あさぎ色の記憶

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 庭を横目に回廊を進む。灯りにぼんやりと浮かぶ花を、クラウディアがにこにこと眺めている。  いくらか行かないうちに柱の陰から跳ねた髪がのぞいているのを見つけた。濃紺に沈んでただの茶色に見えるが、その髪質もぼそぼそと聞こえる声も兄のものだ。  こんな所にいたのか。 「あに……、」 「アルバとクラウディア嬢ってどうなったんだ?」  兄へ呼びかけようとクラウディアより前へ出た足が、そこで止まる。  先のウィリアムの声に、兄のトラモントが応える。 「あー、ダメっぽいなぁ。もう時間切れだし。」 「そうか、残念だったな。スワロウ工房と縁戚になれれば、貴族相手の仕事とかもっと入りそうだったのに。」  そのウィリアムの言葉が、かっと頭に血を上らせた。それなのに、いやに胸の内は冷えている。  なるほど。てっきり飲み過ぎて夜風にでも当たりに出たのかと思ったが、こういう話をしたかったのか。確かに、歓談席でするわけにはいかないだろう。クラウディアを慕う姉達、特にクレエの耳に入ったら大騒ぎすること必至だ。 「兄貴。ウィリアムさん。」  ザカザカとわざと足音をたててアルバは二人の前に躍り出た。兄はびくっと肩を跳ねさせ、義兄予定はぎょっと目を見張った。 「あ、アルバ……。」 「今の話、何?」 「いや、アルバ、あのな、」 「うち今、金に困ってるわけ? だから、見合いを勧めたの?」  兄がぶんぶんと首を横に振る。  では、どうしてそんな話をしているのだ。もしかして、困っているのはウィリアムの方なのか。兄も、その友人であるウィリアムも、アイビィが傷ついていたのを見ていたはずなのに。  アルバはぎろりとウィリアムをにらんだ。ふつふつと怒りが沸いてくる。 「ウィリアムさんがそんなこと考える人だとは思いませんでした。もしかして、アイ姉との婚約も何か裏があるんですか?」 「そんなわけないだろ!」  激高してウィリアムが叫ぶ。頭に血が上ったアルバには、図星を指されて赤くなったように見えた。 「アイ姉を利用するつもりなら許さない!」 「だから、アルバ、違うんだってっ。」  薪をくべられたみたいに頭がカッカッと燃えている。うろたえている兄へキッと視線を移す。 「俺だって、俺の相手は俺が決める! 俺も、”彼女”も、利用なんてさせない! 傷つけるなら絶対に許さない!」  守るって約束した。俺が守るって、そう言った。  ……誰と? ……誰に?  ふっと湧いた疑問にアルバの思考が急停止する。自分は今、誰のために怒っているのだろう。何がこんなに苦しいのだろう。  すいっと横で風が動いた。固く握りしめていたアルバの手へ、やわらかい手が触れる。その姿を認めて兄が青ざめる。ぎこちなく振り返るアルバを、水色の目が見つめていた。クラウディアがふわりとほほ笑む。 「アルバさん、落ち着いて考えてください。アルバさんのお父様は、我が子に気持ちの通わない結婚をさせるような方ですか?」 「……違う。」  姉達への縁談を申し込まれた時はいつも、受けるかどうかまず当人に確認していたはずだ。 「では、お兄様は?」 「……。」  アルバは思わず押し黙った。先日の見合いが強行されたのは、兄のせいだろう。  クラウディアが苦笑する。 「私とのことは、すみませんでした。父が無理を言って、貴方を紹介してもらったんです。トラモントさん達は悪くないんですよ。」  それでですね、とクラウディアは続ける。 「さっきの話も大丈夫なんですよ、アルバさん。トラモントさんもウィリアムさんも、仮定の話をしていただけなんです。そうだったら、こうだったのにねって。こうするつもりだったって、計画を立てていたんじゃないんです。そうですよね?」  クラウディアに話と視線を振られ、二人がこくこくとうなずく。  彼女はアルバの手を両手でそぉっと包んだ。 「お兄様もご両親も、誰も、貴方を利用しようなんて思っていません。貴方の大事な人を傷つけたりしません。貴方と同じくらい、大事にしてくれます。だから、大丈夫なんですよ。」  手と同じやわらかくあたたかい声に、すぅっと熱いものが抜け落ちた。こくりとうなずくと、そっと手が離れた。アルバが何か応えようと口を開くと、タカタカとフロアの方から足音が近づいてきた。  現れたのはつややかな黒髪の青年、レイニーだ。 「いたいた姉さん! 勝手にどっか行かないでよ。生徒さん達探してたよ?」 「あら、ごめんなさい。」 「ほら、戻るよ。あ、トラモントさん、ウィリアムさん、こんばんは。」  今気がついた、という顔をしてレイニーは二人へ頭を下げた。姉へ手を差し出す。その手を取ってクラウディアはアルバへほほ笑んだ。 「私達はここで失礼しますね。……さようなら、アルバさん。」  弟のエスコートでクラウディアは回廊の奥へ消える。  アルバはぼんやりと二人の背中を見送った。本来なら紳士らしく礼を返す所だ。しかし、思いがけず与えられたショックで体が硬直していた。  ありふれた別れの言葉が、アルバの胸を刺したのだ。  行ってしまう。ディーアが、行ってしまう。  自身の内から湧いた嘆きに驚いていると、横で兄が動いた。ひさしに遮られた空を仰いで片手で顔を覆っている。 「兄貴、」 「ごめん、アルバ。」  兄弟の声が重なる。弱々しい声で兄は続けた。 「クラウディアさんの相手を探してるって聞いた時、チャンスだと思ったんだ。丁度良いきっかけだって。きっと上手くいくって。だってお前はあんなに……。」  声として発したのかどうか、最後はもごもごと口が動いただけで聞き取れなかった。  それきり、兄の口からクラウディアの名が出てくることはなかった。  ***
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