第一章

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 けたたましいサイレンが鳴って、背広姿の人間やよくテレビで見るような作業服の人間が入り乱れ、騒然とした校舎の中、生徒たちは体育館に集められた。各々、もう教室に戻ることのないよう荷物も全て持ち、この後すぐに帰宅出来る状態で。  指示された生徒や、教師自らが何度も何度も自クラスの生徒が全員いるのかを確かめる。人数を数えられ、出席をとるように名前を呼ばれ、何度も、何度も。  どれだけ経ってざわつきが収まったのか、時間の感覚も忘れた頃にマイクを通して校長が呼びかけた。ステージ上の校長は慎重に、ひとつひとつの言葉やその声音、強弱すらも選び抜いた末に発しているようだった。長年の教師としての勘も、ここで発揮というわけには、いきそうにもない。  生徒が二人、死亡した。  一人は先程、特別教室棟の屋上から転落し、一人は先日病死した。  職員会議が長引いたのはその病死の知らせを受けていた所為だったという。「皆さんにどうお知らせするか悩んでいました」、結果まとまりきらずストレートな言葉は意外にも生徒達を冷静にもさせていたが、転落した生徒の話になるとふらつき、床に座り込む者も出た。  列にいない生徒を確認してしまったのだろう、一部で悲鳴のような声が上がり、教師がそれを制したがそれもやりきれない。  あそこまで会議が長引き、教師達がそこまで慎重になるのにはわけがある。何故なら、如月の生徒が死亡したのはこれで三度目だからだ。三度、とひとくくりにしてよいものかは、わからないが。  一度目は二年前、その生徒は事故死だった。二度目は今年、今の一年生で入学直後の四月、こちらも事故死。そして三度目の今日は一気に二人が死亡した。計四人が、この如月高校在学中に死亡している。  人が死ぬのに大抵は不自然などはないだろう。しかし、同じ学校からこんなにも僅かな間で死者が出るというのは、流石に偶然にも過ぎるのではないか。教師達も薄々そう感じ始めたのだろう。なにかがおかしいのではないか、見逃してはならないことが生徒の中で起こっているのではないか、だから尚更、慎重になったのだろう。  同じように生徒の中でも不安が大きくなっていた。知り合ってまもなくで、確かに四月に死亡した生徒とは共にいた期間が短すぎてそれ程仲良くはなかったかもしれない。クラスメートと言っても、誰もがその生徒と交わした言葉はたかが知れている。しかしその死は明かに混乱を招き、その衝撃が薄れた頃だというのに。  同じ歳の人間が死ぬというのは死に慣れていないこの年頃には刺激が強すぎた。ましてクラスメートが、まだほんの短い命を落としたのだ。  これまでまともに考えたこともないような「死」というものが目の前に直面して、すぐにそれを受け入れられるはずもなかった。自分でなければどうでも良いという考えの者もいただろう、逆に直面した、あまりにも漠然とした死に対して対処出来なかった者もいただろう。  不穏だった。如月は華やかなその登場とは裏腹に、田舎町というだけでは成り立たないような、踏み入れない何かがあるような気がした。  それは音や距離の単位で迫り来るのではなくもっと繊細な、黒い靄のような、瞼を閉じるとその隙間から入り込み、直接身体に染み込む感覚に似ていた。実際、自分の身に降りかからなければ気付けぬ程、既にその靄を浴びていたことも気付けぬ程、その存在は当たり前に傍らに存在するのだ。  体育館の中の空気も、音もざわつく。岡崎は耳鳴りを感じて瞼を閉じると、それが自分の身体の中に現れた気がした。  校長の話が終わると、体育館に集まった生徒はそのまま教師の誘導の元、高校の敷地外まで導かれた。生徒が悪ふざけでも現場を覗かぬようにか、至る所で警察の人間が道を塞ぎ、生徒の列を見守っていた。  体育館を出たすぐの廊下にもずぶ濡れになった刑事がいて、外はまだ雨が降っている様子が窺えた。  啜り泣き、口を噤む長い行列がまるで葬儀を終えた後のようで、岡崎には途端それすらが〝そうしなければならない〟かのように機械的に見えた。急に岡崎の日常である校舎に非日常が現れ、ニュースで流れる一部のような、俯瞰した自分が自分の目を通して情報を得ているだけのような、妙な気分だった。 「岡崎」  体育館を出てすぐの刑事を過ぎた後、クラスメートの篠宮(しのみや)という生徒がその空気をものともせずに、後方からこちらまで駆けて来た。振り向くと周囲の目も気にせずに岡崎の隣に並んで歩み始める。 「あのさあ、今度暇な日ない? なんなら今日でもいいんだけど、いや、やっぱ今日は無理だよなあ」  クラスの中でも背の高い篠宮が中ほどの岡崎に並ぶとやけに目立つ。しかし今はそれどころでもないのか、教師に咎められる様子もなかった。大人しく歩いてさえくれるのなら、今日はそれでも良いという判断のようだった。  この状況、篠宮は極めて通常通りの接し方を試みているようだが、それは明らかに歪に表れていた。少しばかり焦っているような、困惑が滲み出た声音は隠し切れていなかった。 「今日はやめておいた方が良いと思う。ややこしくなったら面倒だし」  篠宮が努める平静に、岡崎も同調した。岡崎自身、考える暇もなく、ごく自然と言葉に出ていた。  校長をはじめ、学校側、恐らく事を知った親側からの配慮であろう、目撃者もいたようだが警察からの聴取も持ち越しとなった。  生徒の混乱をこれ以上煽るような行為は学校側にとっても保護者にとっても避けたいものだ。だからこそ、その間に生徒同士が会うというのは如何なものか、もしかしたら警察の調べによって第三者の関与が疑われる結果が出たら。  こうして「もし」を並べてみるだけでも面倒だ。岡崎は安易に疑われるような事態も、ただただ面倒になることすらも避けたかった。 「……そうかも。じゃあさ、これが落ち着いたらでいいや。時間が出来たらちょっと付き合ってくれよ」 「わかった」  そこからは他愛もない話しをした。テレビで観たことがあるだとかなんだか凄いことになったとか、この雨はいつまで降り続けるのか、学校が休みになったのは嬉しいだとか。  岡崎と篠宮は共にこの町で生まれ育ち、小学校からこの如月まで同じ学校で過ごしているが、いずれもクラスが違っていたりで特に仲が良かったわけではない。  こうして自然と会話をするようになったのも高校に入って、クラスが一緒になってからになる。ほんの最近、築けた関係の一つだった。  こうして篠宮から誘われることも時にはあったが、今回は恐らく今日の件で話したいのだろう。内容だけに大勢の前で話すには気が引ける、そんなものであろうと、岡崎は思った。  続く雨は朝よりも幾らか強まって、高校の敷地を抜ける頃には既にスラックスの裾を濡らしていた。  校門には保護者や野次馬で出来た大勢の人だかりと沢山の車、警察が野次馬を制して、生徒は黄色いテープを潜り、ある者は保護者と共に帰宅し、ある者はここぞとばかりに友人と帰路を共にしていた。  岡崎はその中を潜り抜け、やっとの思いで人混みから逃れると漸く、雨と遠くに聞こえる車の音だけに変わった。  周囲の喧騒から逃れるとそこには自分自身の世界のみがあって、全身が安心したように空気が抜けていくような感覚があった。同時に深い溜め息も零れ出た。人影のない雨道はそれすらも音の一部にして静まりかえっていた。  岡崎は校長の話しを思い起こした。死亡した二人についての説明、病死したのは隣のクラスの川村司(かわむらつかさ)という生徒だった。  川村は同じ町に住んでこそはいるが、小学校、中学校と町の学校ではなく近隣の学校に通っていた為、残念ながら殆ど面識はない。会話すらしたことがないかもしれない。ほんの幼い頃であれば町の集まりの中で幾らかあったのかもしれないが、覚えているわけもなかった。  川村は先月の中頃から体調を崩し、それからは学校を休みがちになっていたのだそうだ。六月に入ってからは一度も登校していなかった。その矢先、昨夜自宅で息を引き取ったのだという。  詳しい死因は話されなかった。確かに死因など聞かされた所でどうしようもないし、同じ学校にいるからといってそこまで知らされなければならない理由もない。そんな深い、繊細な部分は家族や親しい友人、恋人だけが知っていれば良い。  もう一人、つい先程如月で転落死した人物は、川村と同じクラスの三上章(みかみあきら)という生徒だった。  三上は篠宮と同じく小学校から岡崎と同じ学校に通っていた。だがそれ程親しかったわけではない。詳しいことはまだはっきりとは聞かされていない上、校長や教師もまだ三上が特別教室棟の屋上から落ち、既に死亡しているということしか把握していなかった。  それが三上自身の自殺であるのか、又は第三者の関与が疑えるものなのか、真相は今まさに警察が捜査している最中である。  その結果がどう出るのか、岡崎にはなんとなく予想が出来た。  人が落ちただけでは、あんなにも沢山の刑事は訪れないのではないか。恐らく、生徒の証言の中に第三者の影があったのではないか。それも、生徒の。  教員達は皆職員会議の場にいた。関与は認められない。ならば忍び込んだ不審者かと言っても、三上を呼び出す際にその存在を他生徒達に見られるのは必須で、それも確率は低い。  なんの不信感もなく、不自然もなく三上を連れ出せるのは単純に生徒の他には考えられなかった。  死につつまれた如月は、かくも不穏な闇を増していく。  岡崎はふと頭を擡げた。気付けば雨は小雨になり、先程とは打って変わって穏やかなものになっていた。  歩道、民家の軒先に咲く紫陽花の花弁は重たげに首を垂れ、濡れた地面に雫を落としていた。
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