かくしごと

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かくしごと

生まれておめでとう。 お前は選ばれた。お前は生まれた。 お前は世界を見て旅をし、全てを知るために、存在する。 目覚めよ、立ち上がれよ、我の手足よ! 今こそ、この世界を知り尽くすのだ。 誰かの声がうるさく響く。 わたしは耳をふさいで、眼を強く閉じる。 嫌だ。怖い。目覚めたくない。 聞こえたくない声が聞こえる。 ここじゃないどこかの世界が見える。 知りたくない味が分かる。 本当なら動かせないはずのものが、わたしを取り囲む。 本当ならここにはないはずのものが、わたしを手の中にある。 本当ならここにいたはずのものが、わたしにはない。 お前は選ばれた。お前は生まれた。 お前は世界を見て旅をし、全てを知るために、存在する。 なんで? お前は依り代。我の使いである。 ヨリシロ? さあ、目覚めの時が来た。 私の代わりに人々を見よ。 私の代わりに大地を歩け。 私の代わりに知識を得よ。 私の代わりにこの世界を生きるのだ! いやだ。いやだ。目覚めたくない。 ヨリシロになんて、なりたくない! 私の物を返してよ。 私を元の場所に帰してよ。 ねえ、神様なんでしょ? 私を助けてよ。 *** 「それが最後の記憶です。 何も見えず、何も聞こえなくなった。 そのくせ、展開される未来ばかりが見えるのです。 崩壊を奏でる音楽が聞こえるのです。 私は神様に何もかもを奪い取られたのです」 ラプラスは私にそう語った。 神の手足になることを拒んだ結果、神にすべてを奪われた人物である。 彼女は独占取材を許してくれた。 魔界と人間界を繋ぐ懸け橋にふさわしい人物として、俺が選ばれたのである。 テーブルの中央にレコーダーを配置し、ひたすら彼女の言葉をタイプする。 俺は非常勤の大学講師で、もちろん「魔界」は自分の研究対象ではあるのだけど、ここまで許されるとは思わなかった。 書く仕事で隠しごとをすることになろうとは、なんという皮肉だろうか。 「人に愛を与えるはずの神が、あなたからすべてを奪った」 そう言うと、彼女はうなずいた。 毛足の長い絨毯に高級な木材が使われた家具が並び、白色で統一された明るい部屋で俺たちは二人で会話を続けていた。 装飾をふんだんにあしらったドレスに、柔らかく透き通るような金色の髪を見ただけでは、彼女が魔界に君臨する王だとは誰も思うまい。 「だから、問い続けてくれる誰かを探し続けた。 だから、満たしてくれる誰かを探し続けた。 だから、染めてくれる誰かを探し続けた。 だから、変わらないでいてくれる誰かを探し続けた。 だから、求め続けてくれる誰かを探し続けた。 だから、思ってくれる誰かを探し続けた」 彼女は手を強く握りしめる。 「私はどうしようもない怒りを抱えた者。 それが、私なのですよ」 神に直接選ばれたにもかかわらず、彼女は自ら拒んだ。 単純なことだった。 彼女が必要だったのは神ではなく、人だった。 誰かを必要としていたのだ。 幼い彼女に必要だったのは愛だったのだ。 神は自分の代わりに世界を旅するように命じた。 世界を救うためでもなく、倒すべき相手がいるわけでもない。 目的は不明だが、人類を知るための道具が必要だった。 絶対の命令に逆らった結果、どうだろう。 彼女は重すぎる罰を受け、ありもしない罪を着せられた。 実際、彼女が住んでいた家は燃やしつくされ、両目から血の涙を流し、地面に倒れていた。気絶していた彼女を助けたのは、後に色欲の名を持つことになる男だったらしい。 彼女は視力を失う代わりに、はるか先の未来が見えるようになった。 俺とこうして話し合うことも、彼女は予想していたに違いない。 「なぜ、拒んだのです?」 「考えてもみてください。 ある日突然、勇者になれと言われても困るだけでしょう?  私はそんなものになりたくなかった。 どれだけ強い力があっても、それで人々を救えるとは思えなかったのです」 「確かに正義は人それぞれ、違うものを持っています。 あなたにとっては、それが押し付けの過ぎなかったのでしょう」 俺はひたすらにまとめていく。 引っかかった単語を記録し、使えそうな文献を記載していく。 鍵盤を叩く音がひたすらに響く。 「ただ、そのような罰を受けることを分かっていたとしても、神の命令を受けなかったのでしょうか」 「順番が逆だと思いますよ。 神は私に命令を受けさせるために、罰を用意していた」 従わせるために、罰を用意する。 やり方がまさに恐怖政治のそれだ。 神に正義が必要だった。それを示す傀儡が必要だった。 彼女は選ばれた。しかしそれを拒んだ。 そして、別の何かになった。 人々はそれを魔王と呼び、忌み嫌うのだった。
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