【藤倉くん】きみに伝うコトバ

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「きらい」 「え」 開口一番、俺に向かって藤倉の口から放たれた言葉は非常に衝撃的なものだった。 というか、聞いた後しばらくはその音の羅列の意味が理解できなかったくらいだ。 それくらい、こいつが言うにはあまりにも有り得ない…と俺が今まで勝手に思っていた言葉だったのだ。 何が起きたのか分からなくて、その場に立ち竦んでしまう。 そんな俺を見かねてか藤倉がもう一度何かを話そうと口を開くけれど、すぐに自身の手を当てて黙ってしまった。 一瞬だけど「き」って聞こえた気がする。 どうしたというのか、慌てたような顔をして藤倉は俺の表情を窺っている。 「あのさ、一応、確認なんだけど…」 「………」 「お前って、俺のこと…きらい?」 そう問うと、彼はただでさえ大きな目をこれでもかと見開いて首をぶんぶんと横に振った。 そんなに振ったら頭が痛くなっちゃうんじゃないかと心配になるくらい、「そんなわけない」と全身で示してくれているのが分かる。 良かった、いつもの藤倉だ。 その姿に内心ほっとしながらも、新たな疑問が湧き上がった。 じゃあさっきの言葉はなんだったんだろう。 俺の顔を見て、明らかに俺に向かって放たれた言葉。 いつしか、こいつが絶対に俺には言いたくないと言っていた…ような気がするたった三文字の言葉。 「…き、っ」 「ん?」 悩んでいると藤倉がまた何かを言いかけて、さっきと同じように慌てて口を閉じた。 目を合わせると顔と手をふるふると振って、何かを否定しようとしている。 ………まさか。 いや、まさかな。 いくらなんでも漫画の読み過ぎだって、うん。 とある可能性が浮かんだが、そんなわけないと勝手に打ち消して俺はまじまじと彼を観察した。 いつも放っといても勝手にペラペラ喋る口が、緩く弧を描いて穏やかな笑みを形作る口が今日はきゅっと引き結ばれてしまっている。 瞳もどこか険しくて、僅かに眉間に皺が寄る。 話せない? いや違う。俺は確かに、彼の声を聞いた。 たった三文字、「きらい」と。 だけどそれは彼の本音ではないと言う。音に乗る言葉ではそう言っても、藤倉の表情や全身がそう言っていた。 じゃあやっぱり、まさかのまさか…。 「なぁ、もっかい喋ってみて」 「っ!?」 提案するとまた全力で拒否された。やはり。 「あのさ藤倉、もしかしてなんだけど…」 「………」 「『きらい』って言葉しか、喋れなくなっちゃった、とか?」 我ながら何を馬鹿なことを、と言ってから更に恥ずかしくなる。 しかし俺の言葉に彼は一瞬驚いたかと思うと、こくこくと頷いてみせた。肯定だ。 「え、嘘だよな?」 「………」 「いやいや、いくらお前でも何かの冗談だよ、な…?」 「………」 自分で言っておきながら実は藤倉の度を越した悪戯なのでは?という可能性も芽生えてきて、思わず目を逸らす。 だけどいくら待ってみても、実はドッキリでした、なんて言葉は降ってこなかった。 観念して正面を向く。 彼はじいっと、俺を見ていた。 「まさか本当、なのか?」 「………」 こくりと深く頷かれる。マジで。 いつも軽い冗談を言ってきたり悪戯をしてくることはよくあるが、こんな度を越えたよく分からないことはされたことがない。 そもそもこいつは、少しでも人を…俺を傷つけるようなことはしない。はずだ。 口を開けば「きらい」という言葉しか言えなくなっていた。なんてどういう魔法だよ。 内心突っ込むが、当の本人には大問題だろう。 「あっ、そうだ!筆談とかどうだ?スマホのメモ機能とか」 「………」 俺がそう提案すると彼は早速スマホを出して何かメッセージを打とうとするが、すぐにしゅんとしてしまった。 手にしている画面を覗き込むと、そこにはやはり「きらい」の文字。 紙に書いても同じだったらしい。 どんな呪いだよ…。 「駄目なのか…。というかこれじゃあ、ノート取れないな。授業どうすんの」 聞いても短い溜め息が返ってくるだけだ。 なんだ、溜め息は吐けるのか。 「今日はもう学校休めよ。理由は分かんないけど、これじゃあ困るだろ?」 そう提案するも、今度は弱々しく首を横に振られた。どうやら学校を休むのは嫌らしい。 真面目なのは結構だが、そんな状態で行ってどうするっていうんだ。 話せないのはとりあえず風邪気味とかそういうことにするとしても…うーん。 「学校、行くの?」 どこからか取り出したマスクを装着した藤倉は、俺の方を向くとこくりと頷いた。全く、頑固な奴め。 「出来るだけサポートしたいけど、クラス違うからなぁ…。なぁ、マジで行くの?」 何度聞いても答えは同じらしい。確固とした意志を持った瞳で頷かれてしまえば、もうそれ以上同じことを訊く気にはなれなかった。 こいつってこんなに学校好きだったんだ。知らなかったな。 藤倉のお母さんが知ったらきっとすごく喜ぶことだろう。 「じゃあとりあえず、今日藤倉は風邪気味で話せませんって俺から先生に言っとくから。ノートはお前のクラスの奴に後で頼めば写させてくれるだろ」 それから何か困ることはあるかな…。 学校で起こり得るアレコレを想像しながら歩いていると、後ろからきゅっと袖を引かれた。 あぁ、考え事してるうちに先に行っちゃってたのか。 振り返るとまるで迷子にでもなったかのような不安そうな瞳が揺れている。 マスクをしているから半分以上は顔が見えないのに、変なの。目は口よりもっていうけれど、こいつの瞳は確かに雄弁だ。 「大丈夫だよ。何かあったら俺が助けるから、無理すんなよな」 「………」 そう言っても彼の中の何かが晴れることはなかったらしい。 きゅっと握られたままの服は学校に着くまで離されることはなくて、結局皺になってしまった。
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