要請者ケイ

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急ブレーキの音と鳴り響くクラクション、開けられた窓から降りかかる怒鳴り声で、ようやく自分がトラックに引かれそうになっていたことに気づいた。 危ない危ない。走り去るトラックの後ろに向かって何度も頭を下げ、再び歩きだそうとして、はたと立ち止まった。 手に持っているスマホの画面を見る。表示されているのは、僅かな休息時に遊んでいる位置情報ゲームではなく、地図アプリで目的地は郵便局に設定されていた。 そこに何の用で向かっていたのだろう。年賀は時期外れだし、ましてや自宅に届く郵便物は数少なく、年賀状すら自分と妻の親からと、故郷の幼馴染からと…… 「あ……」思い出した。午前の外回りの仕事に一区切り着いた頃、お袋からその幼馴染の不幸が伝えられ、慌ただしく葬儀が執り行われたと聞かされたのだ。 「ほら、啓ちゃんは赤ン坊の頃からよくしてもらってただろ? その知らせを聞いて、すぐに香典を包んでお悔やみに行ったんだ」そうだ。お袋が出した香典代の送金と幼馴染の母宛の手紙を出すために郵便局に向かっていたのだった。 啓ちゃん。啓介。この前のお盆休みに故郷に戻り、ばったり出会ったあいつは元気そのもので、しばし雑談を繰り広げたばかりだったというのに…… おかげで、午後の仕事は完全に上の空だった。こんなときは残業などせず、さっさと帰宅するに限る。退社し、まっすぐ駅に向かう。ぞろぞろと大きなリュックを背負い、揃いのシャツを着た一団が少し前を歩いていた。 ああ、もうこんな季節なのか。啓介と共に部活に明け暮れていた頃をふと思い出した。 駅のホームをあがった所にも、学生の姿があった。そんな彼らの横を通り、発車したばかりの電車を横目に、何時も電車に乗る位置に立った。 電車が来るまで、しばし位置情報ゲームに興じることにした。と、談笑していた学生のリュックに背中を押された。線路に向かって一、二歩、三歩。頭上から電車が到着するアナウンスが鳴り響く。自分がホームから落ちかけていると理解すると同時に、誰かに腕を引っ張られ、ホーム中央に引き寄せられた。 電車到着を告げるアナウンスと、電車に乗り降りする人混み。「係長、大丈夫ですか?」この声は一昨年、わが社に入社してきた自分の部下だ。その部下に腕を引いてもらわなければ今頃……  心臓が激しい音を立てている。一呼吸、二呼吸、三呼吸。「ああ、ありがとう」部下にもう大丈夫だ。と答えた。 と、手にしていたスマホから短い着信音が流れた。思わずその画面を見る。着信は今遊んでいた位置情報ゲームからの救助要請だった。この手の通知は切ってあるはずなのだが。首を傾げスマホの電源を落とし、鞄に放り込んだ。 そのおかげで家に帰宅するなり、妻に帰り際に牛乳を買って来てと頼んだのに、ちっとも気づかないのだから。と、言われ、慌ててコンビニへと向かった。 頼まれた物を購入し、歩道を歩いていると、高級車として名高い車がこちらに向かって突っ込んできた。慌てて身を翻す。目と鼻の先に車体が通りすぎ、程なく破壊音が続いた。 「救急車、それに警察!」 建物に衝突し原形を留めていない車体を見ながら、そういえば啓介の訃報を聞いてから危ない目に合ってばかりだと、冷静に思い返す自分がいた。 「あなた、ずいぶん遅かったじゃない。近くで救急車やパトカーが来ていたから、もしやと思って、あなたに電話をかけたけど繋がらなかったの」 「ああ、すまん。鞄に入れたままだった」牛乳を冷蔵庫に入れながら、 「コンビニ出てすぐのところで、自動車事故を目撃してしまってね……」その事故に巻き込まれる寸前だったことは、妻には黙っておくことにした。 「あら、そうだったの」 食事をとり、風呂に入り、久しぶりに子どもと会話をし、鞄に放り込んだスマホを取り出した時には、夜の十一時を回っていた。 妻からの履歴のは聞いていたとおりだ。だが、通知を切っているはずの位置情報ゲームからあるのは何故だ。 その履歴を開く。 『13:15 ランクA アメジストドラゴン 救助要請者ケイ ……』 ちょうど郵便局に向かっていた頃だ。その次が『17:49 ケイユウバークに急行。要請者ケイ』会社の最寄り駅にいた頃だ。だが、こんな要請文、今まであったか? いやない。最後の履歴が『20:17 ユウ、ケイユウバークに来てくれ。頼む! 要請者ケイ』 コンビニから出た後ぐらいか。どれも事故に巻き込まれそうになった頃ばかりだ。それに、ケイユウバーク、何処かで聞いたことがあるような…… 『へえ、このゲーム、自分の村を作ることができるんだ』 『そうだよ。で、ここから、裕がプレイしている主人公を招待することができるんだよ。ほら始まりの村にいる四枚翼の人に話しかけて』 『あ、啓ちゃんと同じ画面に替わった』 『ようこそケイバークに。さっそくお互いに入手不可能な資材を交換しよう』 ……思い出した。ケイユウバークは啓介、それから自分の名の裕太を掛け合わせて名付けたゲーム内の村の名前。 もっともそのゲームは、中学生にあがり部活に塾でと、いつしか一緒に遊ばなくなってしまったのだが。 そのゲームが元になった位置情報ゲーム、懐かしさのあまり、時々遊んでいたのだが…… 指はアプリ削除へと進む。 朝がきた。背広を着ようとして、背中に土汚れがついていることに気づいた。 「すまないが、クリーニングに出しておいてくれ」そう言いながら、クローゼットを開け背広を探す。だが、探している背広が見当たらない。背広を探しているうちに、吊り下がる衣装の向こうに針のような光と、冷凍庫を開けたような冷たい風を感じた。 なんだ、今のは? 思わず身を引いた拍子に探していた背広を見つけ、ハンガーから引き剥がすかのように取り出し、乱雑にクローゼットを閉めた。 電車のダイヤルが乱れに乱れ、会社の最寄り駅に着いた時には正午間近だった。駅のホームは人でごった返し、人波に合わせて一歩ずつ進んだ。人波に押し押されて、自分の前方に柱に柱があり、それを避けようとしたが間に合わなかった。 ぶつかる! ところが柱に衝突する衝撃が来ない。前を見ると先程の人波が嘘のようになくなり、蒸気機関車が止まっているのが見えた。 これは…… 恐る恐る蒸気機関車の行き先を確認する。 『ケイユウバーク行き』 そんな馬鹿な! あり得ない! 思わず後退りする。 「押すな! そこで立ち止まるな!」 溢れんばかりの人波と無数の人の声の真ん中に自分が立ち尽くしていることに気づき、慌てて人波の動きに合わせて改札を通り、会社方向の階段に向かう。長い下りの階段。だが、この階段、こんなに長かったか? 微かな疑問が頭を横切るのと同時に、ぶつりと千切れる音がして足元に何か転がっていく。思わずそれを拾おうとかがんだ視線の先が蟻地獄の様に見え、壁に寄りかかって立ち止まる。 おかしい、あまりにもおかしい。目を閉じ、眼鏡を取り目頭を揉む。そうしてから眼鏡をかけ直し目を見開いた。目に飛び込んできた景色は、人波あふれる駅前のロータリーだった。 正午を過ぎていたので、出社する前にコンビニで昼食を購入しようと立ち入った。 だが、肝心の昼食になりそうな物がほとんどなく、諦めてコンビニを出たところで、昨日電車に接触しそうになった自分を助けてくれた部下に呼び止められた。 「係長、係長も電車延滞で、昼食難民ですか?」 「まあ、そうだな」 「パンでよければ、ボクの行きつけの店がすぐそこにあるのですが」 「ああ、頼む」 部下の案内で路地裏に入り、しばらく歩いた。 「ここです」店に入ろうとした部下に続いて店に入ろうとしたが、ピンク一色の扉を見るなり、後退りして尻餅をついてしまった。 「係長、どうなされたのです?」 その部下に助けられながら、店脇のベンチに座り、ガキの夢のような話だがと前置きして、ぽつりぽつり話し出す。 幼馴染の訃報を聞いてから、事故に巻き込まれそうになった事。その頃に、幼馴染の名と同じ読みをする者からのアプリ通知。そして朝起きてこれまでたて続けに起こった出来事…… 「係長、係長が事故に巻き込まれそうになったそれ、ボ学生の頃に読んだ異世界モノとよばれる本の話の始まりとまったく同じです」 異世界に行き、様々な冒険を繰り広げる話。異世界とは、つまりこの世界とは違う世界。──そう、啓介と一緒に遊んだゲームのような世界だと。 「……係長、係長が受け取ったおかしな通知、その通知、ボクには係長の幼馴染からとしか思えないです」 まるでお伽噺のようだと鼻で笑いたいが、部下の言葉にうなずいている自分がいた。 「係長、近々係長の故郷近くの地への出張が入っていましたよね。そのパートナーにボクを指名して、一緒に係長の幼馴染の実家に寄りましょう。そして、幼馴染が遊んでいたそのゲームを起動させてみましょう」とりあえず、お昼買って来ますね。と、部下は言い、店の中に姿を消した。 部下が開け放ったピンク色の扉が、いつしかごくありふれた木の扉に変化していた。どうやら、部下の推測は当たっていたようだ。 コンビニで購入したコーヒーを飲みながら、路地裏のわずかな隙間から覗く空を見上げる。 ──啓介、自分はまだお前のいる場所に逝く訳にはいかない。だが、お前と遊びながら造り上げた村の名をあげているということは、そこに何か遺したということなのか?  通知音が鳴り響いた。 『ユウ、すまない。そのとおりだ。要請者ケイ』 削除したはずの位置情報ゲームの通知が届く。自分がそれを読み終わるなり、それは通知の印ごと消え失せた。    
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