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カエレナイフタリ
ちゃぽん
頭まで沈んだバスタブから、小夜子はひょっこり顔を出した。
髪質に合わなかったのか、ホテルのシャンプーで洗った髪がキシキシする。帰ったら丁寧にトリートメントしないと。
乳白色の入浴剤を溶かしたお湯を頭の先からぽたぽた滴らせながら、小夜子は身体を湯に沈めた。
昨夜マツヤさんに何度も抱かれた桃色の痕が、全身に残っていた。
マツヤさんはセーターにウールのスラックス、つまりコンサートに行ったときのままの格好で小夜子の部屋を訪れた。
チェックインから時間があったのに、くつろいで服を脱いだり備え付けの浴衣に着替えたりしなかったのだ。
呼び出されることを予定していたのだろうか。
小夜子は低い声で聴いた。
「随分きちんとした格好を崩さないんですね」
「部屋に入ってのんびりしていたらこんなに時間が経っていたのです」
「お休みのところお呼びして、ごめんなさい」
でもすぐに応じて来てくれたのは、今夜が無礼講な特別な夜だからですか?
小夜子はやや鼻じらんだ調子で尋ねた。
「違います。私もあなたに惹かれていました。でもあなたが父親と言っていい程の歳の私を相手にするはずがない。例えそうあったとしても、エレクトラのように慕ってくれているだけかと思っていました」
エレクトラ。愛する英雄の父を殺した母とその愛人に、弟のオレストを通じて復讐する、ギリシャ悲劇に出てくる女。
父親への近親姦的に強い思慕を表す用語にもなっている。
二人並んでベッドに座っているうちに、ギュウっと固く抱きしめられ、ベッドに倒れ込んだ。
ウールのセーターが小夜子の頬にチクチクと触れる。
酒とたばこの匂い。マツヤさんはヘビースモーカーだ。
キスをすると、その煙草の匂いがマツヤさんの口から、絡めた舌から濃く立ち上り、口腔から鼻に抜ける。
男の煙草の匂いは大の苦手だが、今は嫌じゃない。むしろ『日ごろ絶対にしないことをしている自分』を強く感じて、小夜子は考え込むのを辞めた。
「いつからこんな風に私を抱きたいと思ったんですか?」
ためらいがちに体を触るマツヤさんの手をつかみ、スカートの中に導きながら、小夜子はささやいた。
老人の唾液は濃く、口づけも粘っこい。
「いつからだったか……忘れてしまいましたよ」
マツヤさんは小夜子の手を振り払い、ショーツの中をかき回し始めた。
思わず漏れる喘ぎ声を口づけでからめとりながら。
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