41人が本棚に入れています
本棚に追加
目が合うと彼は、口元に優しげな笑みを浮かべた。惹きつけられてしまっていたことに気づいて、碧生は会釈をする。
雨粒が首筋を濡らした。次第に雨脚が強まってくる。斜め向かいにある、自宅アパートの屋根の下に駆け込むと、碧生はポケットの中を探った。
「あれ」
キーリングの中から、自宅の鍵だけが消えている。
一体どこにやってしまったのだろう。部屋の前に着くとリュックを身体の前に抱え、口を大きく開いた。底の方をまさぐっていたが、すぐに手を止めた。
勤務先の事務所に鍵をかけたとき、キーリングに自宅の鍵はついていただろうか。最後に見たのはいつだろう。行動を振り返ろうとしても何も思い出せず、碧生はリュックを背負い直す。
(落としたのかも。とりあえず来た道を戻りながら、探してみるしかないな)
碧生は唇を引き結び、憂鬱な気持ちでアパートの外に出た。
今さっき通り過ぎたばかりの店の前を、もう一度通るのが気恥ずかしかった。俯いたまま駆け抜けようとすると、雨音をもすり抜ける澄んだ声が碧生を呼んだ。
最初のコメントを投稿しよう!