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1-5 間違えない壊さない
そのあとに起こった出来事を、よつ葉はしっかり把握できていなかった。
把握できていないというのは、忘れてしまったわけではないのだ。むしろ、目の前で繰り広げられた光景と、その後に浴びせられた言葉は、よつ葉にとってはそれぞれ衝撃であって、その両方を等しく消化することができずにいた。
「清濁併せ吞むとは、こういうことなのか」
うつろな表情でボソッと呟くよつ葉に、三納が声をかけた。
「どうした?」
「うわっ、すみません」
不意をつかれたよつ葉は、手にしていたタブレットを落としそうになった。
三納に頭を下げ、改めて研修レポートに入力されている内容を確認して、よつ葉はまた表情を曇らせていった。そんなよつ葉を新庄は、ずっと落ち着かない様子で眺めていた。
レポートには指導員である星野の入力個所と、指導される側であるよつ葉の入力個所があり、すでに星野は入力を済ませて帰ってしまった。
その内容は、今日星野がやったことが箇条書きされているだけで、一番下に「見学」と記載されているだけであった。それは間違いではないのだが、あまりに簡単なものだった。
実際、よつ葉は星野が入力していった内容よりずっと多くのことを、指導員の入力欄に書き込むことができた。星野の所作は、それくらいに鮮明に焼き付いていた。
「あまり深く考えなくていいよ。疑問に思ったことでもいいし」
「はい……」
三納に返事をしながら画面にタップして、よつ葉はまた呟いた。「疑問、疑問……。なんでこんな——」
途中ではっとして、よつ葉はタブレットの画面をタップし始めた。少しすると一度天井を見上げ、またリズミカルに入力していく。
「こんな感じでいいですか」
タブレットを差し出された三納は内容を確認し、親指を立てた。
「もう遅いから、気をつけて帰ってね。明日はまた同じ時間ですね」
「ありがとうございます」
よつ葉は今日6回目の退勤の点呼を済まし、三納と新庄に頭を下げ、営業所を後にした。
センターには続々と船が戻ってきていた。カボス星系全体で1,000店舗弱ある七ツ星ストアへの納品に、毎日100隻の船が出ていく。
整然と並んで倉庫へ向かっていく七ツ星船を見て、よつ葉の目から涙が溢れた。
「なんでこんな仕事しようと思ったの。か——」
星野の言葉に、大きな衝撃を受けた。
そもそも「こんな仕事」に対する星野の姿勢は、その言葉と噛み合っていなかった。
それすら入社試験の延長なのかと思って構えてもみたのだが、よつ葉はわずか数時間、いや下手すると1時間程度一緒にいただけで、気づいてしまった。
星野遥は、仕事は滅法できるが、性格が悪い。
把握ができないというのは、つまりその事実を認めたくないということだった。
仮にそれが事実なら、なぜそんな男を会社は指導員として抜擢したのだろうという疑問も出てくるわけで、良いイメージはまったく湧かなかった。
「歓迎されてないのかな」
星空を眺めながらぽつりと呟いたよつ葉は、頬を拭って駐輪場へ向かっていった。
「菅原さんのレポート、どうでした?」
よつ葉の姿が窓から見えなくなるのを確認して、新庄が振り返った。
「気になる?」
三納は少し意地の悪い顔をして、タブレットを差し出した。
「ええと、『間違えない、壊さないを最優先すること、という星野さんのご指導通りに……』って、あの人このまえ『いつまでそんなレベルの仕事してんだ』って、田尻さんのこと罵倒してたのに」
「エイト——」
声が上がっていく新庄を制し、三納は静かに話した。「田尻は一応、ベテランだしさ。彼女のことは俺たちはもちろん、矢作さんとほかの班長にも見てもらってるから——」
新庄の仏頂面を見て、三納は少し笑みを浮かべた。
「関わるなって言っているわけじゃない。気づいたことがあれば教えてほしい。それに、『間違えない、壊さない』は星野の師匠の口癖だからな。あいつも考えてるよ」
「そんなもんですかね」
首を傾げながら、吐き捨てるように言う新庄を見て、三納はまた微かに笑った。
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