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八乙女千春は『』なのか
僕『田中誠司』の二個下の後輩である、『八乙女千春』は美少女だ。
顔立ちは美人系というよりも、可愛い系。どこぞのグループのセンターを張っていてもおかしくないくらいに、その顔立ちは整っている。黒髪は美しく腰まで伸び、その艶めく髪が揺れるとふわりと花のような芳香が漂う。それを嗅ぐと僕はなんだか落ち着かない気持ちになる。
八乙女は成績優秀で素行にも一切の問題がなく、社交上手で友人も多い。スポーツも万能で、まさに完璧という女子だ。
その八乙女がなぜ。部を作るために名前を借りた幽霊部員の三人と僕しかいない、文芸部に入ったのか……
その謎は、未だに解明されていない。
彼女が文芸部に入ったことは周囲には内緒にしている。八乙女目当てで男たちが押し寄せてくるのが、目に見えていたからだ。それで部が騒がしくなり執筆に支障をきたす……なんて事態を僕は避けたかった。八乙女も文芸部に入ったことを誰にも話していないようで、今のところは誰かが押しかけてくるようなことは起きていない。
「八乙女さん、部誌用の原稿の進捗はどう?」
細々と公募に出して、小さな賞を取って。その成果の積み上げで、今まで文芸部は成り立っていた。しかしこのたび八乙女が入部したので、文芸部初の部誌を作ることになったのだ。
「超大作書いてますよ。ノンフィクションですよ」
「超大作なノンフィクション……。そんな経験を積むほど、僕たちは生きてないよね」
八乙女の言葉に僕は苦笑する。すると彼女は楽しそうに、くすくすと笑った。その花の咲くような笑顔につい見惚れそうになって、僕は思わず目を逸らす。
心臓がバクバクと大きな音を立てている。クラスの隅っこでじめじめと過ごしてきた地味眼鏡の僕にとって、八乙女の存在は眩しすぎる上に心臓に悪い。
「後で原稿見てくださいね、たぶん今日中にはできると思うので!」
そう言って八乙女は薄い胸をどんと叩いた。完璧超人のような後輩だけれど、そこの成長だけは芳しくないようだ。……こんなことを考えてはいけないな。これは立派なセクハラだ。
「わかった、後で見せてね」
僕がそう答えると、可愛い後輩はコクコクと首を縦に振った。
「楽しみだなぁ、部誌」
一つ呟いてから、ノートパソコンに文字を打ち込むことへの集中を深める。
会話が途切れた部室に、二人分のカタカタとキーを打つ音だけが響いた。耳に届くリズミカルな音は、心を躍らせると同時に集中力を高めていく。
――もっと、もっと書きたい。
衝動にも駆られながらひたすらに指を動かす。気持ちいい。心と身体が高まっていく。フレームが邪魔に感じて、僕は眼鏡を外した。視力は〇・九程度なので、執筆に邪魔な時は外しているのだ。
「先輩、その……」
集中状態は、八乙女からのおそるおそるの呼びかけで中断された。そちらを見ると自分のノートパソコンの画面を僕に向けた八乙女が、申し訳なさげな顔でこちらを見ている。
「集中してるのにごめんなさい。原稿、できたんで見て欲しいなって」
「こっちこそごめんね? 僕は妙に集中しちゃうから、声をかけづらかったでしょう」
僕の言葉を聞いて八乙女は一瞬ぽかんとした後に、ふわりと花が咲くように笑った。
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