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オーナーが席を離れたのは、VIPの求めに応じてアイリスを呼びつけるためだった。間近に現れた彼は今、シルクだろうか、着物のような柄で織られた艶のあるガウンを羽織っている。その下に隠された身体ははっきりと目蓋の裏に焼きついているのに、不思議と、夢か幻のようにも思えた。
「先代のオーナーと縁があったと言ったろう。その時の馴染みでね。変わらず美しいよ」
差し伸べられた手を軽く握り、アイリスは薄く微笑んで彼の横に腰掛ける。何か囁いたようだったが、この喧騒ではとても聞こえない。
「伊丹くんもどうだ」
「――遠慮なく」
勧められた高級煙草を受け取り咥えると、向かいで小さな炎が上がり、青白い手が伸ばされる。
「どうも」
炎の先で煙草を吹かして言うと、短い目礼で答えたアイリスもまた赤い唇に煙草を挟み、手ずからそれに火を付けた。形の良い長い爪は、青いグラデーションのマニキュアとラインストーンで見事にコーティングされている。
ステージでひときわ派手な音が鳴る。一番人気という踊り子のショーに、フロアの熱狂は最高潮だった。そちらへ気を逸らしたのは自分だけではなかったらしく、再び視線を戻してもまだ、ステージを見るアイリスの横顔がある。
「あれは、客を取らないんですよ」
愉快そうに言うのはオーナーだ。
「……なぜそれを俺に?」
「だって。見蕩れてらした」
「ええ」
隠すつもりはない。彼だけでなく、アイリス自身も日哉の視線には気づいているだろう。もっとも、冷たい頬はそれを無感動にはねつけるばかりだが。
「同情します」
「はは、手厳しい」
「いえ。余計なことを言いました」
揶揄を含んだ同情に、苦笑を返す。身の程知らずと言われれば、反論のしようもない。自分は映画の中の新聞記者でも青年画家でも、もちろん今夜の主賓でもなく、顔のない観客のひとりでしかないのだから―ただ。
じっとアイリスを見る。重たそうな付け睫毛をまばたきで細かく震わせ、瑞々しく光る赤い唇の隙間から紫煙を薄く吐き、細い指で挟んだ煙草を弄んでいる。この、中指と薬指だけで煙草を挟む少し変わった持ち方をする人物を、日哉はもうひとり知っている。たったそれだけの偶然が、しかし、ぼんやりとしたデジャビュに重なるのだ。日哉の知る彼は、腰まで届く長い髪ではないし、爪を豪奢に飾ってはいないし、夏でもほとんど素肌を見せないし、口元でさえ微笑むことはない。それなのに、冷めた目つきが、鋭く尖った喉仏が、病的なほどの青白さが、重なる。
アイリスはまだ長い煙草を無慈悲に揉み消すと、今夜のVIPの頬に軽くキスをして、颯爽と去って行く。揺れる後ろ髪を見送りながら、日哉は疼いて緩む唇を、煙草の手元で抑えた。
天気予報さえ曇り時々晴れのコピー&ペーストを繰り返す、つまらない毎日だった。
ほんの少しの火遊びが、火傷の刺激が、それを変えてくれるなら――悪くないと思った。
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