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天井板が上から下へと流れていく。暗い空間を抜けると、今度は上の階の床材だった。
畳敷きの暗い室内。オレンジ色の灯り。ベッド、机、本棚。どれもリョウの部屋とそっくりだ。部屋のつくりが同じだから、似たような配置になるのだろう。
バットとグローブが転がっており、やや太り気味の少年がベッドで大の字になっていた。机の上は散らかっており、勉強道具らしきものは見当たらない。「中学受験する、塾で忙しい」と彼の祖母が自慢めいた口ぶりで振れ回っていたのだが。
リョウは更に上昇を続けた。大口を開けたその子の寝顔が流れていき、次の天井に頭を埋める。
床から頭を出すと、強い光に目を射られた。月だ。全面窓から月の光が差し込んでおり、室内を煌々と照らしている。
あるべき場所にカーテンがない。レールだけだ。家具の類も無く、がらんとした空間で壁紙が月光を反射している。
ーーよかった…
ため息が漏れた。
ここで寝ていた女性はもういない。きっと片づけられたのだろう。
脱ぎっぱなしの衣類、散乱した生活ゴミ…雪崩を起こした後のような惨状の中、ベッドとその周辺だけが清潔だった。
昨日までの光景だ。
祭壇を思わせるそのベッドには、まっすぐ体を伸ばした格好で若い女性が横たわっていた。裾広がりの白いワンピース。長い黒髪。美しく整えた姿で、微動だにしない。枕元には薬の瓶とコップ、そして封筒があった。
空調から吹き出す風が、髪をなぶっている。自らの体が腐らないように設定したのだろうが、そのせいで肌は枯れ、身は痩せている。
通報すべきか。
しかしどうやってそれを知ったと説明できるのか。
答えが出ぬうち、今日に至った。
リョウは手のひらを合わせた。祈るでも願うでもなく、ただ弔いの意を表した。
再び上昇を続ける。
三つ目の部屋。
付け放しのテレビの前で夫婦が喧嘩をしている。
声は聞こえないが、罵り合っていることが表情や身振りから伺える。
近くで子供が二人眠っており、布一枚の上に並んで天井に顔を向けていた。
わずかに大きい方、小学生になるかならないか程度の娘は、薄目でじっと耳を傾けているように見える。
階層が異なっても間取りは同じだから、リョウの部屋に当たるところは大抵子供部屋である。おそらくここもそうなのだろう。
「出戻った」息子の話が団地で噂になったことがあるから、元は父親が子供の頃を過ごした部屋なのかもしれない。
苦々しい顔をした老人が襖から顔を出した。
静かにしろとでも言ったらしい。
父親は気まずそうに目を伏せたが、嫁は青筋を立てて食ってかかっていた。
リョウは幼子たちを交互に見やり、眉根を寄せて上昇を続けた。
続く部屋では、床の中央に一匹の猫が横たわっていた。
夜目にも白い毛足が優雅で、さぞ気品があったであろうことが想像される。今は目も口もだらりと半開きで、腹の辺りが赤く染まっている。
そこに鼻面を突っ込んで、大きな目をした小型犬が小刻みに動いていた。床には空の皿が二つ転がっている。
派手めの夫婦が住んでいる部屋だった。
通勤通学で混んでいる歩道を大きな荷物で突っ切り、タクシーに乗り込んでいたのを窓から見た。
あれは一週間くらい前だろうか。サングラスにアロハシャツとサンダル、浮かれたような足取り。
南の島にペットは不要だったのだろう。
小型犬はふと顔を上げると、愛らしい表情で口の周りを舌で拭った。
リョウは目を逸らした。上昇だけを意識する。
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