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涙ながらの俺の言葉に、彼女はしばらく茫乎といった様子で無表情のまま、俺を見つめていた。
そして、一言「ゴメン」と呟くと、箸をダイニングテーブルの上に置き、俺と同じく涙を流す。
その後、時が止まったような無言の時間が、俺達二人を覆った。
しかし、実際には30分も経過しておらず、無言の時間が続いた後、彼女は席を立ち、そのままバスルームへと入っていった。
この日を境に、劇的に状況が変わった訳ではない。
ただ、細やかな変化が見え始めたのは確かであった。
妻は相変わらず食事を作ろうとはしないが、俺が買ってきたテイクアウトの弁当や、動画を元に作る俺の手料理の一品を、徐々にではあるが食べるようになったのだ。
この年に蔓延した新型コロナは、様々な日常を俺達を含む世界中の人達から奪っていった。
生活様式も変わった。
俺達にしても、完全な元の生活に戻る事は出来ないかもしれないだろう。
が、せめて喜びに満ちた彼女の声さえ聞ければいいと、俺は思っていた。
俺が真っ先に惚れ、「生涯の伴侶」とする事を決めた部分は、彼女のその声だったのだから。
数年後、ようやくお互いの心の傷が癒えてきた俺達夫婦は新たな命を授かった。
その子は、最初の娘に似て、目の大きな女の子であった。
「奈須菜、って名前はどうかな?」
俺は、彼女の好物であるナスをモチーフにした名前を提案する。
「何それ……」
その俺の提案に、彼女はクスクスと笑うのだが、どうやら満更でもないらしく、笑みを交えたその声は出会った頃と同じような多幸感に満ちた天使の笑い声だった。
声<了>
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