第三章

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※  騒動を起こした篠宮良介は、会えば想像していた程の混乱も見えず、それよりもどこか憔悴した様子で大槻と対面を果たした。  けれどこちらは思った通り、篠宮は三上や川村についての情報は語らず終始友人である彼等を失った自分が如何に心の整理がついていないかに徹していた。  実際にそれは真実なのであろう。人のことは言えた状態ではないが、大槻には語らずとも受けた印象がまさにそれを物語っていた。  何故あの日あんな行動をしてしまったのか、今何か困っていることはないか、それに対して力になれることはないものか。上司に倣った通り、ほんの些細な言葉でもと他愛もない会話を交えて一時間半程、大槻は篠宮良介と話し合った。  その内容に実りはあったのか、それ以外で埋め尽くされた頭の中では最早その判断も難しいが、やはり篠宮良介がなにかを隠しているのは違いないだろうと踏んだ。  だが、そのなにかが三上と川村の死に直結している確証もなく、あるとしても三上の自殺の瞬間を見た、或いはその理由かもしれないものを知っていた、この二点であろうがそれも薄い。何故なら篠宮良介がそれらを黙っている必要もないからだ。  そもそも、友人を二人も失い、明らかに精神を蝕まれている少年を絞り上げて得る情報になどなんの意味があるのか。大槻にはその判断すらも危ういと感じた。  篠宮良介と話し合った後には彼の母親とも少しの時間話しをした。息子を心配する母親の様子は痛ましいばかりだが、今の大槻には「母親」という存在に対しての疑心と失望が先んじていた。息子の為に浮かべるその感情も本当にその通りの意味を持つのか。大槻には母親のその全てが、どこかで得た知識の模倣をして張り付けただけのものに見えて、仕方がなかった。  篠宮良介の自宅訪問を終え、大槻はまっすぐに職場へと戻った。寄り道もせずに上司へ報告を済ませ、残った仕事の処理をも淡々と進めて終わらせていった。  すっかり大人しくなってしまった甥の様子に、叔父はひとつの気がかりもないように上司の役目を全うしている。何事もないように取り繕うのは最早家系であったのかもしれない。遺伝子ごとに組み込まれた、ある種の才能なのだろうか。  真実を聞いて、大槻の中にあった大人達の像は軒並み崩れて散っていた。屋良家も、自分の家族も、叔父も、誰もが見かけだけで子供の自分に接していたのかと思うと吐き気すらした。  今、ならば良い。今そうなのなら、それはそういうことなのだとうと飲み込める。けれど、あの当時の自分と、信一。ほんの小さな自分達がこの大人達に疑心を持てるはずもない。信頼と安心だけを向けていた。それらが偽りであることなど、わかるわけもなく。  叔父はうまいことやっていたものだと、大槻には意外過ぎる一面であった。憧れを抱いていた叔父がそんなことをしていたとは、大人になった今ですら気が付かずに過ごしていたのだから。  どれもがその瞬間、確実な正義であった。けれど、どれも時間が経てば変化する。子供が大人になるように、思うものも感じるものも。その瞬間の正義など、いとも簡単に劣化する。  確かに、あの時の自分と信一が真実だけを伝えられていたとしたら。それを飲み込んで素直に生きていたとは思えない。今でこそ信じ難くこんなにも受け入れ難いのだ。知らないことでここまで過ごしていられたのだから、ひとつの選択肢としては正しかった。  だが、そうすべきではなかった。  その結果が、今、この有様なのだから。  目の前の職務が黒い靄に満たされた自分の一体どこにそんな余力があったのか、なんとも手際よく済まされていく。ほんの少しだけ就業時間を過ぎたが、こうなる前の自分には考えられない程スムーズに仕事が進んでいくのが不思議でならなかった。  もしかしたら、自分が気付いていないだけで、既に得意の「知らないふり」が出来ていたのかもしれない。それに、気が付いてしまうまでは。  大槻は就業と同時に列車に乗り込んでいた。  あの、十八年前のあの日の元凶が今の全てであるのなら。未だ一人、知らずに戦い続けている信一に、まだ、出来ることが残っているはずと。
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