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足元を見て歩く亮一を、人の波がどんどん追い越していく。
視界は数えきれない靴の群れで満たされていた。
息が苦しい。
胸が締め付けられる。
どうしたらいいのかわからず、爪先を引きずるように歩いた。
人混みに接すれば、こうなるとわかっていた。
ー―いつの日か、脱出するんだ。ここは僕の世界じゃない…
亮一の名を呼ぶ声が聞こえた。
中学の頃の同級生だ。
人混みをかき分けるようにして彼に近づいてくる。声で複数とわかった。
「やっぱり亮一だ。久しぶりだな、今まで何やってたんだよ」
同じ制服。取り囲んできた連中もそうだ。同じ高校に進学していたらしい。中学の頃は教室の後ろに陣取っていた連中だ。
亮一が足を止めないことがわかると、歩幅を合わせて輪のまま移動する。
捕まった。そう思った。
「今までずっと夏休み? 長くない?」
かがんで覗き込んでくる。反射的に目を逸らした。
「おい、誰だよ。こいつの机に花瓶置いてたの。学校着いたら片づけろよ」
後ろ向き、横向きに歩き、時に跳ねるような足取りで、次々と亮一に声をかける。足早に立ち去ろうとしても、同じ早さで追ってくる。
ガムを噛む音。
金属製のアクセサリー。
学生服のカスタムな着こなし。
ーーお願いだ。放っておいてくれ。僕に構わないでくれ…
「おい、亮一ってば」
やや乱暴に肩を小突かれ、思わず振り払った。そして相手が何か言うよりも早く駆け出していた。
――逃げなきゃ、逃げなきゃ!
狭い歩道はサラリーマンや学生でごった返している。
ぶつかったりすり抜けたりしながら必死に走るが、背中には常に笑い声がある。
「おい、亮一! 待てよ」
たやすく追いつけるくせに、距離を保って追いかけてくる。生殺しの鬼ごっこだ。
息が苦しい。腿がしびれる。
視界がかすみ、だが恐怖に突き動かされて足を止められない。
「おい!」
しびれを切らしたのか激しい口調で肩口をつかまれた。もうダメだ。
――クリスタル・エレベーター!
胸のうちでその名を叫んだ。
その瞬間、足元から重力の感覚が消えた。
ふわり。
亮一の体が宙を舞う。
浮遊したと感じた次の瞬間、恐ろしい速さで上昇を始めた。
連中の姿が、ぐんぐん遠ざかっていく。
見えているのは奴らの背中だ。膝を突いて何か言っている。
亮一を押さえつけようと飛びかかったのかもしれない。
忽然と姿を消したせいで同士討ちとなったのか、一人が輪の中心で倒れている。寝癖頭の小柄な男だ。
そう見えたのはほんの一瞬だった。
次の瞬間、人が密集した道は一本の線になり、髪一筋ほどに細くなり、周囲に溶けて見えなくなった。
街はごちゃごちゃした模様から黒い点と化し、息つく間もなく日本列島を見渡している。
クリスタル・エレベーターは止まらない。
逆巻く大気を越えると宇宙に飛び出した。
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