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一条佐和
「佐和」と書いて「さより」と読む。母の名前からもらってつけられたというこの名前を、一条佐和はいたく気に入っていた。
初めて会った人は大抵佐和を「さわ」と読んだ。それは大人でも同じことで、佐和が訂正すると驚いた顔をする。それが自分の名前は特別だと嬉しかったのだ。
佐和は自分が特別ではないと子供の頃から知っていた。「かわいい」と言われるのは自分が幼い子供だからで、大人は幼い子供に対して挨拶のように「かわいい」というのだ。だから自分に向けて言われたとしても、それは小さな子供を見れば口にする条件反射のようなものだと佐和は思っていた。
佐和は幼い頃から物事がよく見えていたし、分を弁えた子供だった。
「さよー、今日もデイト?」
「そうだよーん」
「制服デート羨ましくて死ぬ」
女子校の教室はすごい。例えば暑さで第二ボタンまで開いたシャツとか、捲り上げたスカートとか。教室で化粧をすることなんか当たり前で、その顔は笑える。女は自分がきれいかどうかが問題なのではなく、きれいに見えるかどうかが問題なのだ、と佐和は思っている。
「制服デートっていっても相手は制服じゃないし」
「まさかのスーツ?」
「まっさか。スーツと制服なんて援交バリバリじゃん」
「え、パパじゃないの」
「金なんてもらってないし!」
ふざけて佐和が叫ぶと女の子たちはけらけら笑う。資産家の令嬢ばかりが通うこの学校で援交なんて頭の悪いことをする者などいない。
「ちょー愛し合ってるしー」
佐和が開いて見せた生徒手帳に貼られているプリクラには頬にキスをされる佐和と恋人が写っている。そこには「バカップル上等」の文字。携帯に貼っていないのは親に見つかると面倒だから。
「むかつく。いいから紹介しろよー彼氏つながりで。誰か」
「まかせときー」
誕生日に親に買ってもらった仕立てのいいバッグを肩にかけると佐和は友人たちに手を振って教室を出た。
「えー、日曜だめなん?」
「急遽仕事が入ったんだよ。めんどくさいけど」
「残念ー。でも仕事忙しくて大変だね」
佐和が眉を下げて見せると男はそうなんだよ、と申し訳なさそうにしながらも嬉しそうな顔をする。こういうとき男を責めてはいけない。けれど聞き分けが良すぎてもダメ。
佐和は特別かわいいわけではなかったが、昔から周りに好かれる子供だった。気を遣うわけではなく、さりげなく顔色を読むのがうまかったから男にも女にも好かれた。器用だった、と言ってもいい。
「じゃあ今度はいつ会える?」
「次の土曜は絶対空けといて、好きなとこ連れてくから」
お揃いの指輪がはまる指を絡ませると、男の顔が近づいてくる。佐和は顔を少し上げると目を閉じた。
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