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 海からの帰り道、俺たちは全身くたくただった。ボートから降りるとき、俺も鬼頭も足が震えていて二人で笑った。それでも来た道を戻る間、俺たちはいろんなことを話した。 「俺はさ、海外へ行きたいんだ」 「海外?」 「だから交換留学のできる高校に行こうと思ってる。まだ誰にも言ってないけど」 「そっか」  俺が一番なんだ、と鬼頭が笑った。自分のやりたいことを話すのは恥ずかしかったけれど、今はつるりと口を出た。この特殊な状況がそうさせるのかもしれない。 「本当はここから逃げ出したくて、遠くに行きたくて海外へ行こうと思ってたんだけど。ちょっと変わった」  お前はどうなんだと聞くと、鬼頭は唸ったあとしばらく黙りこんでいた。それを待つのは全然苦じゃなくて、見慣れない夜の町を堪能しながら待っていた。 「……俺は、誰かに必要とされたい」  鬼頭の言葉に俺にはお前が必要だ、と返すには俺は少しだけ冷静だった。 「そうか」  きっとこんなことはもう二度とない。こんなふうに気持ちを話すこともないかもしれない。でもこの特別な夜を忘れることはないだろうと思った。  いつものコンビニに着く頃、ようやく町の輪郭が白くなり始めていた。 「なあ。言ってなかったけど」 「なあに」 「俺はお前のことが好きだ」  ぼんやりと白む空を見上げながら言った。鬼頭が立ち止まったのが分かって、俺は振り返る。真っ直ぐな視線とぶつかった。 「ねえサカキ、十年後も俺におんなじこと言ってね」  俺の返事を聞く前に鬼頭が「また明日」と手を振る。俺はそれに同じ言葉を返して、そして背を向けた。  また明日。  俺はその言葉を噛み締めながらゆっくりと家に向かって歩き出した。  家に着くと、玄関で驚いた顔の母親と出くわした。その頃にはあたりはすっかり明るくなっていた。 「どこ行ってたのこんな早くに」 「ちょっと、散歩に。早く起きたから勉強してたんだけど集中できなくて」 「そうなの」  母親は納得した顔をしなかったけれど、それ以上は何も聞いてこなかった。自室に戻って鏡を見ると髪はボサボサで目は赤くなり見るからにひどい姿で、何も聞いてこなかった母親に感謝した。コートを脱いで伸びをすると早くも筋肉がきしきしと痛んで、これは筋肉痛になるなと自嘲する。  カーテンを開けると外は眩いほどの朝で、新しい1日が始まろうとしていた。
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