2人が本棚に入れています
本棚に追加
まくら運についての考察
「まくら運」
という言葉がある。いや、ぼくの造語なのでそんなものないのだが、もしかしたら、と思い辞書を繰ってみても、やはりそんな言葉はなかった。まちがいなく、ぼくの造語である。
どういうことかというと、要は、旅の滞在先で、自分に合うまくらに恵まれるかどうかという、旅にとって非常に重要なツキのことだ。
睡眠を何よりも大切にするぼくにとって、旅の途中で十分な睡眠が取れるか否かは、なかなか重要なことなのだ。数時間しか眠れなかったとなると、体力的には問題なくとも、なんとなくその事実だけでその日は気が乗らないことも多い。
その睡眠にとって、まくらが重要なのはいうまでもない。小津安二郎の『東京物語』のリメイクといわれる山田洋次の『東京家族』では、東京に出てきた老夫婦が横浜のホテルに泊まり、「まくらが高くてよう眠れなんだ」という箇所があったが、ぼくはそこに深く共感したものだ(どこに共感しているんだ)。ぼくも高いまくらは嫌いだ。
人間の体の構造上、後頭部に何かしらの高さのあるものを当てないと心地よい睡眠がとれないのは仕方がないとして、でもそれは割と微妙な話なわけで、なにも高ければよいというわけではないだろう。まくらは高ければ高いほど良いサービスだとでも思っているのだろうか。「休まさせていただきます」という奇妙な敬語のようで、何か誤解のようなものがある。
さて、今回の旅は、そのまくら運が良かったといっていいだろう。泊まったホテルは全部で四ヶ所。初日にニューデリーのコテージ・イエス・プリーズ。ここは去年と同じ所なので、まくらがいいのは経験済みだ。次に、チベット人たちの住むレーに移ってからは、ホテル・メハク。ブータンをイメージさせる明るい木の造りの三階建で、中庭を囲むようにコの字型に建てられている。ここはまくらが二つ置いてあり、どちらも高さは同じなのだが、悪くなかった。そこから泊りがけで出かけたヌブラ渓谷のホテル・シアチェンは、コバエが多い上にまくらはいまいちだった。しかし一泊だけだったので、わりと我慢できた。さらに、ニューデリーに戻ってから休憩したエバーグリーン・ゲストハウス。一泊四五〇ルピーの安宿だが、ここのまくらがいちばん気持ちが良かった。宿泊費とまくら運の関係は今のところ認められていない。
ぼくはいつも、旅に出る前は神社にお参りすることにしている。道中の安全の他にまくら運に恵まれるように祈るのだ。「家内安全」や「商売繁盛」「心願成就」「合格祈願」など、神社でのお祈りには様々あるだろうが、ぼくはいつも「枕願成就(ちんがんじょうじゅ)」をお祈りするのだ。「枕願成就」と書いたお札など作ってみてはどうだろうか。そんなものいるか、と言われそうだが、案外必要としている人は多いのではないかと、個人的には思っている。
考えてみれば、旅とは、運を旅することである。
まくらの良不良に始まり、小さなものでは、立ち寄った料理屋での味や、道を聞いた人が親切か否かということや、天気、その他諸々、運に関係することは旅のほぼすべてといっていい。運の悪い人はスリに遭ったり、電車を乗り過ごしたりする。
しかし最も大きいものは人と物の出会いだ。人によっては、生涯の伴侶となる人と出会う人もいるだろうし(実際そういう人を何人か知っている)、日本にいては出会えない珍しい物を見に、わざわざ遠くへと出かけるのだ。わざわざそこに出かけて、そして流されるのである。体のすべてをそこの空気にと溶かし、その土地の一部になった人は、旅の醍醐味を知ることになる。旅の意味を知るのである。
大袈裟なことをいったが、旅に努力なんて必要ない。少なくとも、必要だとは聞いたことがない。旅をがんばっている人ほどみじめなものはない。これから続く旅、それを意識するだけで、それはずいぶんと楽しいものになるのではないだろうかと、思う次第であった。
最初のコメントを投稿しよう!