柳田

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柳田

 初めて柳田が彼と会ったのは、会社で散々課長に叱られた日だった。皆が仕事をしているオフィスで、まるで見せしめのように怒鳴られた。このようなことは日常的にあることで、オフィス内でもまたか、という雰囲気だった。課長は柳田に対して特に厳しかった。いや、厳しいというよりは嫌っていたという方が正しい。  柳田も己のはっきりしない性格を自覚していたし、どうにかしたいと思ってはいた。しかし長い月日をかけて培ってきた性格が一朝一夕で治るはずもなく、上司はもちろん同僚や果ては後輩にまで蔑まれていた。仕事ができないというよりは、対人関係がうまくいかないのだ。常に自信がないから話す時もおどおどと声が小さくなる。するとさらに聞き返されて口籠る。結果、柳田にはできない人間というレッテルが貼られる。  自分が悪いのだとはわかっている。それでも簡単にこの性格を変えることはできなかった。 「大丈夫ですか?」  彼が声をかけてきたのは、公園のベンチに座り込んで落ち込んでいる時だった。課長の厳しい叱責を受け、トイレに駆け込んだ柳田に追い討ちをかけた後輩たちの「俺ならとっくに辞めてるよ」という嘲笑が耳に残って離れなかった。  まだ仕事が残っているにも関わらず柳田は定時で会社を出た。周りには白い目で見られていたけれど、どうしても会社に残っていることが辛かった。人気のない公園を見つけて近くの自販機でジュースを買った。こんな時にもコーヒーやビールではなくオレンジジュースを飲んでいるのが格好悪くて俯いていた柳田が、放っておいてくれと顔を上げるとそこにいたのは高校生ぐらいの男の子だった。 「はい?」 「すみません、気分でも悪いのかと思って」  あまりに沈み込んで頭を抱えていたのを誤解して話し掛けてきたらしい少年に柳田は恥ずかしくなる。一回りも歳が違いそうな少年にまで心配されるなんて、己はどこまで情けないのだろうか。  少年は、座っている柳田に視線を合わせるように少し屈んでいる。その目には蔑むような色はなく、そんな眼差しを向けられたのは久しぶりだった柳田は少し嬉しくなった。 「大丈夫ですか?」 「はい、あの大丈夫です」 「失礼しました。気を付けてお帰りください」 「あ……」  最後にほのかな笑みを残して去っていった少年に気が付けば礼を言うこともできなくて情けなく思いながらも、柳田は重かった気持ちが少し軽くなった気がした。  それからというもの、柳田は仕事で失敗した時や課長に叱責されたとき、同僚や若い女の子たちにバカにされた時にはあの少年の顔を思い浮かべるのだった。彼のことを思い出すと柳田は心が安らぐのを感じた。それは広大な砂漠で見つけたオアシスそのものだった。  それでも記憶というのは儚いもので、あんなに鮮明に思い浮かんでいた少年の顔や声が薄れていってしまう。柳田はそれに恐怖を感じていた。  そんな時だった。彼に再会したのは。
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