第二章

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「そう、川村君の話」  途端、真逆の話題に変化し大槻は別の意味でも手を止めた。  それこそを目的に屋良家に一泊を決めた大槻であったが、いざ信一を目の前にしてここまで話題を持ち出せずにいた。  葬儀が終わったばかりでは、外では食事中では、時を見計らってもいたのだが、そう考えていたのは実際大槻だけの話でそれは気を遣っていたのとは少しばかり違う。ただただ、大槻はこの話題を真剣に話し合うだけの度胸がなかった。「忘れて帰る」ことも出来てしまっただろう。  まさか業を煮やしたわけではないはずだが、なんのことでもないように話す信一に少なからず身構えてしまった大槻は固まり、奇妙な間が広がりきってしまわないよう、言葉が濁る前に声を発した。 「ああ、いや。殆どはもう話してあるんだろ? それはもう俺も聞いてるんだ。でも、なんていうか、こうも立て続けに続いちゃ……一応、岬君も同じ如月だろ」 「へえ、驚いた」 「なにが」 「何かに配慮してその上、圭一が岬のことを心配して言葉を過ぎないようにも配慮してることに驚いた」  図星をつかれたことにも、信一のその表情にも大槻は恥じらいが隠せず、思わず椅子に片膝を立ててしまう。 「お前がいいなら本当に聞くけど、川村司は医院に通ってたんだよな? こっちで纏めてる情報では気管支と、不整脈で」 「そう。小さい頃は本当に大変なこともあったし、そのお陰で中学校までは町の外の学校に通ってたんだ。町の学校ではなにかあった時に対応が出来ない所為もあったんだと思うけど。それが中学生後半……二年の終わり頃からかな? 多分本人も体が育って心身ともに安定した所になったんだと思うんだけど、本人が如月に通いたいって言い出したんだ。それで俺も御両親も揃って相談に乗ったんだけど……」  会話の語尾が濁っていく様がまさに「こんなはずでは」という言葉そのものであった。  大槻はこめかみを押さえ、昼の葬儀を思い出していた。噎せび泣く者、俯く者、遺影を持つ手も頼りない程憔悴した母親の姿は見ていられなかった。「こんなはずでは」、その一言がまさに象徴である出来事となった。 「過多のストレスからの不整脈、が死因だったか?」 「相当のストレスがかかったんだと思うけど、でもこの辺の詳しくはお前の同僚に話してるから、個人的に話すのはよくないんだろ? まあ、もう、無駄なような気もするけど」 「ああ、いや、あり得るってことなんだよな? その、不整脈でってのは」 「あり得るよ。ある意味とても身近でもあるし、俺たちより少し上の年齢になると不整脈を持ってない人のほうが少ないようなものなんだ。でも、それは突然死っていう印象の強いもので、直前に心電図を行っても命が危ないとはわからなかったりもする。川村君は子供の頃から喘息がある上で不整脈があって、たまたまタイミングが悪かったりすると気を失ってしまうこともあって……いや、よくないな、話すのはやめよう」  信一は大槻がわかりやすい言葉を探るように話しを進めていたが、一瞬で我に返った。それは聞いている大槻が真剣に聞き入り、そして昼の葬儀を思い出していた所為であろう。そこに悲痛さが混じって、きっと聞くに堪えないとばかりの表情をしてしまっていたに違いないかった。  大槻は今、信一が医師としての立場ではなく、屋良信一《個人として話していたのだと悟った。もう亡くなってしまった、ましてまだ若すぎる死を、こうも簡単に話しきってしまうのは感情が許さなかったのだ。「よくない」のは話題や立場ではない。  信一の真摯さに対して大槻もまた覚悟を決めた。信一のように立場上ではなく自分自身として疑問に思ったものを、今日ここに問いに来たのだ。  大槻には誰よりも長く共に過ごしてきた自覚がある。この、幼馴染みの屋良信一という人間を知っているからこそ、感じた疑問を。 「いや。いや、悪い、一個だけいいか?」 「なに?」 「俺と飲んでた時は、川村が死んだことは知らなかったんだよな?」  今日、大槻が信一に聞きたかったことは、実のところ川村司に関してのことなどではなかった。そこに関しては自分以外の誰かが信一から聞いて、もう済んでいる。凡そ事件性もないのであろうが、あろうがなかろうが、大槻はそこに関わる立場でもない。  ただ気がかりなのは、この心優しき幼馴染があの日、自分と飲んでいる最中、この若者の訃報を本当に知らなかったのかどうか、それだけが明確になれば良い。  それだけ真実であれば薄情であれ、冷徹であれ、大槻にとって川村司の死は悼みはするものの正直な所深みのあるものではない。  この町に住んでいて、屋良医院という絶対の存在である信一が、本当にあの時間まで川村司の訃報を知らなかったとは、正直なところ考えにくいのだ。  この町は小さく狭い。多くの習慣や風習が残り、まして医院は老人が多く集う場所であり情報が漏れて回る。なにより川村司の体調異変が起こった際、屋良医院に一報がいかないわけがない。  この町の出身でも田舎町出身でもない同僚ならば信じて疑う部分でもない。だが大槻はこの町で生まれ、育ち、そして人生の殆どを信一と共にこの町で過ごした。  そんなわけがないのだ。大槻は知っている、知っていなかったはずがないことを。  大槻にとっては願掛けのような、問いかけだった。そして、それに返された信一の表情はまるで聖職者が向けるような、あまりに正しい笑顔であった。  そしてすぐに頭を振る。自身の力のなさを、悔いるような表情で。その表情もまた、あまりにも正しい。 「死亡連絡ともなれば僕より父さんにってなるのも割と多くて、今回もその中のひとつだったよ。風呂も済ませてさあ寝ようって時に、そんな報告しなくてもって思ったけど、一日が楽しいままで終わるより、寝る前に色々考え尽した方が次の日はひとつ、なにか利口になれている気がするよね」  信一はこれまで何人の死を飲み込み、受け入れて来たのか大槻は知らない。しかしその始まりが信一本人の母親であったことだけは知っている。死を飲み込むのがどれ程難しく、どれ程引きずり、その人物の人生のに張り付くのかも。  大槻には食べ慣れたれんこんのきんぴらを、信一は飽きた様子もなく口にする。  慣れや、飽き、飽和、均一な日常、変わらない、変化したもの。どれもが一日に目まぐるしく、大槻は眩暈がしそうだった。  やがてそれも飲み込まれる。それも、慣れて、飽和していく。  信一はあの時間、まだ院長から川村司の訃報を聞いていなかった。そうしたい大槻にとって信じる以外に、なにもなかった。
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