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決意を固めて帰宅した大槻だが、しかし実際のところどう、なにをしたものかあぐねていた。ドラマや映画のようにことが全て順調に進むわけもなく、幼馴染の挙動やその家族がなんだか怪しい、そんな程度でなにかを始められるわけもなかった。
今、大槻が取り組めるものは大槻自身の持つ時系列と信一の呼び出し、住人の訃報、それらを重ね合わせる程度になった。
勿論、全ての情報を引き出せるわけもない。住人の訃報については検索をかければどうにかはなったが、大槻自身が持つ信一とのやり取りについてはその間にスマートフォンの機種変更なども経ておりその都度丁寧にやり取りを保管して残しているはずもなかった。
殆どが大槻の記憶が頼りになる。これほど頼りないものもない。
手始めに町の不幸記録を調べた。あの小さな町は毎月町報を各家庭に無料配布しており、その一部にはその月の不幸欄と新生欄がある。
不幸欄にはその月に亡くなった人物の名前がお悔やみと共に記載され、新生欄にも名前と祝福の言葉が添えられている。これらの町報は役場のホームページでバックナンバーが開示されており、そのページを進んでいくだけで作業は事済んだ。
過去何年分があるのかわからないが、大槻の記憶を頼りに、違和感を感じた頃から遡った。その期間はおよそ見積もって、約四年前から。
そんなにも長くの間黙って受け入れていた自分の不誠実さに辟易するが、どうしようもなかった。それ程、信一との関係も、自分にとって屋良家の存在も必要だったのだ。
四年前からの不幸欄を確認し、記憶にあるものだけを別に書き出して残していった。小さな町は名前と住所の一部だけで郵便物が届くのと同様、どこの誰であるかもすぐに一致する。信一に呼び出された日に聞かされた住人ならば尚更、断片的でも蘇る会話の内容でそれが呼び出された日に亡くなった住人であることがわかった。
確認し、書き出し、思い起こす。この作業を続けて、大槻は愕然とする。恐らく違和感を持ったのであろう四年前、その頃から既に信一の「二ヶ月置き」に大槻を呼び出す行為が始まっていたのだ。
だが、それは常に「二ヶ月置き」であるわけではなかった。ある時期に集中して起こり、それ以外は呼び出しもない月もあった。記憶にはないがもしかしたら単にどちらかが忙しかっただけで会う機会がなかった結果なのかもしれないが、大槻はここまで来るとそれすら怪しく思えてきていた。
「二ヶ月置き」の呼び出しは一年の内二回に分けられていた。春の始まりから夏が始まるまでと、秋いっぱいの間に。
逆を言えば夏と冬にはない。だが、それはお互いの仕事の状況の所為であろうと大槻は思っていた。
夏は大槻の仕事が単純に多くなる時期であった。夏休みや海の解禁やらもあってハメを外す若者が多く、大槻の仕事がハードになる時期でもあった。そして冬には信一の仕事が忙しくなる。風邪やインフルエンザと忙しないのを知っている。
けれど、そればかりが理由ではなかったのかもしれない。
役場の町報を確認し、その間に不幸欄がどうであったのかを確認するとそこで呼ばれる期間とそうでない期間の差がはっきりとした違いがあった。過去四年分、呼ばれる期間には不幸欄に名前が少なく、呼ばれない期間には、名前が多いのだ。
不幸の数が少ない期間に信一は大槻を呼び出す、それが「二ヶ月置き」。きっかり、前回から「二ヶ月置き」に。
その二ヶ月の間になにがあって、何故二ヶ月を開ける必要があって、何故呼び出すのか。ここまでは大槻の記憶を頼りに考える他なかった。「そういえば前に会ったのは二ヶ月前だったよな?」なんて、本人に直接投げかけるマネも出来やしない。まして、次回の二ヶ月後を待つわけにもいかなかった。
三上章の葬儀から戻った大槻は職場へと直行し、時間を見つける度に役場のホームページで町報を確認し続けた。身を縮こまらせてスマートフォンを操作する長時間は大槻の上半身を固まらせてしまい、今は歩くだけでも辛い程凝り固まってしまっている。首を回すと肩甲骨の中心辺りがやけに痛い。自然と歩調も遅くなり、帰路がまるで縮まらない。
凝り固まった首で頭上を見上げると一面がほぼ黒いのみで星は数えられる程度しかない。電車で四十分、たったそれだけの距離でこうも違うのか。一旦物悲しくなったが、いや違う。そもそも住んでいる人間の数が違えば光量も違う。足元があまりにも明るい所為でかき消してしまっているのだろう。星が少ないのではない。
同じだけか、それ以上に、本当はそこにあるのかもしれない。そう考えると、大槻はやはり余計に、物悲しくなった。
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