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生島定子の決意
古い建物ではあるが昭和を感じさせる趣がある造りだ。
生島幸太郎が厚生労働省を退官後にここに越してきたという。
さり気ない所作で紅茶を入れてくた定子にお礼を言った。
カップに入った紅茶を飲むのは何年振りだろかと考えたが思い出せなかった。
定子は自分もソファーに座ると紅茶をひと口飲んだ。
つられて慶太と加奈子も紅茶を口にする。
「まず最初に教えてもらいましょうか。あなた方が何故優子の事をご存知なのか」
鋭い口調に気圧されそうになる。
「どうしてかというと-----」
口籠る慶太に代わって加奈子が言った。
「私達二人は全てを理解してここに来ています」
「おかしな事を言うのね。優子の件を知っているのは厚労省と医大の関係者を合わせて数人しかいないのよ。それも殆ど亡くなっているはず」
「この事は誰かに聞いたものではありません。説明しても信じてもらえないと思います。私に特殊能力があるといっても」
「あら急に話しがオコチャマじみしてきたわね」
定子が笑って受け付けない。
「それであなた達は私を脅迫にでも来たのですか」
「そんな事するわけ無いじゃないですか。僕たちは生島さんに優子さんの元気な姿をお見せしたいんです」
「優子に合わせる? いい加減なこと言うなら紅茶を飲むで帰って頂戴」
定子は大きな声を張り上げて怒ってしまった。
「それじゃあオコチャマみたいな話をもう一つ、優子さんにも特殊な能力があったんじゃないですか?」
加奈子の言葉に定子が絶句する。
「どうして知ってるの。この事は、私と死んだ主人しか知らないはずなのに」
「言いましたよね。私には特殊能力があるって。優子さんは、人の感情が色に見えるんですよね。楽しき時は赤、悲しい時は青、怒っている時は緑、犯罪を企んでいる時は灰色というふうに」
驚いた定子は黙り込み、加奈子の顔を見つめていた。
そして少し席を外させて下さいと言って部屋を出ていった。
6畳の殺風景な部屋に入ると本棚にあるアルバムを手に取った。
表紙をめくり優子の産まれたばかりの写真、小学校の入学式、運動会、家族旅行、様々な思い出を思い出した。
優子に会いたいと思った。
抱きしめたいと思った。
例え騙されたとしても一縷の望みがあるのなら信じてもいいのではと思った。
定子は決意した。
どうせ私も長くは生きられない。
叶うことのないと思っていた優子との再会に希望を繋ぐことにしよう。
涙を拭うと定子は居間に戻った。
お待たせしましたと言って定子はソファーに腰を下ろす。
目の周りが赤く張れている。
きっと泣いていたんだろうと二人は思った。
「それでは続きを始めましょうか。先ずは加奈子さん。あなたには特殊な能力があるとおっしゃいましたがどんな能力があるの?」
「少し先の未来が見えます。例えば、ちょっとテレビを付けてもいいですか?」
どうぞと言ってテレビのリモコンを渡す。
加奈子はスイッチを入れる。
競馬の生中継が放送されている。
このレースの三連単の順位は3ー9ー14の着順で入り、配当額は9250円になります。
暫しテレビに集中し、画面を食い入るように観た。
結果はその通りになり定子は腰を抜かして驚いた。
チャンネルを変えると将棋のニュースが流れた。
今人気の若手棋士が対戦している。
「この勝負若手の棋士が113手で勝利します。後で確認してください。それから、4時15分に宅配便が届きます。−−−信じていただけますか」
「分かりました、これだけの物を見せられましたら信じない訳にいかないわね。それにしても優子の力とは比べものにならないほど凄いのね」
定子が優子の能力に気づいたのは小学校に上ってすぐの頃だ。
殆ど叱られるような事をしない優子を出来のいい子供だと両親は思っていた。
ある時電器店で買い物をしていると、50代と思しき男性とすれ違った。
その時優子は「あのおじさん怒り出すよ」と言った。
その時は右から左ヘ聞き流していたが、何とその男性はカウンターへ駆け寄ると店員に向かって大声で怒鳴りだした。
不良品を売りつけやがってと怒っている。
驚いた定子はどうしてわかったのと聞くと。
「あのおじさん顔が緑だったの」と言った。
初めは笑って相手にしなかったが、そのうちに万引き犯を当てたり、嘘を見抜いたりできる事が分かった。
全て顔の色で判断するという。
どうりで出来のいい子供のはずだ。
正に親の顔色を伺っていたのだ。
だが優子の身の上を心配した両親は誰にもその事を話してはいけないと優子に釘を刺した。
その辺は加奈子と同じ境遇だ。
「分かりました。あなたの能力は認めますが、それが優子とどう関係するんですか?」
それは僕から話しますと慶太が言った。
「信じていただきたいのですが、彼女は未来と繋がることができます。その力を使って優子さんの病を完治させます」
「未来ね〜、余りにも現実味がない話ね」
「誰でもそう思いますよね。僕も最初は信じられなかった」
「それで私にどうしろと言うの、それに優子を助けて何をしたいの?」
「ウィリアムズ延命財団との契約の打ち切りをお願いします。そして、優子さんが復活したあかつきには僕たちの仲間になって貰います」
「財団の事まで知っていたのね。それで優子はあなた達の仲間になって何をするの」
「ハッキリしたことは私達も把握できてませんが、優子さんの存在でその辺も明らかになるでしょう。人類を救う大切な事だということは約束します」
「私からもお願いします。人類の為なんです」
二人は、深く頭を下げる。
定子は二人の顔を交互に見つめる。
緊張感が慶太と加奈子を包む。
定子が満面の笑顔を咲かせた。
「返事はYESよ。私の方からお願いします。優子に合わせて下さい」
慶太と加奈子は目を合わせると、はしゃいで喜んだ。
加奈子は御礼を述べたあとこう言った。
「一つだけお話しなくてはいけない事があります」
「何でしょう」
「優子さんは戻ってきますが、人格が変わります。定子さんが母親だとは分かってますが、全く別人になります」
「そうなんですか」
少し気落ちしたような定子。
「でも仕方ありませんね。優子に会えるだけでいいんです。主人が亡くなる前に言った最後の言葉が忘れられません」
ハンカチで涙を拭う。
「優子に会いたい。俺のした事は、間違いなかったのかなあ、 あの人そう言って息を引き取りました」
加奈子がもらい泣きして涙を流す。
「生島さんの選択に正しいも間違いもありません。普通の人間としての行動だと思います」
「慶太さん、ありがとう。そう言って頂けると主人も浮かばれます」
定子はふさぎ込み号泣した。
少し経つとチャイムが鳴った。
定子は涙を拭い玄関へへ向かった。
箱を抱えて戻って来た。
「宅配便よ。あなたの言った通り4時15分よ」
定子に笑顔が戻リこう言った。
「長生きしなきゃ」
二人は、生島定子と今後連絡を密に取ってスケジュールを立て行動する事を約束し生島家を後にした。
駅まで歩く道すがら慶太は加奈子に聞いた。
「未来は特定疾患の患者は存在するのか?」
「医学の発達は凄いの。不治の病もなくなったの。新しい病や伝染病が見つかっても、あっという間に薬やワクチンが開発されるのよ」
「だったら優子さんも、いずれは助かったんだろう」
「いずれはね。でも数百年後の事よ。時代が余りにも開きがあると生活に馴染めなくなり、今度は精神疾患を患う事になる」
「体の病から心の病になるのか」
「そういう事。友達も知り合いもいないし、言葉も通じ難い、文章も読みにくい」
「確かに同じ日本でも地方の方言も聞き取れない事もあるし、たかだか明治時代の文章もスラスラとは読めないな」
「そういう事ね」
「でもどうして生島優子なんだろう。他に適任者はいなかったのか」
「特殊能力がある事。それに健常者に性格が変わるのを受け入れる筈がない」
「未だに信じられないよ。未来から人体冷凍保存装置に侵入して治療するなんて」
「今で言うコピーアンドペーストをするのよ。未来の人の脳を」
「いよいよ未来人と対面するんだな」
「どんな未来人か楽しみね」
「優子ちゃんってどんな娘かなあ。17歳だから俺達より二つ年下だ」
「あら20年眠っていたから動物学的には37歳よ」
「う〜ん、優子ちゃんといいレイコちゃんといい、ややこし過ぎるな」
慶太は首を傾げて歩いている。
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