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1-10 おまえ免許持ってないわ
よつ葉は初めて星野の前で泣いた。
星野のせいで泣いたのは、初めてではなかった。
横乗り初日に「なんでこんな仕事しようと思ったの」と言われ、感傷的な気分になった。
そのままの気分で退勤したため、船が倉庫へ並んで向かって行く光景を見ただけで、感極まって泣いてしまった。
それでなくとも星野が紡ぐ、湧き水のごとく流れ出てくる言葉は天才的なくらい暴力的で、よつ葉は気づかないうちに枕を濡らしているのが最近のデフォルトだった。
たしかに、よつ葉はまだ現場で2週間も働いていない。
「間違えない、壊さない」すら怪しいのに、生意気なことを言ったのかもしれない。
ただ「こんな仕事」と言いながらも自分は決して手抜きしないのに、指導している新人がどんなに残念な仕事をしていても意に介さず、それどころか教えを請うと拒絶する。
それでは星野のやっていることも、ただの自己満足ではないか。
だいたい、星野がよつ葉の前で言っていることと、やっていることは最初からちぐはぐだった。
偶然聞いてしまった会話の内容から、過去に星野が指導した新人に関わる事故は、間違いなく影響があるだろうと思われた。
そして星野の仕事に対する姿勢は、星野の破綻した人格も原因だろうが、誰からも支持されているわけではないようだった。
よつ葉が憧れ続けた星野と、いま目の前にいる星野が同一人物とは思えないのと同じくらい、星野の言動には一貫性がなかった。
よつ葉は虚ろな顔でしばらくそんなことを考えていた。
「間違えない、壊さない」程度の話しかしてもらえないのが不満なら、まずはそこをクリアしてから言えという話なら、まだ納得できる。
それで星野が何て言うかなんて分からない。
ただそこまで行かないと、そもそも話にすらならないのは事実であって、いろいろ考えるのも面倒になってきた。
よつ葉はフーッと大きく息を吐いて顔を上げ、窓から見える光景を睨みつけた。
スダチ星のメインターミナルは、もう目で確認できる位置にあった。
「1便は全部自分でやりますから」
唐突な宣言をするよつ葉を、星野は真顔で見つめた。
「3分な」
「え?」
よつ葉が聞き返すと、星野はわざとらしいくらい、はっきりと答えた。
「3分前までは何もしないわ」
「そこまで落とさないので必要ありません!」
自然と口をついて出たよつ葉の言葉を聞き、星野はただ鼻で笑った。
実際に配送物量が少なかったことに助けられたとはいえ、よつ葉は1便の6店舗を星野の助けなしに完走し、その勢いで2便の積込についても、時間内に終わらせられそうなところまできていた。
「週末もどこにも行けそうにないな」
よつ葉は今週も週末が休みになっていたが、すでに強烈な筋肉痛を覚悟していた。
離れたところで見ていた星野の隣には、いつの間にか押野が立っていた。
星野と押野は同期ではあるが、歳は押野の方が10歳近く上だった。
「まだ2週間経ってないのに1便1人で回ったんだって?」
「どこから聞くんすか、そんなこと……」
「みんな気になるんだろ。指導員おまえだしな」
笑いながら話す押野に対し、終始苦笑いしながら何かを話していた星野は、よつ葉が2便の積込を終えたのを見ると、押野に手を挙げてよつ葉の方へ向かってきた。
そのとき押野が星野に言った言葉を、よつ葉はしっかり聞き取れなかったが、「トヘイダ」という単語を聞いた星野が「やかましい!」と苦笑いで応じていたことは分かった。
「今日はちゃんと休憩とれるんじゃないの」
よつ葉はとりあえず頷いたが、もはや褒められているのか馬鹿にされているのかも分からず、肩で息をしながら積荷のチェックを続けた。
「ところでさ」
よつ葉はギクっとして身構えた。
星野は離れて見ていても、よつ葉が誤配や破損につながるような積込をすると、すぐさま指摘してきた。積込後になって指摘を受けたことはなかった。
「ちょっと免許見せてもらっていい?」
「へっ?」
拍子抜けしたよつ葉の前に、星野は手を差し出した。
「待ってください」
よつ葉はコクピットに向かい、リュックからパスケースを持ってきて星野に渡した。
「やっぱりな」
星野は顔をしかめながら、自分のポケットに手を数回当てて軽く舌打ちし、コクピットへ向かおうとした。
「やっぱりって、なんですか」
不安げな顔で呼び止めたよつ葉を見て、星野は呆れ顔で言った。
「おまえ、免許持ってないわ」
なんのことか分からず、よつ葉は首を傾げた。
「おまえの免許じゃうちの船、操縦できないんだけど」
声にならない「は」の口のまま、よつ葉は固まった。
それはまたひとつ、よつ葉に起こった想定外のできごとだった。
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