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10円玉とかつての同級生
東京都千代田区、警視庁本部庁舎地下。都市伝説対策室。
室長の久遠ルイ警視は、席に就くや小銭入れを開けた。案の定、10円玉がかなりかさばっている。何だか閉まりにくいな……と思ったらこれだ。キャッシュレス決済は交通系ICカードくらいで、スマホ決済は際限なく使いそうなのが怖いと言う理由で導入していない。必然的に小銭を使う機会が多く、おつりの10円玉が貯まってしまっているらしい。
「コーヒーでも飲もうかなぁ」
自動販売機のことを思い浮かべながら呟くと、緑茶を並々注いだ湯飲みを盆に乗せた佐崎ナツ警部補が目を丸くして、
「ありゃ、コーヒーの気分だった? そりゃ悪かったね」
失敗した、といわんばかりの顔をする。ルイは、はっと顔を上げて首を振り、
「あ、良いの良いの。ありがとう佐崎さん。おつり貰ってたら小銭入れがいっぱいでさぁ、何か買おうかなって思ってたところ」
「へぇ、警視みたいな若い子でも、キャッシュレス使ってないんだ?」
「若いって、佐崎さんとそう変わらないからね?」
久遠ルイは30歳。国家公務員1類試験合格……いわゆるキャリア組というやつで、入庁したときは既に今のナツと同じ警部補だ。ナツの方は33歳。捜査1課にいたときは巡査部長で、今の階級は「警視庁都市伝説対策室」という異色の部署に配属される際の配慮だったらしい。能力がないわけではないが、歯に衣着せないマイペースさは出世とは縁遠そうだとルイは思っている。
というわけで、ルイとナツの年齢差は3歳程度だ。ナツから「若い子」と言われるほどの年齢差でもない。
「一応交通ICは使ってるよ」
「あたしもそんなもんかな。たまにチャージし忘れて、寄り道するときに改札引っかかるけど」
「あるある。あ、でも、僕最近クレジット一体型のにして自動的に引き落としてチャージできるようにしてるよ」
その様子を、桜木アサ巡査長が眉間に皺を寄せて見ていた。それこそ、ルイとそう年齢の変わらない筈の青年は、機械の類に弱い。よくナツと高校生コンサルタントの五条メグが教えている。
「なあ、五条。お前もキャッシュレスか?」
「一応。私スマホ決済もするよ。アサは?」
「定期だけだ」
「遠出するときはどうしてるの?」
ルイが尋ねると、アサはやや気まずそうにして、
「切符買ってます」
「チャージしないの?」
「イマイチ機械の使い方がわからなくて……」
消え入りそうな声だ。確かに、老人じみたところをアサから感じることはあるが、まさか機械の類がからきし駄目だとは。
「スマホは使ってるじゃない」
「アプリの類はほとんど入れてませんよ。これも五条と佐崎に習いましたから……」
「まあ、誰にでも得手不得手はあるからね」
あんまりからかうのも良くないだろうと思って、ルイは頷いた。
ルイたちの部署、「都市伝説対策室」……通称「都伝」は、具現化してしまった「都市伝説」を扱う非公開部署だ。ここでは「都市伝説」を「消極的な信仰」と定義している。具体的には、「こうだったら良いな、こうだったら怖くて面白いのにな」と言う、ある種の「祈り」の形だ。その祈りに、何故だが応えて出現してしまった「都市伝説」を退治する。それが「警視庁都市伝説対策室」である。ルイはこの春に室長として異動してきた。既に4件の都市伝説事件の解決にあたっている。解決にあたる、とは言うものの、彼ができることは責任を取ることと仲間を信じることくらいで、実務のほとんどは霊能者のメグ、怪異にしか当たらないナツのBB弾、アサの豊富な知識と思考によるものだ。
正直、ルイは判子さえついていれば、いなくても良いくらいなのだが、どうも、この「都市伝説」の存在を比較的すんなり受け入れたことがこの新しい部下たちに気に入られたらしく、度々同行を求められる。電話のメリーさんに目を付けられたり、テケテケに噛まれたりと、失敗も多いが、徐々に都市伝説対策室室長として板に付いてきたように思えた。
とは言え、通報が入らなければ都伝に仕事はない。通報の経路は様々だ。前室長の蛇岩レン警視正経由のこともあれば、所轄が「これはおかしい」として相談してくることもある。
そうであるから、通報のない都伝の基本的な業務は、報告書の作成や噂話の収集、資料の読み込みなどの業務を行なっている。一見遊んでいるようだが、「これこれこういう事象が」と言われたとき、すぐに「それは恐らくこの都市伝説だろう」と言えないと困るので、神話、伝承、都市伝説などの資料には目を通しておく必要があるのだ。
悪事千里を走る。悪い噂はあっという間に広がってしまい、不安は治安に直結する。そう言う意味では、治安を守る警察の業務と言って差し支えない。
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