてやり過ごした。  やがて会館から川村司の両親が出て来た様子で棺が運ばれて行くのが見えた頃、大槻は妙な気分になった。この町で、自分よりも遥かに若い人間をこうして見送るなど初めてのことだったかもしれない。  この町に住んでいた頃ですら自分よりも若い住人の葬儀はなかった。いや、参加したことがないだけで、実際にはあったのだろうか。この過疎と高齢が進む町で、今まさに霊柩車に乗せられようとしている彼のような存在がどれだけ稀有であり、彼自身もまた遺族にとって眩しい程に輝かしい未来だけが待つ、そんな存在であったはずだ。  関わりを持たない相手だとしても若い人間が逝ってしまうのは締め付けられるような感覚があった。そこに必ず希望を持っていた家族の涙があるのが、痛い。
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