第三章

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「三上は、結果自殺しちまったんだと思う」  独白の流れで呟かれたその言葉に、岡崎は違和感を感じ得なかった。〝思う〟とは。恐らく起点であろう一件を共に経験し、そこまでを知っても尚不確かなものであろうか。  ここまで来て、篠宮が知らない原因で〝思う〟とは。 「思う、ってのは」 「もし俺でもそうするのかなって考えても、必ずそうするって思えないんだ。でも、死のうなんてそんな素振りもなくて、でもああなったんならそうなのかもしれないって思える」 「……落ちた理由、知ってんのか?」 「落ちたんじゃないんだ」 「は?」 「三上は、飛び降りたんだ。逃げようとして、きっと」 「……なにから……」 「あいつから。屋良岬から」  もう、ここまで話すと篠宮の目は岡崎を見なくなっていた。  カーペットに落ちたままの目はきっと捉えているはずのものも見えていない。空ろに、ただその場所に落とされているだけのようだった。 「……あいつって、」  健康診断の最中、篠宮っが叫んだ言葉を思い出した岡崎は頭の中でなにかが繋がる感覚を覚えた。自分の中にあるC組の屋良岬と、篠宮が言った「あいつ」の正体、そこが繋がってから更に独白の中の言葉が形を持ち、みるみる映像のように流れて行った。 「三上はきっと、あの時あいつと一緒にいたんだ。いや、一緒なんてもんじゃない。追い詰められて、逃げようとして、飛んだんだ」 「……でも、なんで、なんでそんなに。三人一緒にいたんだろ? なんで三上だけ」 「……忍び込んだ後、あいつのことを初めて見たのは学校でだった。俺、それまであいつが同じ学校だって知らなかったんだ。でも、あいつは制服も着てるし、じゃあ、そらまあいるかとも思ったんだ。でも」 「うん」 「あいつ、なんかよく見るんだ。忍び込むとかやったんだからそんなこともあるだろうと俺は思ったんだけど、でも、それにしても確かによく見た。ああまたいるなって、でも忍び込んだんだしって、俺は思ったんだ。三上は違った。あいつを見る度怖がって、三人でいる時はそうでもなかった気がしてたけど、でも、そういえば三上、俺たちと一緒じゃない時も一人でいる時にもよくあいつがいたってしょっちゅう俺や川村の所に逃げて来てたんだ。でも、よく考えたら、忍び込んだのがばれたからって、逃げ回るだけその家の人怖がったりしないよな」  想像してみたものの、怒られることはあっても恐怖感を抱くような結論には至らなかった。まして、相手側が警戒はしてもやってしまった側がそうなるのはどういうことか、更に考えても、岡崎には経験がない以上に結びつくものが浮かばない。 「本当に、こうなってよく考えたらなんてどうかと思うんだけど、でも、俺たちの前だからそんな程度だったのかもしれないだろ。怖がってるのなんて、見せたくないって言うか、笑いごとにして済ませてただけかもしれない。でも、逃げ回るだけ怖がってたのはその、俺の見てきたもので確かだったし、現にあいつがいたって俺の所に逃げても来た。……逃げて来たってことは、追われてたんだろ? 三人の中でもとりわけ三上を狙って、三上の周りによくいたってことだろ? でも、じゃあなんでそんなことになってんだって考えたら、もうそれしかないんだ」 「それって、なんだよ……」 「……あの時、医院に忍び込んだ時、最後まで部屋にいたのは三上だし、俺は外にいて川村を引っ張ってたし、だから」  篠宮の語調が強まりながらも早まって、震える。まるで咎めていたものが堰を切って溢れ出ているようだった。 「三上はなんか見たんだ。俺たちには見えてなかったものを。あの医院の部屋で、だから逃げて来るだけ怖がって、つまり、だから、三上は逃げ回るだけ追われてたんじゃないかってことだろ? 逃げなきゃならないだけ怖がる理由が、あいつにあったってことだろ?」  どこまでを、どう信じて飲み込んで良いのかわからない。けれど岡崎には屋良岬という存在がたったあれだけのものでそれ以上にはない。反して、篠宮や三上、川村は同じ町で育ちそれなりには知った仲で、その時点、肩入れ具合は確かに偏ったものだった。  だが、あまりに突飛すぎやしないか。  追い回して、自発的に飛び降りさせたなんて、一体なにがどうしてそんなことになり得るのだ。  ただ、何故かそこよりもずっと冷静な部分で〝繋がってしまう〟ような気がしていた。  三上が、なにかとんでもないものを一人だけ見てしまっていて、屋良岬にはそれだけは許せなかったのだとしたら。退路を経って、追い詰めて、その道だけを残して〝まだ道はある〟と思わせたのだとしたら。  そうしてまんまと三上が飛び降りて、この結果だとしたら。  そうであったのだとしたら、死にたがる素振りを見ていない理由にも繋がるのではないか。  一件から篠宮が見てきたものも確かなのだとしたら、もしかしたら。 「――でもさ、岡崎」  静まりかえってしまった部屋に涙声に変化した篠宮の言葉が浮く。 「屋上から飛んででも逃げなきゃって怖さってなんだよ。俺、それだけは考えても考えてもわかんねえんだよ」  答える前に、篠宮は泣いてしまった。ため込んでいたものが落ちて、溢れるのも止まらない。  岡崎にはなにも言えなくなった。いや、どうであれ、なにも言えなかった。  そこから暫く、泣き続ける篠宮の側で岡崎も考え続けた気が付けば頭の中にそれらの情報もなくなっていた。あまりに膨大で頭の中に詰まりきらなくなってしまったのか、気が付けば考えていたことを思い出す程には岡崎の中から立ち退いてしまっていた。 「川村の病気、知ってるか?」  篠宮が言葉を発したのは岡崎がそうなってから更に後のことだった。けれど、岡崎には「ああ」とわかった。考えても考えてもわからなかった、そう言って泣いた篠宮は、岡崎よりもずっと前からもう、諦めていたのだろう。  岡崎は言葉のかわりに、首を左右に振って答えた。  同じ町に住んで、同じ歳とだけあって何かしらを通じて川村の体が弱いことは知っていた。町に住みながらも隣町の学校へ通い治療していることも、噂では町の小学校に通えなかったのはその病気が関係していて、なにかあった時に対応出来ないと断られたとも耳にした。  けれど、回ってくるものは〝噂話〟ばかりで、川村が抱えている病気については本当の所なにも回ってはこなかった。きっと、噂が出回りすぎて真実が隠れてしまったのだろう。本当に、病気の名称だけが回って来なかったのだ。 「不整脈だったんだ。結構酷いこともあって、幼稚園の運動とか一切出てなかったの、覚えてないか? 走るとしんどいことにもなるから駄目だって言われてたんだ。でも中学の終わりには大分良くなって、だから如月にも通えたんだ、あいつ」  川村を語る篠宮は表情にも声にも、複雑だった。  川村の体調が良い方向へ進んだこと、そして同じ高校に進学出来たことを篠宮は本当に喜ばしく思ったのだろう。思い出がよぎるのであろう言葉の際には少しばかり笑みを浮かべて、どこか誇らしげにも感じられた。  対して訪れた結果に打ちのめされているのが現状で、思い出は美しいままでいてはくれない。滲む感情は声音にも浮かび、消え入りそうな囁きとなって現実に戻った。  岡崎には未だ、こうした感情がよくわからない。祖母も祖父も健在で、失って心を痛める程の友人もいない。だからこそ想像の範囲内でしかないのだが、その想像だけでも考え難い感情とは計り知れない。  篠宮は一度心を休めるべきだ。岡崎には素直にそう思えたが、休んだ所で一気に堪えていた感情に押しつぶされるのだとしたら、無理をしても立ち続けていた方がマシなのかもしれないとも思えた。それが端から見れば諦めや、笑っていることだとしても。  なんにしても変えようのない現実相手では立ち向かう人間が打ちのめされ、押しつぶされるのも回避しようがない。では、如何に受け入れるかの問題で、やはり、立ち続けるしか方法もなかった。  岡崎自身にも、覚えがあった。受け入れるに時間を要した現実との戦いが。
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