第三章

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 荒れ狂う篠宮はあの後教師に支えられた足でそのまま帰宅した。しかし、篠宮の行動やその様子、言葉は十分過ぎる程に生徒達を不穏で包み、学校を休む生徒は相変わらず後を絶たなかった。大人達の目論見もはずれ、結果〝健康診断〟も失敗に終わった。だが、なにも篠宮の所為でというわけでもない。きっと篠宮が荒れなくとも成功とはならなかっただろう。  当の篠宮は、あの日以来学校に来なくなってしまった。  噂では彼のあの発言を巡って警察が頻繁に篠宮の自宅に訪れているとか、そんな話も聞いていた。篠宮が三上と川村について何か知っている上、その負担であの日、あの状態であったのだとしたら、確かに放っておけるものではないと岡崎を含め生徒達にもそうであろうと理解出来ていた。  けれど、岡崎にはそれ以外にも気がかりな点が一つ、あった。  あんな事が起きてしまうずっと前、あれは三上が屋上から落ちた日のことだ。体育館から出た廊下で、篠宮は岡崎に話が出来ないかと聞いてきた。あれは、話を聞いて欲しいと言うよりは、話をしたかったのかもしれない。  篠宮が荒れ狂ったあの日に、岡崎はその約束を思い出して、悔いた。もしかしたら諸々で長引いて挙句、その約束を流してしまった所為で篠宮は追い詰められてしまったのかもしれない。誰かに話して頭の整理だけでもついていれば、あの日あんなことにもならず、今も篠宮は学校に来ていたのかもしれない。  岡崎自身は篠宮とそれ程仲が良かったとは感じていなかった。しかし、篠宮はわざわざ岡崎を選んで話がしたかった。岡崎でなければと、篠宮は思ったはずなのだ。  岡崎は悔いた。篠宮がまだ学校に来ていた間に少しでも彼に割ける時間はあったはずなのだ。教師の反応に流され、その機会を逃してしまった。  だが、篠宮が不登校となった今、逆にその自由が利く。彼の様子を見に行く、という建前は、今や何よりの武器ともなり、教師には有難がられるばかりで咎められることもない。篠宮が不登校になってしまってから数日、下校途中、岡崎は彼の自宅を訪問した。  他に篠宮の様子を見に来たクラスメートはいなかったようで、玄関で出迎えた篠宮の母親は心底安堵した様子であった。それ程仲が良かったとは言い難い間柄ではあるが、岡崎が同じ町の住人であるだけでも十分に安心で出来る材料であったらしい。  母親に通されて二階の部屋へと上がると、扉が開くなり目を丸くして乾いた笑みを浮かべた篠宮と対面した。一瞬、制服姿の岡崎を訝し気に見たのだが、恐らく、あの日の約束が篠宮の脳裏にも浮かんだのであろう、成程、と言った様子で岡崎を部屋に招き入れてくれた。 「よく来たよな、色んな意味で」  そう言ってベッドに座った篠宮は、少しばかりやつれたような、生気のない目元が暗がって見える程、疲れているように見えた。 「誰も俺に近づこうなんてしなくなったってのに、まさか岡崎が来るとは思ってなかった。あれだろ? あの、体育館の時の話だろ?」 「ごめん、俺があの時にでもちゃんと、一緒に帰りながらでも話は聞けたんだと思う」 「いいよ、そういうんじゃねえんだ」  これまで持っていた印象の通り、篠宮は気だるげに言葉を繋げる。やはり、あの日の篠宮は正常ではなかったのだろうと岡崎は確信した。 「警察が篠宮に話を聞きに来てるって噂が出てる。本当に来てんのか?」 「まだ来てねえよ。それこそ今日の夕方に来るって話なんだ。だから、それが来たんだと思ったら岡崎だったから、驚いたんだよ。……っていうか、そんな噂も流れるんだな」 「そりゃ、あんなことになったら、わけわかんない話は上がると思う」 「だよなあ……」  篠宮が黙ると、岡崎は手持ち無沙汰になり部屋を眺めた。自分以外の誰かの部屋をまじまじと眺める行為はどこか悪いことのようで、顔を動かすのが忍びなく、目線だけをあちこちに向けた。  気だるげな篠宮の印象とは少し違って、部屋の中に物が少ない。掃除が行き届いているように見えるのは先程篠宮が言った通り警察が訪ねて来るのが理由かもしれないが、それでも物が少ない分余計に整頓されているように見えた。  ベッドの布団も足元に溜まっていることもなく皺を伸ばされている。この所、どうも岡崎中で篠宮の印象が変化していくばかりだった。 「なんでお前に話そうと思ったか、わけわかんねえだろ」  考えてみれば、岡崎は篠宮の家にも、部屋に入るのも初めてのことだった。その程度の関係の自分に何故、篠宮が話をしたがったのか。求められている当人でありながらもその理由も事情も、この期に及んで岡崎にはなんの見当もついていなかった。 「小学校の時、理科のテストで俺がカンニングしたの、お前が黙ってたの知ってんだ。斜め後ろのお前が俺のこと見てたのもわかってた。やべえ見られたなって思ったんだけど、お前はなんにも言わなかったろ。だから、ちょっとまずいことでも口に出さないっつぅか、口がかたいんだろうなって」  言われても、岡崎の記憶にはどの情報すら残ってもおらず、篠宮の言葉にまるで他人事のように「はあ」と一声、漏らす程度だった。  そんなことはあっただろうか。岡崎自身に記憶はないが、篠宮にとってそれが岡崎という人間の印象に根付いた瞬間だったのだろう。 「あんま、良くない理由だなって思われちまうだろうけど。ガキの頃のそういうのって今になってはっきり出てくんじゃん。だから、お前はやたら話し歩くやつじゃないんだろうなって、そう思ったんだ」 「まあ、悪い印象じゃないならそれでいい。覚えてないけど」 「だよなあ」  部屋に入って二度目に聞いた篠宮の言葉は、一度目よりもどこかくだけた声色に変わっていた。  次いで「お前ちょっと変わってるもんな」と続けられた言葉にも自覚がなく、印象とはその程度のものなのだろうと納得した。きっと篠宮に抱いている印象も、それは岡崎が感じただけのもので事実ではないこともこの数分でも十分に把握出来ていた。 「俺さ」  感じたのも僅かな間、光が消えたように篠宮の声色が落ちた。  その視線は、岡崎にも向けられていない。 「四月に屋良医院に忍び込んだんだ。三上と、川村と三人で」  死者の名前と連なるその事実は、それだけでも篠宮が恐れる理由が窺えた。
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