前編

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前編

 2年前の話です。何もかもが昨日のことのように、はっきりと思い出せます。とてもぶっ飛んだ話なので、すべて私の妄想である可能性も捨てきれないのですが、どうか聞いてください。  8月11日、数年間音信不通だった友達のSNSが更新されたことがすべての始まりでした。友達の名前を仮に「F」とします。彼女は数年前のある日を境に突然大学に顔を出さなくなり、毎日のように更新していたSNSも全く音沙汰のない状態が続いていました。Fは独り暮らしをしていたので、私は何度か彼女の住むアパートを訪ねたり、彼女が所属するゼミの教授に何か知っていないか訊いて回ったりしましたが、いつ行ってみてもアパートに人の気配はなく、ゼミの教授はFが休学すると言っていたこと以外よくわからないといった具合でした。  そんな彼女のSNSが、数年ぶりに更新されたのです。内容は、 『準備は整った。誰も私のこと止めないでね』 という意味不明なものでしたが、私はその言葉を見た瞬間、どうしようもなく胸騒ぎがして「今すぐFの元に向かわなくては」と強く思いました。  私が彼女に「今どこにいるの?」とダイレクトメールを送ると、意外にもすぐに返信がきて、とある駅の名前が送られてきました。名前は出せませんが、利用者の多い、そこそこ大きな駅です。この時時刻は既に22時を過ぎていましたが、Fのことが心配で仕方がなかった私は、すぐにその駅へと向かいました。    しかし不思議なことに、駅には私以外誰の姿も見当たらないのです。確かに遅い時間帯ですし、この時は新型のウイルスの影響で勤務時間を短縮している企業もあったとは思いますが、それにしても普段から利用者の多いこの駅に誰ひとりいないというのは少し奇妙だなと思いました。  駅構内にいるはずのFに電話を掛けようともしましたが、何度掛けてもFは電話に出ません。おかげで私はFを探して広い駅の中を独り歩き回る羽目になりました。  駅ビルの中にあるショップはすべてシャッターが下りていて、明かりも殆ど点いていません。しんと静まり返った薄暗い空間に、私一人の足音が大きく響いていました。そんな場所を彷徨っているうちに、私は段々とFに騙されたのではないかと感じ始め、再びポケットからスマホを取り出しました。すると、Fの投稿が増えていることに気が付きました。 『やっと戻ってこれた。今この場所にいるってことが信じられない。元気なYさんに会いたい』  ホームから線路を見下ろすような体勢で撮られたであろう写真が添付され、よく見てみると位置情報まで表示されていました。私はFがこの駅にいることは間違いないのだと確信し、1番線ホームから8番線ホームまでくまなく見てまわりましたが、どういうわけかFの姿は見つかりませんでした。諦めかけた時、女子トイレの方から何かが割れるような音がして、私はすぐに音のした方へと向かいました。  しかし、トイレの中にもFはおろか人らしきものの姿すら見当たりません。ただここだけは電気が点いていて、とても眩しく感じました。目が慣れてくると、化粧台の鏡が割れていることに気が付きました。鏡一面に、蜘蛛の巣のようにひび割れが広がっていました。更に台の上には何か祭壇のようなものが作られ、色々なものがごちゃごちゃと置かれています。全部は思い出せません。なんとか思い出せるのは、火の消えた蝋燭と、山のように盛られた塩と米、そして誰のものかもわからない髪の毛。割れた鏡には赤茶色のインクで書かれた紋章のようなものまであり、その鏡に立てかけるように1枚の紙切れが置かれていました。手に取ってみると、殴り書きしたような汚い字で 1.7箇所に紋章を描くこと 2.対象の年齢の数だけ紋章の書かれた場所を左回りに回ること 3.同じ場所で行うこと 4.同じ日時に行うこと 5.対象への思いを形に残すこと 6.入れ替わる為の身代わりを用意すること 7.一連の流れを誰にも見られず行うこと といった内容が書かれていました。うろ覚えなので、本当はもっと違う文章だったかもしれませんが。  その時ふと、先ほどFが投稿した文章の中にあった「Y」という人物の名前を思い出しました。Yはかなり有名な動画配信者です。私はYが多くのファンを持っていることは知っていましたが、私は大して興味がないばかりか、むしろ嫌ってすらいたので、詳しいことはこの時までよく知りませんでした。いったいどうしてこのタイミングでYなんて人物の名前が出てくるのか。何か意味があるのではないかと思い、私はすぐにYの名前を検索したのですが……  2年前の8月11日。Yはこの駅の7番線ホームで列車事故に遭い、活動を休止していました。通行人に突き飛ばされて列車と接触し、今も入院中であることを私はこの時初めて知ったのです。 『私は見えない場所から覗いているくらいがちょうどいいのかもしれないとも思った。私が自分の存在を示した時、あなたが気付いてくれなかったり、興味を持ってくれなかったりしたらショックが大きすぎるから。なら最初から存在を消していたい。知らない方がマシ。でも、もうどうでもよくなった』 『この世界にはまだまだあなたが必要。悪いことだとわかっていても私はやることにした。何だって犠牲にできる』  そんなことをしている間にも、Fは次々に文章を投稿しているようでした。私は急に恐ろしくなり、薄気味悪い祭壇のあるトイレから外に出て、戦慄しました。
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