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下された神託
「さようなら、お母様」
旅立ちの日にエミスティアの母親に対する挨拶は短かった。
ラ・モール夫人はどうか生き抜いて欲しいという願いと共に、ある怒りをその心に溜めていた。
その様を見て、エミスティアは振り返る。
いまこの場で、母親の怒りを受けとめないといけない。
そんな気がしたからだ。
「お母様。
アミュエラへの罪はわたしが背負いますわ」
「あなた。
自分がしたことを理解しているの?」
「もちろんです」
少女は瞳を伏せた。
全部が自分の責任ではないかもしれない。
あれは六歳の時から知る人間は知っていたからだ。
「アミュエラとわたしにこの話が。
いいえ、グシャス公との婚姻の話が来た時。
お母様が行かせたかったのはー‥‥‥本当はわたしのはず。
アミュエラはお母様のお気に入りでしたから」
「待ちなさい、そんなことは言ってないわ。
あれは陛下がお決めになられた――」
「お母様、あの席にはグシャス公の従者の方もいらっしゃいました。
その場で愚かにも、お姉様の守護精霊があれだと。
そう漏らしたのは、わたしですから。
帝国は、あれほど高位の精霊を手放したくなかったはず。
そして、アミュエラにはあれを完全に支配することができていましたわ。
つまり、アミュエラは真の皇女様になる可能性がありましたから」
そこから先は言いたくなった。
母親はまだ、自分の恋人である皇帝を愛していることを、エミスティアは知っていたからだ。
でも言った方が良い。
全ての恨みは、自分が受けとめて出て行けばいいのだ。
そうすれば、母は自責の念から解放されるはず。
言ってはいけない一言を、エミスティアは口にした。
「お母様、陛下の元に戻る手段を失ってどんな御気分ですか?」
「お前‥‥‥」
「お姉様は精霊どころか、魔神と同化なさっていました。
炎の魔神イフリートを自在に六歳から操ってた。
その力は陛下の寵愛を取り戻すには十分だったはずですわ?」
違いますか?
エミスティアは不敵に笑ってやった。
さあ、お母様。
恨んでください、と。
だが、それは浅はかな考えだった。
「ふふ、面白い子ね、エミスティアは。
アミュエラがいようと、いまいと。
あなたがいようと、いまいと。
わたしには何の関係もないのに」
「は‥‥‥?
それはどういうー‥‥‥???」
「エミスティア、もう少し賢くなりなさい。
片方は精霊の加護を受けず、片方は帝国史の中でも最高位の神を降臨させた。
どちらも陛下の思惑の外にあること。
まだわからない?
陛下がなぜ、単なる平民上がりのわたしをこの王国に戻したと思うのです?」
「まさ、か‥‥‥。
これはお母様のお考え?
いいえ、違う。
陛下の、陛下の寵愛はー‥‥‥わたしたちには無かった??」
正解、とでも言うように夫人は冷酷に微笑んだ。
寵愛?
こんな悪魔のような双子を愛なんて出来るとでも?
そういっているように、エミスティアには見えていた。
「アミュエラはもう戻らない。
あなたは神殿に。
帝国の内紛が終わればーね?
知っていた、エミスティア?
あの内紛を引き起こされたのは陛下なの。
門閥貴族と、皇族の間に出来ていた陛下の自由にならない存在を消すためにね?
多くの側室に、正妃様。
どれも、外国からの血筋かもしくは帝国内の有力貴族から。
帝室の正当な血筋の妃はいなかった」
「でも、お母様だってこの王国の平民の出自では‥‥‥??」
残念ね、エミスティア。
知らなくてもいいこともあるのよ。
そう、夫人はさあ行きなさい。
そう言って、家の扉を閉めようとする。
「お母様は‥‥‥帝室の血筋なのですね。
それも、母系の‥‥‥」
「!?」
夫人の動きが止まる。
帝室は男性系統の血筋でないと皇子や皇女を正式に名乗れない。
エミスティアとアミュエラは平民上がりだから名乗れないとそう思っていた。
しかし、真実は違うらしい。
母親はどこから繋がっていたのかは知らないが、帝室の母系系統の血筋なのだ。
それが、たまたまこの王国の平民に混じっていた?
ああ、違うんだ。
エミスティアは理解する。
平民だというのは隠れ蓑だ。
過去に幾度かあった帝国の内戦を避けて逃れてきた皇族が、王国の庇護を受けていただけなんだ、と。
「売りましたね‥‥‥アミュエラを!?」
「かもしれないわね?
陛下が迎えるのは、内紛の後にはわたしだけ。
あなたは、神殿で人生を終えなさい、エミスティア」
「お母様!?」
扉は静かに閉じられた。
母親に売られた。
その事実を姉は知らないだろう。
お姉様の幸せは本当にあるのかしら?
神殿に行く馬車の中でエミスティアは己の無力を嘆いた。
なぜ、どの精霊も自分には力を授けて下さらなかったのか、と。
闇、朔月、虚無‥‥‥そして、氷よ。
母親の言葉が脳裏に浮かぶ。
闇は黒、朔月も黒だろう。虚無は?
虚無の原は黒に銀色の光が舞うという。
そんなものなら、黒の髪に銀の瞳だろう。
黒の髪に銀の瞳。
そんな存在もいたわね。
ルイ・バークリー。
アミュエラとエミスティアの幼馴染の少年。
そっか、ルイには虚無の精霊がいたんだ。
「だから、ジェミニの塔なのね。
いつか賢者になって、アミュエラと三人で過ごせたら、迎えに来てくれたならいいのに。
ルイ‥‥‥」
この馬車から降りて行き着いた先に入れば、俗世間に戻る事は許されない。
聖女なんかになる必要はない。
ただ、静かに過ごしたかった。
母のあんな一面を見るなんて。
何もわたしは知らなかった。
エミスティアはそう思うことにした。
親の醜い一面など、二度と思いだしたくなかったからだ。
「アミュエラ・ルゼア・エルアージュ。
エルアージュ帝国の皇女、か‥‥‥」
辿り着いたそこは予定通りの大神ダーシェの神殿だった。
大司教が出て来たのは、エミスティアの身分を考慮してのパフォーマンスだったのだろうと後になってエミスティアは気づくことになる。
宗教は政治と一緒になってはいけないはずなのに、帝国は守護する精霊が多すぎて多神教だからまだましなのかもしれない。
ここは、この王国は唯一神。
神殿はダーシェだけを信奉するように王家に望んでいる。
ダーシェの聖女になれなければ自分は本当に用済みにされるかもしれないな。
エミスティアはそう思って与えられた寄宿舎という名の十数部屋ある巫女見習い専用の建物に住むことになった。
同室の少女はわざわざ、隣の大陸からやってきたのだと言っていた。
二人で一室。ベッドは上下にしつらえられていて、並べられた狭い机が二つ。
他には部屋奥に少しばかりの衣装ダンスがあるだけだ。
「貧相ね、あなたはそうは思わないの?」
「わたしは農奴の出身ですから、エミスティア様。
馬小屋の隣で、一枚の毛布だけで冬を過ごす時もありました。
そう思えば、ここは天国です」
「そう、あなたは苦労したのね‥‥‥カイネ」
「いいえ、苦難は人を成長させるはずですから」
カイネ・チェネブという名の十三歳の一歳年上の少女。
赤毛に栗色の瞳が印象的だった。
「あの夜、八枚の白い羽を持つ天使様が夢に現れて言われたのです。
ダイナルに行きなさい、カイネ。
そして、聖女になるのです、と」
「へえ‥‥‥そう。
それは良いわね、夢だけに夢があるわ」
あの母親の言葉を聞いて以降、エミスティアの心には薄い氷が張ったかのように感情表現が乏しくなってしまっていた。
娘の命を守ろうとした行動だと思っていたのに。
自分の恋を守るための行動だったなんて。
呆れ果てて、ものが言えなかった。
そして、エミスティアは翌日のとある神託でその心を絶望的なほどに冷たくすることになる。
「神託は下された。
ダーシェ様の聖女は‥‥‥カイネ・チェネブ。
お前じゃ。
それとな、エミスティア。
お前には‥‥‥どの神も守護をすることはないとー‥‥‥ダーシェ様からの神託だ。
ダーシェ様に感謝するがよい。
個人が神託を賜るなど、滅多にないことだ」
「そうですか‥‥‥ありがとうございます。
ねえ、大司教様?
これまで誰も成し得なかった神や精霊、聖霊はいませんか?
契約できなかったそんな存在は??」
冷たいガラスのような意思のない瞳でエミスティアは大司教に質問した。
妙なことを言う子供だ、どの神も守護することはないといま神託があったばかりなのに、と。
そう思いながら、大司教はそうさのう‥‥‥としばし考えて口に挙げた。
「もし、いるとすればー‥‥‥南の極北の大地にいると言われる、六柱の神の一柱、氷の女王と双璧をなす氷の大聖霊ベイザス‥‥‥しかおらんだろうな」
「そうですか。
極北の大地‥‥‥」
少女は笑みもなく一礼するとその場を後にした。
翌日、カイネ・チェネブの聖女の認定式で神殿内が賑わう中、エミスティアがひっそりと消えたことに気づく者は誰もいなかった。
ただ一人。
同室である、カイネ・チェネブを除いて。
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