齋藤正巳

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「これ皆んなでいただいてちょうだいね」 「ありがとうございます」  八千代から渡された手ぬぐいを提げて、西嶋はきれいに礼をした。親戚からもらった青果を渡すために呼んだのだが、和泉が来れなかったことを八千代は勿論、齋藤もまた残念に思っていた。職を辞してからというもの、以前に比べれば会う機会は格段に減っている。和泉だけでなく、一条家の人々は齋藤にとってとても大切で、しかもとても近しい存在だった。何か用事がなければ顔を見ることもないのは、やはり寂しい。 「今度はぜひ和泉くんと一緒に来てね」 「必ずお伺いします」  足が不自由な八千代が見送るというのを西嶋が固辞したため、齋藤が一人で玄関先まで見送りに出てきた。振り向いた西嶋は妻に見せていた柔らかい笑みを消すとぞんざいに言い放った。 「あんたは人が悪い」 「何の話でしょうか」 「忘れたとか言わないよな耄碌ジジイ」 「年を取るというのは悲しいことです」  眉を寄せる西嶋を、齋藤は笑って見やる。あの時の約束を西嶋が今でも覚えていることに齋藤は安堵していた。 「別に相手がいるのなら一緒になられてもいいのですよ」  西嶋が、先ほどまで妻と洋菓子について話していた男と同じ人物とは思えない顔で齋藤を見る。齋藤は、西嶋の言う人の悪い笑みで言った。 「それが出来るなら、の話ですが」  齋藤の言葉に一層顔をしかめて舌打ちをした西嶋に、今度は声を上げて笑った。誰よりも傍にいる和泉でさえこの男のこんな顔は知らないだろう。 「今さら他の誰かを一番にすることなどできないでしょう?」 「あんたは本当に人が悪い」 「あなたのその裏表があり過ぎる性格もどうかと思いますよ」 「先生が先生なんでね。耄碌ジジイ、酒は飲み過ぎるなよ」 「数少ない楽しみですので」 「八千代さん残して逝けんのかあんたは」  それを言われると弱い齋藤は大人しく頷く。先日帰ってきた息子だってそんな言い方はしなかった。丸三年、尋常ではない厳しさで一からたたき込んだ齋藤に対して西嶋は全く遠慮がない。 「今度は和泉様も一緒に来てくださいね。あれが喜びますから」 「わかってますよ。こう見えて八千代さんには弱いんです」  あまり家族に恵まれなかったと言っていた西嶋にとっては、どうやら彼女が泣き所のようだった。  初めて会ったときから何年経ったのか、昔を懐かしむ癖がついたのは年を取ったせいだろうか。すでに自分の息子のようなものである彼が、齋藤の願いを今では自分の意志で継いでくれていたらいいと思う。それが彼自身の幸せに繋がっていればなお。  おざなりに挨拶をして背を向けた西嶋に声をかける。振り返った男に齋藤は言った。 「和泉様をお願いします」  上半身だけを齋藤に向けていた西嶋は正しく向き直ると、姿勢を正し、教えられたとおりの美しいやり方で頭を下げた。
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