一年目 十二月中旬

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 しかし、やはり物事には限度というものがある。父と母が建てた一戸建ての実家は、田舎の町ではあるが、市の中心部や鉄道の駅に近くて比較的交通の便の良い場所にある。これに対して曾祖父母の家があるのは、スーパーはもちろんコンビニや小さな個人店さえも近くにないようなところだ。昔は路線バスがあったが、かなり前に廃止された。  そして、そんなところに住もうとしているくせに、私は車の運転ができない。運転免許証は持っているが、全く使用せずに更新だけしている状態で、今後もできれば車の運転はしたくないと思っている。世のため人のため、そして自分のためにも、車の運転なんかしないほうが絶対にいい。  つまり冷静に考えれば、曾祖父母の家周辺は、大学進学を機に実家を出てから二十年以上も便利な都会で生活してきた、車の運転もできない中年の人間が、いきなり一人で生活するのには向かない環境なのだ。  だが、そういった問題をものともしないほどの熱い情熱があったのか、または直視しなかっただけなのか、私は自分に向いているとは言えない土地に住まう準備を、着々と進めていった。  曾祖父母の家の改修には、たくさんの手間とお金がかかった。少しずつ処分はしていたが、それでもまだ家の中には曾祖父母と祖父母の荷物が残っていたので、まずそれを整理する必要もあった。  なにせ、昭和三十一年に建てられて、昭和六十年代に手を入れるまでは台所は土間だったし、お風呂とトイレは別棟で庭にあったような、昔の建物だ。現在の建築基準法にも合っていない。  工務店の大工さん達は、この家から壁を取り払って柱だけの状態にしてから、いろんな部分を作り直して、以前の雰囲気を残しつつも現在のライフスタイルに合わせた快適な家に仕上げてくれた。  一人で住むには広過ぎたので減築もした。この家は、一番多い時で曾祖父母と祖父母と母の五人が住んでいたのだから、私一人では持て余して当たり前だ。二階建てだったのを平屋にし、トイレとお風呂を増築した部分は取り壊して、母屋の中の奥の一部屋をそのスペースに当てた。  これらの改修工事に係わる、工務店との打ち合わせや、事務的な手続きだけでも多大な労力を必要としたが、工事が終わった後も、私は休むことなく引っ越しの作業に没頭した。  実家にあった自分の荷物と両親の遺品を整理して荷造りし、新しい家に運び入れる作業は、引っ越し業者さんの手を借りても予定通りには終わらなかった。予想に反してぶり返した残暑のせいで作業は思うようにはかどらず、汗びっしょりで仕事をした。引っ越しが終わった後、私はそこでやっと活動を止めて、二日ほど寝込んだ。  この古屋の改修工事や引っ越しの作業は、体力的な苦労や手間を除けば、何の支障もなく実行された。両親はすでに亡く、兄弟姉妹もなければ独身で子供もいない、四十をとうに過ぎた人間に対して、何か意見を言う人間など誰もいなかった。  こうして私は自分の思う通りの選択をし、自由気ままな暮らしを手に入れた。今の段階では後悔は全くないが、もしかしたら突然の母の死という思いもかけなかった大きな変化に見舞われたせいで、いまだに頭がボンヤリしているという可能性もなくはないかもしれない。  これからの人生設計や経済的なことなど、自分がいくつかの問題を抱えていることは、ちゃんと理解している。働いていた頃に貯めた貯金や、相続した現金なども少しはあるが、使っていればいつかはなくなる。  でも、将来の不安を解消するために、何らかのアクションを起こす気持ちにはすぐにはなれなそうにない。もうしばらく静かなところでゆっくり暮らすつもりだ。  そんな暮らしにうってつけの家も、自分の思う通りに手に入れたことだし…。
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