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「……先輩は、優しいですね。作業の邪魔をされたのに、自分が謝っちゃうなんて。そんなところが素敵だなって思っちゃいます」
「!!」
――誤解するようなことは言わないで欲しい。
そんなことを言われたら、妙な期待をしてしまいそうになる。
僕はぎくしゃくとした動きで外していた眼鏡を再びかけた。そして大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。しかし八乙女が僕のすぐ隣に椅子を持ってきて腰をかけたことで、また落ち着かない気持ちがぶり返してしまった。ふわりと花のような香りが漂って、僕の心臓をガツンと跳ね上げる。
僕は八乙女の存在から意識を逸らそうと、パソコンの画面に目を向けた。
すると……
『文芸部の彼』
そんなタイトルが目に入る。次に僕は本文に目を通した。
八乙女の小説の内容は、文芸部になんとはなしに入部した『主人公』が一生懸命に創作をする『先輩』に少しずつ惹かれていくという、ありきたりといえばありきたりな青春ストーリーだった。
八乙女の文章は初心者なのに洗練されていて、僕は内心舌を巻く。なんでもできるこの後輩は、文章まで達者らしい。
しかし……このキャラクターたちの造形は。一箇所を除いて僕と八乙女に酷似している。
そう、僕がモデルだろう文芸部の『先輩』に想いを寄せる主人公が、『男』であることを除いては。
これは自分たちをモデルにしたBL小説……ということだよな。たしかに身近な人物をモデルにすると創作はしやすいだろうが、なんだか複雑な気持ちにもなる。そして、八乙女は腐女子というやつなのかな。
これが異性愛の話ならば『八乙女は僕に気があるのかも』なんて浮かれられたのに。
「文章がとてもよく書けているね。お話はちょっとありきたりだけど、矛盾するところが一切ないしはじめての小説なのに素晴らしいよ」
僕は当たり障りのない話題から入る。モデルが自分たちであることに、触れていいのかわからなかったからだ。
そんな僕を見ながら、八乙女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「先輩、その小説のモデル。私たちなんですよ?」
「あ、あは。そうなんだ……」
触れていいのかわからなかったことに、彼女から触れてきた。僕は曖昧な笑みを浮かべながら相槌を打つ。
「そしてね、ぜーんぶ。ノンフィクションなんです。超大作ノンフィクションを書くって、言ったでしょう?」
頬にさらりとした髪が触れた後に、柔らかな感触がした。八乙女が、頬にキスをしたのだ。顔に熱が集まる。絵の具で塗ったかのように、僕の顔は真っ赤なのだろう。
しかし……ぜんぶ? ぜんぶ?
主人公が……『男』であることも?
「えーっと。どこまで、ノンフィクション? 八乙女さんは、どっちなの?」
思わず平らな八乙女の胸を見つめると、彼女……いや、彼? は小さく舌を出した。
「それは、内緒です」
そう言って八乙女は小悪魔のように笑った。
僕はいつか、八乙女千春の『正体』に触れられるのだろうか。
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