第3章

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「少し眠ったら?何かあったら起こすから。」 会話が途切れた後でそう言った僕に素直に応じてくれた朔くんは、そのまま僕の肩に頭を預けたまま瞳を閉じていた。 じきにすぅ…と耳元に寝息が聞こえてくる。余程疲れていたのだろう。 肩に感じる温かな重み。 ふと横目に入る、綺麗な寝顔は幼い。 他に頼れる人がいなかったから、それだけの理由だとしてもこうしてまた朔くんの隣にいられることと、朔くんの無防備な寝顔に、胸が疼く。 夜明け前の真っ暗な夜の闇が大きなガラス窓から広がっているのが見える中、肩に感じる朔くんの柔らかな重みと温かさを、切なく愛しく感じていた。 「ん…。」 顔にかかる光が眩しい。 まだこの微睡みから目覚めたくない…。 特にこの、柔らくて温かくて寝心地最高の枕からは離れたくない…。 …。 …。 ん…?待て待て。 確か僕は今、朔くんと朔くんのお母さんが運ばれた病院に来ていて…。 来て…いて…!? 「…っ!?」 思わず飛び起きた僕の目の前に、何事かと驚いて身体を反らす朔くんの姿があった。 「わぁぁぁ!?」 その距離の近さに今度は僕の身体が飛び退く。 「ごっ、ごめんっ、僕がっつり寝ちゃってたよね!?」 最後に見た空は確かに真っ暗だったのに、うっすらと眩しい青空までもが見え始めていた。 瞬間的に意識を取り戻した頭で慌てて確認した携帯の時計は、朝の7時を少し回ったところだった。 「…あぁ〜…。」 歳上ぶってカッコよく眠りなよ、とか言っておいてなんという体たらく…。 しかもこのベンチの上でしっかりと横になっていたということは…!? 「朔くん…。僕、もしかして膝枕とかして貰ったりしてた…?」 聞くのが怖い。怖すぎる。 が、確かに残る温かで柔らかな感触。 …現実から目を反らすわけにもいかない。 「あぁ、最初は俺の肩にもたれかかってたけど、なんか寝にくそうだったから。」 「うぁぁぁぁ……。」 あっさり返ってきた朔くんからの返答に僕はそのまま脱力して塞ぎ込んだ。 「ごめん、ほんとごめん…。」 「別に。なんか幸せそうな顔して寝てたから見てて飽きなかった。」 「あぁぁぁぁ…。」 この世の終わりかのような悲壮な表情を浮かべる僕に答える朔くんはいつもより穏やかな表情だった。 「はっ!ヨダレ!!…よっ、涎とかついてないよね!?」 慌てて僕が寝ていた辺りを確認していると、じっと僕を見る朔くんと目が合う。 「…。」 あぁ…今そんなこと思ってる場合じゃないけど、やっぱり朔くんの面差しはとんでもなく魅力的で、綺麗だ。 こんな時でも、吸い込まれそうなその瞳にトクン…と鼓動が大きく跳ねるのを感じる。 だからだ、だからだよ!? せめてそんな朔くんが僕を頼ってきてくれた、こんなまたとない機会には歳上の威厳というか頼りがいがあるところをですね、カッコよく見せつけたかったのに…。 「膝枕するどころかされながら付き添いしてる家族を差し置いて赤の他人の僕が爆睡するって…。」 はぁぁぁあぁぁ…。 盛大にこの世の終わりのような溜め息を吐く僕に、朔くんが 「…何さっきからわけわかんないこと言ってんの。」 表情を緩めて、笑った。 「…っ!?」 その光景に思わず固まってしまう。 次いで余りの可愛さにかぁ〜っと顔を赤くしてしまう僕に朔くんは不思議そうに小首を傾げた。 それがまた神がかった可愛さで、僕は最早言葉を失くして悶絶してしまう。 「朔くん、ちょっと起きがけにその可愛さは心臓に悪い…。」 いつもはもう少し辛辣にかわされるところなのに、どことなく朔くんの空気が柔らかいのは少し心を許してくれているから…?と思ってしまうのはポジティブすぎるだろうか。 「あぁ…。自分が頼りないのは重々承知しておりますが、何もこんな時に寝落ちしなくても…。」 朔くんが可愛いければ可愛いほど自分の不甲斐なさが際立ち、僕はベンチの隅で小さくなる。 「何へこんでんのか知らないけど、幸せそうな顔して寝てるアンタの顔、ずっと見てたら俺は楽になったよ。」 ふいに朔くんから溢された言葉に、僕は顔を上げた。 「う…、それは、自分より間抜けな人物を見た時に生まれる慈しみの心ではないだろうか、と…。」 「そう?そんなことないけど。」 悲しみを捨てきれない僕に、朔くんはさっきと変わらない穏やかな顔をしていた。 そう言えば朔くんとこんなに長く一緒にいるのは初めてだった。 朔くんのことを殆ど知らなかった昨日までとは大違いで、朔くんがいつもどこか寂しそうだったその深い理由までも知ることになった。 けれど、朔くんの寂しい過去を知っても、僕には不思議と可哀想だとか不憫だとか、そんな気持ちは起こらなかった。 いや、幼い朔くんが苦しんできたことに対する胸の痛みや、朔くんのお母さんに対するそれはないわ!という怒りはもちろんあったけど。 でもそれよりも何よりも、それを知った上で、朔くんがもっともっと愛しく想えて仕方がなくて。 あぁ、僕がその分、今までの分も朔くんをたくさんたくさん甘やかしたいなぁって、そんな気持ちが溢れて止まらなくて、どうしようもなかった。 …なんて、朔くんは他に頼る人がいないから僕に頼んでるだけなのに、弱ってる朔くんにつけこむようなそんな(よこしま)な考えばかりが浮かぶ僕は、情けないのと相まってそんな自分に心底嫌気が差していたのだった。
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