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与えられた選択
「二人のうち、どちらかに結婚してもらうことになるだろう」
故郷の帝国から連絡が来たのはエミスティアが十二歳の時のことだ。
それを聞いた時、自分が選ばれることはないんだろうな。
エミスティアはなんとなくそう感じていた。
そして、双子の姉のアミュエラが妖精界の大国、オルンベルヌ王国のグシャス公に嫁いでいった時。
自分はひどい女だと、エミスティアは自覚したのだった。
姉妹共通で大好きだった一人の幼馴染の少年をどうしても独占したかったからだ。
これで姉は消えた。
次は自分の夢を殺さずに追いかける番だ。
少女はそう心に固く決めて新たな光の道を模索することになる。
東の大陸の覇者、エルアージュ帝国の皇帝の側室だった母親が故国であるこのダイナル王国に帰国したのは、二人がまだ幼い頃のこと。
母親はこの国の王族でも貴族でもなんでもない、単なる街の商家の娘だった。
実家の商会の船にたまたま乗り合わせていた現皇帝アレキシウス帝。
彼がまだ十代だった二人の母を船内で抱いた時に、運命は決まってしまう。
そして二人は産まれ、平民上がりの側室になった母親は、宮廷内の争いに巻き込まれてしまう。
そんな訳で、二人の幼い少女は世間の闇の側面を見て生きてきた。
皇族でもない母親にやってくる宮廷内での当てつけに嫉妬に、その他貴族令嬢たちの果てしない嫌がらせを柳に風と受け流し、双子を育ててきた母親は凄いと思う。
政治に翻弄されながら、この国では双子の安全はない。
そう予見した彼女の知見は正しくてお宿下がりを願いでてからほぼ一月後。
ダイナル王国に到着したのと同じころに、帝国では内紛が勃発していた。
あれから六年。
「いい、二人とも。
帝国から離れたからといって、帝室と無関係になったと思ってはいけませんよ?
あなたたちは庶子とはいえ、皇女の血筋でもあるのだから。
生涯、その事実からは逃げる事はできないと思いなさい」
母のその一言は間違っていなかった。
アミュエラが旅立った。
次はわたしかもしれない。
グシャス公‥‥‥ヒキガエルからデーモンの大公になった聖霊。
そんなところにでも、帝国はその勢力を維持する為に娘を利用する。
「ヒキガエルはー‥‥‥嫌だな」
ごめん、アミュエラ。
わたし、あなたが行くことになって心のどこかでほっとしてる。
これでルイはわたしだけのもの。
いまどこにいるとも知れない幼馴染の少年の面影を思い出して、十二歳のエミスティアは密やかにほくそ笑む。
わたしは最低の女だ。
そう、自覚しながら。
それでも、エミスティアは知っている。
己の魂に自由であるものだけが、最後に勝つのだ、と。
「せい、じょ‥‥‥ですか、お母様?」
「そう、聖女よ。
聞いたことはない?」
母親はさも当然のように尋ねてくる。
知らないどこか、常識以前の問題。
聖女様は神々のこの世における代理人。
その偉大なる力と預言を受けて魔を狩り、他の聖女と神に変わって代理戦争を繰り返す。
この地上世界の覇権をかけて、自分の主神の代わりに殺し合うことも数代に一度はあるという。
そんな物騒な存在でも、世間からすれば聖なる存在。
誰よりも偉大な神の代理人。
敬意と羨望の眼差しを受けるのだから、人間ってなんて愚かなんだろう。
そう、エミスティアは考えていた。
誰にも言わないし、口にもしないが。
「聞いたことはありますけど、それが何か?」
「うん、そうね‥‥‥。
ねえ、エミスティア?
なぜ、アミュエラやあなたにグシャス公からの婚約の話が持ち上がったと思う?」
母親は穏やかに、どこかに怒りを称えてそうエミスティアに問いかけた。
まるでその犯人が、この小さな双子の片割れでだとでもいうかのように。
「さ、さあ‥‥‥?
わたしは存じませんわ、お母様」
「そう、あなたは知らないのね。
なら、多くは聞かないけれど、ねえエミスティア。
あの子ー‥‥‥」
母親は何枚かの聖女がまだ決まっていない神殿からの巫女見習いの応募用紙を取り出してテーブルに並べた。
ここから、どれかを選びなさい。
あなたに自由はないのよ、エミスティア?
そう、暗黙裏に指示していた。
姉は戦争に身を投じた。
あなたも、皇族としてその責を負いなさいエミスティア。
彼女はそう言っていた。
「お母様‥‥‥嫌、です。
せっかく、ルイに近づける可能性が一つ生まれたのにそれを潰すようなことはしたくありません」
「可能性?
あなた、何を言っているの?」
「え‥‥‥っ?」
「いい、エミスティア。
あの子、アミュエラは帝国の為に糧になったの。
これから生きようが死のうが、それはあの子次第。
それに引き換えあなたはどう?」
「どうって‥‥‥」
まだわからないのね、この子は。
母親は大きくため息をついた。
左右に小さく首を振ると、まだわかっていない。
そう寂し気に呟いていた。
「いい、エミスティア?
アミュエラとあなたの価値はどう違うと思う?
あなたたちは双子の皇族にもなれない皇帝陛下の庶子だけど。
どうして、アミュエラがグシャス公なんて大聖霊に嫁げてあなただけが残ったと思うの?」
「それ、は‥‥‥価値って。
お母様、まるでわたしたちがものであるかのように言われなくても!?
アミュエラが、お姉様はカエルの、ヒキガエルの聖霊の妻に召し上げられたのですよ!?
それがどれだけ不名誉なことか!?」
「それはね、エミスティア。
不名誉ではなく、名誉なのよ、エミスティア。
帝国から離れたわたしたちでも、陛下の御恩に報いることができる。
それがどれだけありがたいことか分からないのね、あなたは」
「申し上げて‥‥‥宜しいでしょうか、お母様?」
エミスティアは肩を震わせながら言った。
何か言えるのなら、行ってごらんなさい。
そう、元皇帝の側室は促していた。
「わたしたちは、あの帝国において常に死にさらされていました。
陛下は何度お母様の元に訪れてくだいましたか?
わたしは産まれて物心ついて以来、陛下の。
お父様の御尊顔を拝したことは数度しかありません。
帝国での貴族の子弟子女が集まる場では常に冷酷な大人たちと嘲笑の的。
それもすべてー‥‥‥」
「そうね、わたしが平民の出だから。
あなたたちを出産してから、陛下のご寵愛はすぐに別の奥方様に行ってしまわれた。
それも仕方がないこと。
陛下は正当な皇帝の血筋を残さなければならないのだから。
それに対して異を唱えるお前は単なる反逆者でしかないのよ、エミスティア?」
「はん‥‥‥逆者!?
そんなっ!?」
母親は椅子から立ち上がった十二歳の少女を平然と見上げてだから?
そんな視線を送ってきた。
どこが平民の娘よ。
この冷徹な視線。
もしかしたら、陛下はー‥‥‥。
騙されて子を宿したのかもしれない。
そんな考えてはならないことを一瞬だけエミスティアは考えてしまった。
「反逆者以外の何者がありますか、エミスティア。
あなたは帝国の娘。
帝国の皇族。
帝国の道具として生きるべき存在。
それが、帝国に限らず貴族に生まれついた女の定められた生き方よ。
理解しなさい」
「理解‥‥‥出来ないわ。
従えません、お母様」
「そう、ならあなたはどうするの?
アミュエラはあの子だから特別な存在だったのよ、エミスティア。
何も能力もない、聖霊にも精霊にも神にも祝福されなかったあなたに、何ができるのかしら?」
どこまでも冷徹に母親は皮肉そうに言ってのける。
姉は特別だった。
妹のわたしは‥‥‥何もない。
悔し涙が出そうになるのを、エミスティアは必死で堪えていた。
その特別な存在はいまはもう、障害にはならないのだ。
立ちふさがる障壁なんか、自分で取り除いてやる。
彼女の視線は目の前のテーブルに広げられた数枚の紙に落ちていた。
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