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 休み明け試験も無事終わり、試験の結果が出ると、今度はマリが誰よりも落ち込んでいた。  机の上に顔を伏せ、うな垂れているマリに、穹と悠木は困った様子で見つめる。 「そんなに悪かったの?」  そっと穹が尋ねると、マリは顔を伏せたまま、何度も小刻みに頷いた。 「日頃の成果が見事出たな。てか、穹の次はマリかよ・・・。」  呆れながらに悠木が言うと、マリはゆっくりと顔を上げる。目の前で余裕な態度で立っている二人を、恨めしそうな目で見つめた。 「二人はいいよねぇ~。元々出来る子だから。私なんて・・・勉強しても出来ない子だし~。」  頬を膨らまし、いじけた表情を見せると、穹と悠木は互いに苦笑いをしてしまう。 「まぁ・・・でも片瀬だって、この高校受かってる訳だし、一般的には普通だよ。」  穹は何とか励まそうとするが、逆にマリを傷付けてしまい、マリは泣き叫んだ。 「酷い~!一般的にはってどの一般~?二人揃って成績上位ランキング入りしてる癖にぃ~!」 「世間一般の事だろ。この高校のレベル、中の上って所だから、お前だって元が悪いって訳じゃねーし。大丈夫だよ。」  透かさず悠木がフォローを入れると、マリは泣き叫ぶのを止め、「本当に?」と子犬の様な目で見つめた。 「本当本当!」  笑顔で悠木が頷くと、マリはそれまでとは一転し、ニッコリと満遍無い笑みを浮かべる。 「じゃ~追試の古典、教えてよぉ~。」 「はぁ?」  マリはどさくさ紛れに、チャッカリ前回の失敗の再挑戦をしようとするが、悠木の顔は一気に呆れ切った表情になってしまう。 「だから何で俺が。てか、追試あんのかよ・・・。マジ休み中遊び呆けてた証拠だな。」 「お願い~!お土産買って来たじゃ~ん!ほらほらっ!ね?」  そう言うと、机の横にぶら下げていた鞄を持ち上げ、ドカリと机の上に置いた。取っ手に付いているシーサーキーホルダーを指差すと、「ね?」とニッコリと笑う。 「うわ・・・まだ付けてたんだ・・・。」  穹が少し引き気味ながらに言うと、マリは又プクリと両頬を膨らませ、文句を垂れる。 「何可哀想な子を見る様な目で見てんのぉ~?痛々しくないもん!結構評判良いんだから~!あっ、沖縄行って来たの?とか聞かれちゃってぇ~!」 「そりゃ聞いて下さいって言ってる様なもんだろ。あからさまにそんなもん、ぶら下げてたら。」 「さり気に、と言って欲しいねぇ~。」  自信満々で言うマリに、二人は苦笑いをしてしまう。  次の授業開始のチャイムの鳴る音がすると、マリの席で話していた二人は、それぞれ自分達の席へと戻ろうとする。マリは「古典はぁ~?」と慌ててもう一度聞くも、悠木は「知らな~い。」と適当に返事をして、自分の席へと行ってしまった。  マリはガックシと首をうな垂れ、力無く机の上に置いた鞄を、机の横に掛け直すと、大きな溜息を吐いた。そんなマリの姿を見て、可哀想に思った穹は、自分の席へと戻る前に、マリへとそっと耳打ちをする。 「俺が何とか頼んでみるよ。」  「本当?」と嬉しそうに、一気に顔を上げると、穹はニッコリと笑って頷き、自分の席へと行った。  授業中、マリは落ち着かない様子で、チラチラと穹の方を見る。時たま目が合うと、マリは「頼んだよ。」と、目で訴えかける様に、小さく頷きながら見つめて来た。穹は少し困ってしまうも、同じ様に小さく頷き答えて見せる。  穹は頼んでみるとは言った物の、どうすればいいのか分からず、悩んでしまう。気付くといつの間にか、授業終了のチャイムの音がした。丁度この後昼休みだし、その時にでもさり気なく頼んでみようと思い、穹は悠木の元へと向かう。 「悠木、お昼今日は二人で食べない?」  流石にマリが目の前に居たら、言い難いと思い、悠木だけを誘った。 「あぁ、いいね。じゃーいつもんとこ行くか。」  どうやら悠木は、マリから逃げたいらしく、すんなりと了承する。又昼休み中ずっと、教えてくれと言われるのが嫌なのだろう。マリも穹の行動を悟り、その日の昼休みは二人とは別々の行動をした。  二人は購買で適当にパンと飲み物を購入すると、穹のお気に入りの場所、校舎角の階段へと向かった。一つ降りて、ガラスの壁の前に座り込む。早速パンを食べ始めると、「そうそう。」と悠木は思い出したかのように、ズボンの中から一枚チケットを取り出した。 「これお前の分。忘れない内に渡しとくよ。夏休み中は渡せる時無かったからさ。」  穹はチケットを受け取ると、「あぁ。」と思い出す。 「今週末だっけ。そう言えば、悠木が取ってくれたんだよね。」 「お前部活で忙しかったからな。ポーランド国立ワルシャワの『魔笛』!C席で七千円吹っ飛んじゃったけどさ。学生料金なら、三千円で済んだけど。」 「たまの贅沢だよ。学生席だと、安いけど席は一番後ろで見づらいからね。」  穹はチケットを財布の中に入れると、ズボンのポケットに財布を仕舞った。  悠木から渡されたチケットは、歌劇のチケットだ。試験開けと、穹のコンクール出場祝いにと購入したチケットだったが、予選落ちをした今では、お祝いとは言い辛い。 「まぁー試験とコンクールのお疲れ祝いって事で、ゆっくり楽しもうぜ。」  そう言うと、悠木は手に持っていた缶ジュースを、穹の前に翳した。 「そうだね。」  穹も缶ジュースを前に翳すと、カンッと二人は缶ジュースで乾杯をする。  もう予選落ちをした事を、穹は落ち込んでいない様子で、悠木は安心をする。微かに微笑み、ふと外を眺めると、見覚えの有る姿が二人目に入った。 「あれ、うちのクラスの早川じゃねー?」  悠木が指差す方を、穹も見ると「本当だ。」と気付く。同じクラスの男子生徒が、窓の外から見えた。何やら緊張をした趣で、女子生徒と話をしている。 「もう一人って・・・白井音苑だよな。告白か?」 「え?・・・あぁ・・・。」  後ろ姿しか見えなかったが、もう一人の女子生徒は、確かに音苑だった。  音苑は早川に向かって軽くお辞儀をすると、早川は肩を落とし、落ち込んだ様子でその場から去って行くのが見える。 「あーあ・・・。ありゃ振られたな。これで何人目だよ。」  憐れむ様に見つめていた悠木に対し、穹は顔を曇らせていた。  ジッと淀んだ目で後ろ姿を見つめていると、音苑は振り返り上を見上げた。一瞬音苑と目が合ってしまうと、穹は慌てて顔を背け、窓に背中を向ける。 「こっち見たな。」  悠木も気付き、ポツリと言うと、「うん・・・。」と穹は沈んだ声で答えた。  悠木はまだジッと上から音苑を見ていると、音苑はニッコリと笑ってから、その場から去って行った。チラリと横目で穹を見ると、さり気なく聞いてみる。 「白井って好きな奴でも居んの?いっつも振ってるけど。」 「いるよ・・・。」  いつもならノーコメントの穹が、意外にも素直に回答をして来た。悠木は少し驚いた顔をするも、更に聞く。 「へぇ・・・。誰?」  今度は少し間を置いてから、穹は一言だけ言った。 「天使・・・。」 「は?」  予想外の人物に、悠木の口はポッカリと開くと、唖然としてしまう。 「何だそりゃ?ガチで言ってんのか?」 「ガチで言ってる・・・。」  沈んだ顔で言って来る穹を見ると、からかっている様にも、嘘を言っている様にも見えず、悠木は更に唖然としてしまった。 「はぁ?白井って、不思議ちゃん系だったとか?」 「そんな可愛いもんじゃないよ・・・。」  ボソリと穹が呟くと、悠木は又窓の外を見た。もう外には、音苑の姿は無い。 「ふぅ~ん・・・。自分も天使みたいな笑顔してる癖にねぇ~・・・。」  悠木の言葉を聞いた穹は、勢いよく悠木の方を見ると、慌てて言った。 「駄目だよ!音苑には関わらない方がいい。」  真剣な眼差しで言って来る穹に、「何だよ?」と悠木は驚いてしまう。  穹は一瞬、音羽に言われた二度目の忠告の事を思い出すと、音苑に興味を持っている様な気がした悠木に、不安を覚えてしまった。 「約束してよ。音苑には関わらないって。俺からのお願い・・・。」  真剣な口調で、改めて悠木に言うと、悠木は困った表情を浮かべてしまう。何度か頭を掻くと、穹と同じ様に窓に背を向け凭れ掛り、肩の力を抜いた。横に座る穹の方を見ると、ニコリと笑い、穹を安心させる様、柔らかい口調で言う。 「心配しなくても、興味ねーから大丈夫だよ。まぁ確かに可愛いけど、俺のタイプじゃないしな。」  その言葉を聞いた穹は、ホッと安堵し肩を撫で下ろす。 「てか意外だよな。お前が素直に白井の事話すなんてさ。」 「いや・・・こないだの約束。いつかちゃんと話すって・・・。」  穹は照れ臭そうに、ソッポを向きながら言うと、悠木は嬉しそうにニッコリと笑った。 「じゃ、今度は俺のお願い!」  そう言って、穹の頭をポンポンと軽く叩くと、頭の上に手を置き、今度は少し真剣な表情をさせた。 「白井と何が有ったんだ?お前等、どんな関係だったんだよ?お前いつも辛そうな顔して白井見てるけど、何が有ったか教えろよ。何か悩んでるんだったら、言えよな。友達なんだからさ。」  穹は小さく頷くと、そっと悠木の顔を見た。心配そうに見つめている悠木に、穹は小さく笑うと、「分かった。」と言い、もう一度頷く。 「ちゃんと話すよ。その変わり、俺のお願い聞いてくれる?」 「あぁ、ちゃんと聞くよ。白井には関わらない。」  笑顔で悠木が頷くと、穹は「そうじゃなくて・・・。」と顔をニヤリとさせた。 「ちゃんと話す変わりに、片瀬に古典教えてあげてよ。ね?俺からのお願い。」  ニヤニヤと笑う穹の顔を見て、悠木は一気に気が抜けてしまう。それと同時に、呆れ返ってしまった。 「はぁー?何だそりゃ。お願いのお願いのお願いかよ。てか何で又マリ・・・。お前までんな事言い出すなよな。」 「だって流石に可哀想だよ。追試まで落ちたら、流石に立ち直れないだろうし。俺もそこまで古典は得意じゃないから。補習は地獄だって聞くしさ。」  必死に頼んで来る穹に、悠木は大きな溜息を吐くと、これはもう逃げられそうにないと思い、仕方なさそうな顔をして頷いた。 「分かった・・・分かったよ。教えりゃいーんだろ。」  穹は嬉しそうな顔をすると、「ありがとう。」と言い、悠木の肩をパンパンと叩いた。 「それで?穹はいつ秘密を教えてくれるんだ?もうすぐ昼休み終わっちゃうんだけど。」 「今日の放課後、部員が出払ったらメールするから、部室に来てよ。そこで話すから。」 「管弦楽部の部室か?」  穹はゆっくりと頷くと、小さく笑った。 「今教えられるのは・・・。」  そう言い掛け、顔を俯けると、笑顔が消えてしまう。それでももう一度、微かな笑顔を見せ、悠木の顔を見て言った。 「音苑の事が好きだって事・・・。振られてるけど。」  寂しげな笑顔で言う穹の言葉に、悠木は驚きその場に固まってしまうと、「ガチで・・・?」と呟いた。 「ガチで・・・。」  穹の返事を聞き、悠木は戸惑いながらも、誤魔化す様に頭を掻きながら、明るい口調で言う。 「すげぇー意外!てっきり嫌ってんのかと思ってたけど、逆だったのか。ってー事は、お前も振られ組の仲間だったって事じゃん。」  「ハハハ・・・。」と笑う悠木に、穹は悲しそうな表情を浮かべると、「そうだね・・・。」と、悠木には聞こえない位小さい声で呟いた。  教室へと戻ると、穹は早速マリの元へと行き、悠木が古典を教えてくれる事を話す。するとマリは、大喜びをし、穹の手を握っては何度もブンブンと大きく振りながら、「ありがとぉ~!」と連発をする。  マリは浮かれながら悠木の側に寄ると、「いつどこで勉強会やる~?」と嬉しそうに話す。悠木は面倒臭そうな顔をしながらも、マリと日程合わせの相談をした。今日すぐにでも、と言うマリだったが、今日は穹との先約が有る為、別の日に来週の追試に向けて、勉強会を始める事となった。  放課後になると、部活へと行こうとする穹をマリは引き止め、改めてお礼を言う。しつこい位にお礼を言われ、流石の穹も少しうんざりとしてしまうと、ちょっとだけマリに意地悪をしようと思った。 「本当は片瀬、ワザと赤点取ったでしょ?俺のアドバイスを実行しようと思って。」  得意気に穹が言うと、マリの顔は真っ赤に染まってしまい、恥ずかしそうに舌を出した。 「あ、あれ~?バレてた?」 「バレてた。」  「アハハ・・・。」マリは頭を掻き、困ってしまうと、縋る様な目で穹を見つめる。何が言いたいのかが分かる穹は、クスクスと笑いながら頷いた。 「大丈夫。ちゃんと内緒ね。」 「流石穹君~!」  マリは嬉しそうに、バシッと穹の背中を思い切り叩いた。余りの力の強さに、穹は苦笑いをしてしまう。  「痛いよ・・・。」と言うも、マリの耳には入らず、嬉しそうにハシャギながら「じゃ、また明日ね~!」と、手を振りながら廊下へと出る。その瞬間、前を見ていなかったマリは、人とぶつかってしまう。慌てて「ごめんなさいっ!」と謝ると、ぶつかった相手を見たマリから、笑顔が消えた。 「あ・・・白井さん。ごめん、大丈夫?」  マリは気不味そうな顔をして言うと、ぶつかった相手、音苑はニッコリと笑顔で答えた。 「大丈夫よ。気を付けてね。」  音苑はすぐ側に居た穹に気付くと、穹に向かい微笑んだ。 「楽しそうね、穹。」  穹は音苑から顔を背け、何も答え様とはしない。音苑はクスリと小さく笑うと、「それじゃあね、片瀬さん。」と言い、その場から去って行く。 「何よあれ・・・。」  マリは不貞腐れた顔をすると、チラリと穹の方を見た。穹は浮かない顔をし、「それじゃぁ・・・。」と、そそくさとマリの横を通り過ぎ、音苑とは反対方向へと歩いて行ってしまった。 「何よ・・・穹君も・・・。」  マリは意味が分からず、その場で首を傾げた。  管弦楽部の活動も終わり、部員達は次々と帰宅をして行く。そんな中、穹は近くに居た由香里の元へと行くと、周りを気にしながら小声で話しかけた。 「有賀さん、ちょっといい?」  「はい?」由香里は穹に連れられ、部室の隅へと移動する。人気の少ない場所へと移ると、穹は今日の事をさり気なく話そうとした。 「あの・・・実はさ、今日友達とここで、この後大事な話しするんだ。だから・・・。」  言い難そうにしている穹に、由香里はハッと気が付くと、声を殺して小声で言った。 「あっ、はい。今日は盗み聞きしません。私は時谷先輩の演奏目的なので・・・。プラーベートな話しでしたら、私もう帰りますから、大丈夫です。」  由香里が話しを察してくれると、穹は安心した様子で「ありがとう。」と、微笑んだ。由香里もニッコリと微笑むと、軽くお辞儀をして、その場から離れた。 「え?今日は・・・って・・・。」  後から又由香里が失言をした事に気付くと、穹の顔は微妙に引き攣ってしまう。  『今日は』と言う事は、毎日盗み聞きをしていたのか・・・。と思うと、迂闊に一人だからと言って、下手な事は言えないと思ってしまう。  由香里も含め、部員全員が帰って行った事を確認すると、悠木にメールを送り知らせた。携帯をズボンのポケットの中に仕舞うと、ヴィオラを肩に乗せ、ゆっくりと弓を弾き始める。曲目はやはり『ジゼル』だ。  悠木は管弦楽部の部室の前へと来ると、中から演奏が聞こえて来る事に気付く。すぐに穹の演奏だと分かると、静かにドアを開けて中へと入って行った。  悠木が中へと入って行く姿を確認すると、帰った振りをして近くのトイレに隠れていた由香里は、そっと忍ぶ様にドアの近くへと寄る。 「友達と大事な話し・・・。これは絶対、時谷先輩の好きな人を知るチャンス。」  由香里は緊張した趣で、そっとドアに耳を当てた。  穹は悠木が部室内へと入って来た事に気付くも、演奏を続けた。悠木は穹の邪魔をしない様、近くの椅子へとそっと座ると、静かに演奏に耳を傾ける。音色はとても穏やかで、穹の心が落ち着いている事が、伝わって来る様だ。  緩やかに演奏が終わると、悠木は数回拍手をして、椅子から立ち上がった。穹の元へと近づくと、「相変わらず良い音色だな。」と穏やかな表情で言う。  穹は照れ臭そうに笑うと、ケースの中にヴィオラを仕舞い、話し始めた。 「この曲、音苑が一番好きな曲なんだ。俺は・・・一番嫌いな曲・・・。」  そう言うと、笑顔は消え、悲しげな表情へと変わる。 「音苑と始めて会った時、この曲を音苑が弾いていたんだ。父親の・・・お墓の前で・・・。小学生の頃かな・・・。それで俺も、ヴィオラを始めたんだ。」 「お墓の前って・・・。白井の父親、早くに亡くなったのか?」  穹は小さく頷くと、淡々と話した。 「小学生の頃、交通事故で・・・。俺はお爺ちゃんのお墓参りに来ていて、どこからか綺麗な音が聞こえて来たんだ。それで音を辿って行くと、同じ位の年頃の女の子が、楽しそうにヴィオラを弾いていて・・・。あんまり綺麗な音だったら、俺感動しちゃって、その子に話し掛けたんだ。そしたらヴィオラって言う楽器で、曲目は『ジゼル』だって嬉しそうに教えてくれた。」 「それでお前も、ヴィオラを始めたのか。でも墓の前って・・・死んだ父親の為にでも弾いていたのか?」  今度は小さく首を横に振ると、穹は窓へと近づき、空を見上げた。 「天使の為だって・・・言ってた。天使へのお礼に、弾いているんだって。天使は音楽が好きだから・・・。」 「天使?って・・・白井の好きな奴とか言ってた?」  悠木は不可解そうな顔をすると、窓辺に立つ穹の近くへと寄る。 「父親が死んだってーのに、何でお礼なんだよ?変じゃねーか。」 「知らないよ。何でお礼なのかは、俺もよく分からなかったから聞いたんだ。そしたら音苑は・・・。」  穹はゆっくりと悠木の方を振り返ると、悲しげに微笑みながら言う。 「天使に恋をしているからって・・・言ったんだ。だからいつも、天使の為に演奏をするって。」  穹は窓に背を向け、凭れ掛ると、又淡々と話し始めた。 「その時、音苑の双子の兄の、音羽とも会った。音羽は俺が音苑と話している姿を見ると、慌てて俺を、音苑から遠ざけたんだ。無理やり腕を掴んで、引っ張って。音羽は、音苑に関わるなって言って来た。凄く真剣な顔をして・・・。」 「音羽・・・って。確か双子の兄貴が居るって事は聞いた事有るけど、そいつが音羽って名前なのか。別の高校に通ってるんだよな?」  穹は頷くと、真剣な表情へと変わる。 「それが音羽の一度目の忠告。音苑は頭がオカシイから、関わっちゃいけないって言われた。でもまだ子供だった俺は、よく意味が分からなかったし、意地悪でもしてるだけだろうって思ったんだ。天使とか言ってるから、そう思われているだけだって・・・。だけど中学で音苑と同じ学校になると、ようやく音羽が言っていた意味が分かった。」  真剣な表情で話す穹に、悠木は思わず緊張が走り、ゴクリと生唾を飲み込んだ。 「頭がオカシイって・・・。何だよそれ?」  段々と不気味な雰囲気が漂い始める部室内に、悠木の体に一瞬悪寒が走る。それから穹はニコリとも笑わなくなり、視線を悠木から外して又話し始めた。 「最初は嬉しかった。また音苑に会えて。俺もヴィオラを始めていたから、一緒に弾けるって。音羽も居て、三人でよく弾いていたんだ。音苑も音羽も、俺の事を覚えていて、ヴィオラを始めた俺の事を、音苑は凄く喜んでいた。音羽も喜んでいたけど・・・俺が音苑と仲良くするのは、嫌がっていた。でも・・・俺は音羽の言う事なんか無視して、音苑と仲良くしていたんだ。気付いたら・・・音苑の事を好きになってた。」 「あぁ・・・でもお前も振られ・・・。」 「うん。振られたよ・・・。」  悠木の言葉を途中で遮り言うと、穹はゆっくりと悠木へと視線を戻す。 「天使に恋をしているからって・・・振られた。」 「また天使・・・。」  悠木は少しうんざりとした様子で、ピアノの椅子へと腰掛けると、大きく肩で息を吐いた。 「その天使ってーのは、何な訳?まずそれが意味分かんねーんだけど。」 「天使は天使だよ。よく映画や漫画にも出て来る様な、背中に白い羽の生えた天使。」  「はぁ?」と、悠木の顔は呆れ返ってしまうと、大きな溜息を吐く。 「てか、そもそも天使なんて、架空の生き物だろ?まぁ・・・中学生とかなら分からなくもないけどさ。アニメのキャラとか本気で好きになる奴も居るし。そう言う年頃ってやつだからさ。でも高校生にもなると、流石にリアルで誰か好きになったりするだろ?架空の人物だって事位も、自然と分かるだろーし。白井は未だに天使に恋してるとか言って、それすら分かってない訳?」  呆れながらに悠木が言うも、穹は真剣な口調で答えて来た。 「そうだよ。音苑は今でも、本気で天使が居ると思って、恋をしてるんだ。」  それを聞いた悠木は、驚きながらも、納得をする様に溜息混じりに言った。 「そりゃ確かに・・・頭イカレてるわ。そもそも何で、天使に恋なんてし始めたんだ?」 「それは・・・俺も知らないんだ。」  俯きながらに言うと、穹はゆっくりと窓の外を見つめた。 「音羽は知ってると思うんだけど・・・。教えてくれないんだよね。音羽は、音苑の事嫌ってるみたいだし・・・。」 「そりゃそうだろ。狂信者みないな妹なんて、俺だって嫌だし。」 「そう言う事じゃなくて・・・。」  穹はチラリと悠木の顔を見るが、又すぐに背けてしまう。  公園での音羽は、音苑の事を嫌っていると言うより、憎んでいる様に感じた。だがその理由も全く分からず、穹は二人の関係については、悠木に話す事が出来ない。穹自身も、分からなかったから。 「それで?お前は白井に振られて、気不味いから避けてるのか?」 「いや・・・。そうじゃなくて・・・。」  穹は顔を沈ませると、言葉を詰まらせてしまう。嫌われてしまうかもしれないと思うと、言い難い。  中々言い出せずにいる穹に、悠木は安心させるかの様に笑顔で言った。 「ちゃんと全部話す約束だろ?マリに古典教えてやる変わりにさ。お前とそこまで付き合い長いって訳じゃないけど、お前の良さも悪さも、一応分かってるつもりだよ。だから今更友達止めるとか、そんな下らない事言い出さねーし。」  穹は微かに微笑むと、「うん。」と嬉しそうに小さく頷いた。一度軽く深呼吸をすると、悠木の目を真っ直ぐに見て、話しの続きをする。 「実は・・・その後俺、音苑の馬鹿みたいな幻想を壊してやりたいって思って、色々したんだ。何て言うか・・・音苑には普通の恋をして欲しかったから。音苑の事が、好きだから余計に・・・。音羽には止められた。俺が辛い思いするだけだって・・・。俺はとにかく、天使なんて存在しないんだって、何度も音苑に言ったんだ。でも・・・音苑は笑うばかりで・・・。その時は俺、そこまで音苑が本気で天使を信じてるとか、恋・・・してるとか思っていなかったんだ。悠木の言う通り、そう言う年齢だからって言うのも有るんだと思ってた。でも・・・違った・・・。」  そう言うと、穹の顔は一気に歪に歪み、頭の中で嫌な光景を思い出してしまう。グッと拳を握り込むと、俯きながら言う。 「音羽の忠告が・・・警告に変わった時・・・始めて知った・・・。音羽の言っていた忠告の本当の意味を・・・。」 「本当の意味って・・・。」  釣られて悠木の顔も、歪んでしまう。 「三人で・・・一度だけ海の近くの公園で、一緒に弾いた事が有るんだ。そこは音羽のお気に入りの場所で、音羽だけの舞台だったから、音苑はそこではいつも弾かせて貰えなかったんだ。でもその日は音苑が、どうしても三人一緒に弾きたいって言って。音羽は嫌がったけど、俺がお願いして・・・三人で弾いた。演奏が終わった後、音苑は嬉しそうに言ったんだ。『素敵な天使への演奏会だった。』って・・・。それを聞いた音羽は、凄く怒った。自分の舞台を汚されたって。喧嘩になりそうだったし・・・それに、音苑の馬鹿げた幻想を壊すチャンスかもしれないって思って。俺・・・。」  穹は悠木に背を向けると、グッと唇を噛み、零れそうな涙を堪えた。そして声を震わせながら、言う。 「俺・・・音苑に言ったんだ。天使には届いて無いって・・・。てっ天使に血を・・・血を捧げないと、受け取ってくれないんだって・・・。」  外を見つめると、真っ赤に燃える夕日が、その時の赤い血を思わせる。穹は肩を震わせると、手で顔を覆い叫ぶ様に言った。 「その時の、適当な思い付きで言っただけだったんだ。薄気味悪い事でも言えば、目が覚めるだろうって思って!でも音苑は本気にした・・・。本気にして・・・持っていた弓で・・・自分の腕を切り裂いたんだ。腕からは真っ赤な血が溢れ出してた。血が沢山流れてるのに・・・笑ってたんだ・・・。」  穹はゆっくりと悠木の方へと振り向くと、涙を流しながら、青褪めた顔で薄ら笑いをしていた。その表情に、悠木はゾッとし、同じ様に顔が青褪めてしまう。 「笑ってたんだよ・・・音苑は・・・。『これでちゃんと、天使に届く。』って・・・。その時始めて・・・音羽の言っていた意味が分かったよ・・・。音苑は『本当に』、頭がオカシイんだって。」  穹の話を聞いた悠木は、思わずその時の光景を想像してしまい、気持ち悪くなる。 「マジかよ・・・。」  手の甲で口元を軽く押さえると、吐き気が襲って来た。 「ガチでイカレてるって事かよ・・・。」  穹はそっと涙を拭うと、真剣な眼差しで、悠木の顔を見つめた。 「だから悠木は、絶対に音苑に関わらないで。片瀬には・・・この事は絶対に秘密にして。音羽に二度目の忠告をされたんだ・・・。だから・・・。」 「二度目の?それって・・・何だよ?」  不安な顔で穹に聞くも、穹は答えようとはしない。悠木は一旦落ち着こうと、軽く深呼吸をすると、ジッとこちらを見つめる穹に、同じ様に真剣な眼差しで見つめた。 「それで白井は、弾けなくなったんだな。お前・・・もしかしてそれで責任感じて、同じ高校に入ったのか?毎日白井の好きな曲弾いて。白井の事好きだって言ってたけど・・・それって過去形だよな?」  穹は悠木から目を逸らす事無く、小さく首を横に振ると、真剣な口調で言った。 「違うよ。今でも好きだから、同じ高校に入ったんだ。今でも・・・音苑を天使から助け出したいんだ。でも音苑はきっと、俺の事憎んでる。俺のせいで弾けなくなったって。だから俺の大事な物を壊そうとするだろうから、悠木や片瀬には、絶対に音苑と関わって欲しくないんだ。」  真っ赤な夕日を背に、佇みながら言う穹の姿は、悠木には異様に映った。慌てて椅子から立ち上がり、穹の元へと行くと、両肩をしっかりと掴み声を張り上げた。 「お前も同じだ!お前だって、もう白井とは関わらない方がいい!気付いて無いのか?お前もイカレかかってるぞ!白井と関わってるせいで、お前までオカシクなり掛けてる!」  必死に訴えるが、穹の意思は変わろうとはしない。 「俺は大丈夫だよ。俺は・・・今も昔も変わっていないよ・・・。変わらずに、音苑の事が好きなんだ。只それだけなんだ・・・。」  そう言って、笑顔を見せる穹に、悠木は眉間にシワを寄せた。 「馬鹿か!そんなイカレた女の為に、お前までイカレてどうする?」 「イカレてないよ!」  穹は大声で叫び、悠木の手を払い除けた。グッと力強い目付きで悠木を見ると、ハッキリとした口調で訴える。 「俺はイカレてなんかいない!只音苑を助けたいだけなんだ!音苑の音色でヴィオラを好きになったのに、音苑から音色を奪ったんだ!だからせめて、天使から助けてやりたい。普通の恋が出来る女の子に、してやりたいだけなんだ!」  悠木は大きな溜息を吐くと、髪をクシャクシャと掻き毟り、困り果ててしまう。  何を言っても、穹の意思は変わりそうになく、これ以上は何を言っても無駄なのだろうと思うと、自然と体中の力が抜けた。 「勝手にしろよ・・・。」  溜息混じりに言うと、穹は不安そうな顔をして、そっと聞いた。 「友達・・・止める?」  悠木は大きな溜息を吐くと、呆れながらに言う。 「止めねーよ。言っただろ、お前の良さも悪さも、一応分かってるって。お前がお人好しなのは、分かってるよ。意外と頑固な事も。」  「悠木・・・。」穹はホッと息を吐くと、安心した表情を浮かべた。 「ついでに、ちゃんと約束通り、マリに勉強教えるよ。只・・・只白井と関わらねーって約束は、分かんねーけどな。」 「それはっ・・・。」 「それはお前次第!お前が無茶な事しないんだったら、俺も関わらずに済むって事。」  穹の言葉を遮り言うと、悠木はニコリと小さく笑った。  穹は小さく頷くと、「ありがとう。」と消えそうな声で言い、微かに微笑んだ。  ドアの外で二人の会話を聞いていた由香里は、両手を手で覆い、薄らと涙を浮かべていた。 「どうしよう・・・。時谷先輩の好きな人が・・・白井先輩・・・だったなんて・・・。私・・・。」  微かに肩を震わせながら、そっと静かにドアから離れた。ゆっくりと立ち上がると、戸惑いながらも、足音を忍ばせながらその場から去って行った。
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