一樹先輩

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一樹先輩

 神社、か……、あっ。  私の視界に小高い丘が映った。いつもなら素通りするのだけど、私は丘の近くで自転車を止めていた。  私の左側にそびえ立つ、鬱蒼とした木々に覆われている小高い丘。あらためて下から上まで見上げた。結構な高さがある。丘というよりも、ちょっとした低めの山とも言えなくもない。あっ、あれって。  鬱蒼とした木々の少し奥の方に、古びた石階段を見つけた。たぶん頂上にいくためにつくられたものだろう。  ここを登っていけば、昨日おばあちゃんが言っていた神社につくのかな……。おばあちゃん、大丈夫かな。けっこう登らなきゃいけない感じだし……。まあでも休憩しながら頂上を目指せばいいのか。でもそれだと結構な時間がかかりそう。  石階段周辺の薄暗い感じが気になった。生い茂る木々に明るい朝日を遮られているせいなのだろう。  う~ん、今日は放課後に文化祭準備があるから、夕方にお参りになるし……。神社からの帰りは足元が暗くて危ないかもしれない。やっぱり別の日に変えてもらおうかな、神社に行くの。  ドン。 「きゃっ!?」  自転車の後輪に軽い衝撃。少しふらついてしまって、ハンドルを持つ手に慌てて力を入れて押えた。  もう誰ッ!? お姉ちゃん!?   私は顔を強ばらせながら後ろを振り返った。 「あっ…………」  そこには、自転車にまたがった一樹(かずき)先輩がいた。片手を軽く上げ、イタズラな笑いを浮かべていた。  私は慌てて表情を普通に戻した。でも、ちょっと怒ったような顔を見られたかも知れない。どうしよ……、気を悪くしちゃったかな……、てっきり、お姉ちゃんの仕業と思っちゃったから。で、でも、一樹……、先輩が悪い。こんな子供みたいなことするんだから。  私が必死に平静を装っていると、一樹先輩はいつもの様に優しく口を開いた。 「おはよ、志保ちゃん」  私もすぐに挨拶をする。 「あっ、えっ、えっと……、おはよう。か、一樹……、先輩」  一樹先輩の瞳が一瞬だけ丸く見開いた。でもすぐに両目を細めて苦笑する。 「あははっ、『一樹』でいいよ」  一樹先輩はいつもの言葉を口にした。  その言葉に私は……、いつものように答える。 「でも、私より年上で、先輩だから……」  少しの間の後、一樹先輩がふわりと微笑む。 「志保ちゃんは真面目だなあ~、そんなの気にしなくて良いのに。ほら、小学生のときは、『一樹』、って呼んでただろ?」  そう言って楽しそうに笑う。  私の鼓動がトクンと高鳴る。いやいや、小学生の頃の自分を引き合いに出されると困る。あの頃の私は幼くて、無邪気で、ただ純粋に、一樹先輩を、年上のお兄ちゃんとして慕っていたのだから。  今の私とは……、もう違う。戻りたくても、戻れない。懐かしい思い出。  返答の遅い私に、一樹先輩が自転車を軽く漕いで隣にやって来た。うっ、ち、近い。  隣にいる一樹先輩をそっと見上げる。私より頭2つ分大きくて、自転車にまたがっていても、背が高いなあと思ってしまう。走るとき、風の抵抗をすごく受けて大変そうといつも思うんだけど、一樹先輩はそんなのものともしない。陸上部ではすごく早い選手だったし、エースとして活躍していたから。今はもう、高校3年生だから引退してるけど。  耳にかからない短い黒髪が、陸上部のときの名残を思わせる。  私は部室の窓で時々、走る先輩を眺めていた。すごいなぁって。それでいて、かっこい……。  私は慌てて思考を止めた。でも両頬が熱くなるのを感じた。  ちょっと、へ、変なこと考えない。  すると一樹先輩が、おもむろにこっちを向いた。  私は思わず身構える。  一樹先輩がいつもの軽い口調で話しかけてくる。   「でっ志保ちゃんは、朝からこんなところで何してるの?」 「えっ……!? あっ、えっと……」  急に聞かれて、どう説明したらいいか迷った。いや別に迷うことはないよね。  私は小さく息を整えた後、一樹先輩に昨日おばあちゃんが話してくれた神社について説明した。 「へぇ~……、この丘の頂上に神社があるんだ。知らなかったなぁ~」 「うん。私も、昨日初めて知ったの」 「そっか~、まあでもあれだな。来週の日曜日に取り壊すっていうのは寂しいな」 「あっ、うん。私もそう思う」  だって、おばあちゃんにとって大切な思い出の場所だと思うから。 「なあ、志保ちゃん」 「ん? なに?」 「今日、俺が文化祭の準備代わりにやろうか? 今年はさ、俺ただ楽しむ側だから特に忙しくないし」  うちの学校では、高校3年生は受験勉強に力をいれるため、文化祭で特に出店といった出し物をすることはない。そのかわり、高校最後の文化祭はめいいっぱい楽しむ、といったスタンスだ。中高一貫の、学生が多いうちの学校だからなせること。  私は、一樹先輩のすごくありがたい申し出について少し考える。それなら、おばあちゃんと一緒に神社へ行く時間は遅くならない。でも、あることが気になって、それで、気が引けるから――、 「ううん、大丈夫だよ」  と、私は断っていた。  一樹先輩が目を丸くするなか、私は嫌味にならないように、からかう様な軽い口調を意識して断る理由を告げた。 「だって一樹先輩、お忙しいでしょ? うちのお姉ちゃんに受験勉強を教えるのに」  それを聞いた一樹先輩は目を見開いた後、楽しそうに笑った。 「あははははっ、確かに! 昨日も苦労したからなぁ~」  そう言って楽し気く笑う一樹先輩。そんな一樹先輩の表情に、私の胸の奥がざわつく。なんと言えばいいのかわからない違和感。  胸の奥で抑え込む。  頭のなかを思考でいっぱいにする。  2人は受験生。  勉強が苦手なお姉ちゃんを、一樹先輩が教えている。  お姉ちゃんはこのままだと、大学受験に落ちちゃうかも知れないから。  だから、2人の大切な時間を邪魔しちゃいけない。  私はゆっくりと、落ち着き払って口を開く。 「勉強の邪魔をね、しちゃ悪いから」  でも一樹先輩は、 「志保ちゃんは真面目だなあ~。そんなの気にしなくて良いのに」  と、楽し気に笑った。 『そんなの気にしなくて良い』  胸のざわつきが、暴れはじめる。気にしてしまう自分の幼さが苦しい。なんで、一樹先輩はそんなに平然と言えるのだろう。    頭の中に余計な考えがめぐる。  お姉ちゃんと一樹先輩は、仲の良い同い年の幼馴染で。  2人は来年の春に、別々の大学に進学する予定で。  もう中々会うこともできなくて。  だから、2人の大切な時間を邪魔したくない。  だって一樹先輩は、お姉ちゃんのこと、す――、 「そういえば、加奈はどうしたんだ?」 「へっ!? お、お姉ちゃん!?」  突然お姉ちゃんのことを聞かれ動揺してしまった。一樹先輩が不思議そうに口を開く。 「ん? おう。一緒に家を出なかったのか?」 「えっ!? あ~……、う、うん。たぶん、まだ家にいる」 「そうなのか? じゃあ今日も遅刻するかしないか、ギリギリなとこだな」  一樹先輩が、イタズラに笑う。私も少しぎこちない笑みを浮かべ、口を開く。 「ちゃんと起こしたんだけど、あと1時間だけ~、っていうから……。もうほっときました」 「くくくっ、相変わらずだな~、加奈のやつ。あと志保ちゃんもひどいなあ~」  一樹先輩が意地悪く笑う。うっ、なんだか不本意。私は少し素っ気なく呟く。 「私はひどくないです……。悪いのは、お姉ちゃん」 「あははっ! だな。……うしっ! じゃあ俺らもそろそろ学校行くか。遅刻の仲間入りしちゃまずいだろ?」  一樹先輩が楽し気に言って笑う。とても無邪気に。もう見慣れている表情なのに、また変に意識してしまう。今はそんなの必要ない。いや、これからもずっと。 「そう、だね」  私はすっと前を向く。自転車のペダルに力を入れて漕ぎだした。  そして、同じスピードで私の横を走る一樹先輩。  隣を意識し過ぎないように、ざわつく胸の内を抑え込みながら、一樹先輩と一緒に学校へ向かった。
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